55「最悪の一体」
止まらぬ魔王ノアの猛攻。
反撃に中々出れず、ただ受け止めるのが精一杯なこの状況で、何やら連絡を受けたらしいノアの苛立った声が響いた。
「はぁ!?龍の魔物が動き出したから帰って来いって!?ヤダヤダヤダヤダ!!遊びたい遊びたい!!ヤダヤダ!!なんでそんな怒んのさ!も〜〜〜!帰ればいいんでしょ!」
龍の魔物
魔王ノアの零した言葉を、不破は聞き逃さなかった。
「いま、なんて言った?」
「ハ?……龍の魔物が動き出したから遊んでないで戻ってこいって連絡が来ただけだけど。マジ最悪〜〜〜〜〜〜〜〜遊びたい遊びたい遊びたい遊びたい遊びたい〜〜〜〜〜〜〜!!!!!」
ここまでボロボロで、不破が加勢に入ったところで僅かな希望さえ見えない魔王ノアとの戦い。
それを遊びだとされた圧倒的な実力差。それだけでなく龍の魔物という発言には、宇佐も不破も大きな衝撃を受けていた。
既に不破も何度か攻撃を喰らい傷を負ったことで刀を持つ手にはろくに力が入らない状態だ。
そんな目の前で何事もなかったかのように、まだまだ遊び足りないのだと泣き喚く子供のように振る舞うノア。
しかしどうやら帰還するよう言われたその指示に逆らうことは出来ないのか、宇佐や不破に背を向ける。
ここまでのことをしておきながら、簡単にその場を放棄して帰ろうとするノアを逃がしてなるものかと、宇佐と不破が追撃を放つ。放たれた追撃はノアに当たることなく体から溢れ出る底知れぬ魔力により消滅させられるが、ノアの意識をこちらに向けることは出来たようだ。
「なに、も〜!俺だってもっと遊びたいんだから次会う時まで我慢しててよ〜!!次はちゃんと殺してあげるからさっ、ねっ?だから今はこれで我慢して!」
ノアはそう言い切ると同時に、なんでもない風に強大な魔力の渦を発現させる。それにその場にいた三人は近くにいるだけで体が引き裂かれそうなほどの魔力の激流にゾッとして冷ややかな空気が体を締め付けた。
全身を刺すような魔力の圧が重く伸し掛り、不破は刀を持つ手が震えていることに気付いて奥歯を噛む。
そんな不破の横で、宇佐が何やら深く息を吐いた。
「これ以上、京月にだけ馬鹿でけぇもん背負わせる訳にはいかねぇからな」
乾いた声でそう呟くと、不破を庇うために前に出る。そんな宇佐の姿が京月の姿と重なり焦りや自分に対する怒り、様々な感情が絡まり合って不破は表情を歪ませた。
「な……っ、んで……!なにやってんですか!!宇佐隊長!」
「最後くらい、俺にいい顔させてくれよ」
どこか雰囲気の変わった宇佐の様子と、『最後』というその言葉に翠蓮と不破の二人が目を見開く。
「さい、ご……?」
「ッ、最後って、何言ってるんですか!!俺は、まだ……!」
不破は再び魔王レオナと戦うその日の為に、必死に、死に物狂いで鍛錬を重ねてきた。あの時の自分とは違い、今は一番隊の副隊長として京月の隣に立つ自分に自惚れていた訳では決して無い。
だが、ウロボロスとの決戦後の一件と、今日この戦いで自分はまだまだ隊長に追い付けないのだと思い知らされた。
副隊長であるにもかかわらず、今この場でノアを相手にしながら翠蓮を気にかける余裕も、守ってあげられるだけの力も無い。
全くもって報われることのない現実に魂が疲弊していく。
「お前の意思は関係ない。これは『隊長命令』だ」
そうだ、今この場に自分の意思を持ち込むことなど許されない。一挙手一投足が自分の死へと直結する可能性があり、更には翠蓮まで巻き込む可能性もある。
まだ、戦わなくては。もっと、強くならなければ。俺は、一番隊の、京月亜良也の副隊長なのに。
自分の不甲斐なさに絶望するが、不破はまだ先を信じて今一番望みを持つことの出来る宇佐へと託すことしか出来ない状況をきちんと理解し複雑な感情を押し殺して、後方で地面に這いつくばっている翠蓮の元へと駆け出した。
そんな不破の方へ視線を向けたノアは、最後に自分だけが死ぬことを選んだのかと宇佐の隊長としての器に目を見張る。
「最後は自分が死んででも逃がそうとするなんて、やっぱり人間は面白いね」
ノアは狂気に染まった満面の笑みを浮かべて、発現させていた魔力の渦を宇佐へと放った。
翠蓮を抱き上げた不破の後方で大きな力がまるで花火のように弾けて爆風が吹き荒れる。何とか吹き飛ばされないように翠蓮を強く抱き寄せながら背後を振り返った不破と、不破の腕の間から顔を覗かせた翠蓮は一人ノアの前に留まった宇佐の姿を探す。
爆風により起きた砂煙が晴れ始めた時、ボロボロで殆ど原型を留めていないうさぎの被り物が地面を転がっていくのが見えた。
そして、地面は真っ赤な鮮血で染まっていた。
「「宇佐隊長……ッ!!!」」
翠蓮と不破の悲痛な声が重なる。
宇佐隊長ですら、魔王ノアの力の前には為す術なく負けてしまうのかと、まだまだ平和には程遠い現実を突き付けられたようで唇を噛む。
ボタボタと滝のように地面を濡らす鮮血。
だが完全に砂煙が晴れた時、その鮮血を溢れさせているのがノアの体であることに気付いて二人は目を見開いた。
ノア自身、何が起きたか理解出来ていないようだ。その目は驚きで見開かれている。
「は?」
その声を漏らす時ですらとめどなくノアの口からは鮮血が滝のように溢れ出ている。そしてそんなノアの目の前で、肩より少し長い銀髪を風に揺らしながら宇佐は笑う。
「今から最後を迎えるのは俺じゃ無くてお前だぞ」
そう言って宇佐は自分の魔法を発動させて、自分の中に眠る最悪の一体を呼び起こす。
宇佐の体から溢れた力を感じ取ったノアは自分の体がピリピリとザワつくのに気付いた。それと同時に宇佐の中で目を覚ましたそれの異様さにも気が付いた。
「イカれてる。なんてもん取り込んでるわけ」
ノアがそう言葉を漏らしたのに続いて、宇佐も何やら小さく言葉を漏らした。
「流石に……自分にはもう戻れないかもな」




