52「あの日のように」
翠蓮は宇佐と共に伝令蝶の案内で列車を乗り換えて九番隊隊士からの緊急応援要請があった場所へと向かっていく。
緊急応援要請は基本一番近くにいる伝令蝶に情報が伝わりその後本部にも伝わるようになっている。今回も、翠蓮たちがその場から近くにいたことで二人に要請が届いたのだ。それでも到着まで長く感じることで、翠蓮は一体どういう状況なのかと焦りを感じていた。
「転移魔法で飛べたら良いんだが、ああいう魔法は一度行ったことのある場所や前もって魔法陣を繋げた場所にしか飛べないからな。とにかく今は到着したらすぐ動けるようにだけしておくぞ。大丈夫、冷静にだ」
焦りを見せ始めた翠蓮を落ち着かせるためにそう話す宇佐。しかし内心では、宇佐も焦りこそ見せないが九番隊隊士たちのことを気にかけていた。緊急応援要請自体はそれほど珍しいことでは無いのだが、今回は状況説明が無いまま途切れてしまったようで、それほど緊迫した状況であることがわかる。
恐らくその地で任務に当たっていた隊士達には手に負えない程の魔物に囲まれてしまったのだろう。緊急応援要請は大体予想外の量の魔物が現れた時が多く、加勢で呼ばれるのだが、到着した時には死人が出ていることがほとんどだ。
まだ新入隊である翠蓮を連れていくべきなのかという考えが頭を過ぎるが、宇佐はあまねからの手紙の内容を思い返して、その気持ちを胸にしまった。
手紙に記されていたのは魔天に関することと翠蓮の持つ力と彼女の全て。そして、氷上翠蓮に力を貸してほしい。共に魔天に立ち向かってほしい。という内容だった。
宇佐は翠蓮の正体に驚いたりはしなかった、といえば嘘になるがそこまで気にすることは無かった。宇佐は今日少しの間一緒にいただけで既に翠蓮の真っ直ぐな強さに気付いていた。これこそが京月が彼女を認めた理由かと。
そしてそんな翠蓮がきっとこれから先の国家守護十隊に無くてはならない存在だと宇佐は思った。
隊にいる限り死はいつだって近くにある。仲間の死など尚更だ。そんな中、仲間の死をも乗り越えて前に進まなくてはならない。翠蓮のようなまだ十五歳の少女がそんな生き方をする世界。宇佐はそれでも真っ直ぐに生きようとする翠蓮の力を信じて、遂に到着した緊急応援要請の地へと踏み出した。
駅から少し距離のあったその場所へは、近付くにつれて人の姿が無くなっていく。列車にもあまり人の姿が無かったことから任務開始前に既に人払いがされていたのだろう。
空気が張りつめていくのが分かる。宇佐は魔物と戦った痕跡で村が消え、更地と化しているそこを見てすぐに翠蓮の視界を手で塞いだ。
「宇佐隊長……?」
「良いか。目を閉じて、何を見ても冷静でいられるように、深呼吸してからゆっくり目を開けろ」
一体何が起きているのか、そう不安が全身を襲う中、翠蓮は言われた通りに目を閉じて深呼吸する。
翠蓮がそうしている間、宇佐は目を疑うような目の前の光景から、目を逸らすことなくその状況を目に焼き付けた。
真っ赤に染まった隊士たちの激しく損傷した体が辺りに転がっている。生者と死者、それぞれ感じる気配が変わるのだが、宇佐はそこから微かな生者の気配すら感じない。この地での任務が割り当てられ、九番隊から出ていた隊士は既に全員が死亡していた。目を開いた翠蓮はその光景を見てすぐに恐怖で蹲りそうになるが、それに必死で耐えて震える手で刀に手を伸ばす。
「生きている人は…………」
「残念だが、生きている人間の気配は無い。魔物の気配も……」
魔物の気配も既に無い。そう言いかけた宇佐だが、それを言い切るよりはやく翠蓮の体を突き飛ばして、背後に現れた魔物の攻撃を雪女の吹雪の力で食い止める。
「う、宇佐隊長っ!!」
「下がってろ!!」
宇佐はそこで今日初めて、死を感じていた。
被り物の下では冷や汗が流れていた。
宇佐も、翠蓮も、それを視認した時にようやくその魔物の気配に気付き、何故今になって気付いたのかという程に大きな魔力に恐怖を感じた。
翠蓮は宇佐の指示で下がろうとするが、あまりの魔力の圧に体が言うことを聞かず動けない。そんな翠蓮に向けられた攻撃を間一髪で宇佐が飛び出て庇い、そのまま翠蓮は宇佐に抱えられて魔物から距離を取る。
ただ、早すぎる魔物の攻撃を雪女の力で全て完全に受け止めることはできず宇佐は右肩を深く負傷し血が溢れていた。翠蓮がその傷に気付いて自分のせいでと焦りを見せるが、宇佐は気にせず翠蓮を雪女に任せて彼女の雪の領域を狭めて濃縮した守護空間へ。
翠蓮は緊迫した状況で、自分も戦わなければならないのに守られるだけではいられないと守護空間を抜け出そうとするが雪女の力は強く抜け出せることなどできないでいた。
「アンタはここにおり。アンタを守るんが今のウチの仕事。」
そう雪女に言われるが、翠蓮は必死に抵抗する。
「駄目なんです!!なんだか……嫌な感じしかしない……!私だって、戦わなくちゃ!」
そう叫んでどうにか守護空間を破壊しようと刀を振るう翠蓮。だが破壊には至らず、雪女は冷たい言葉を向けた。
「いい加減にし。アンタみたいな小娘になにが出来るん?幽元がどうしてアンタをウチに任せたか。その小さい脳みそで考えや。あの魔物、ただの魔物やない。……今まで一体どこに隠れとって、一体何の目的で出てきたんか知らんけど……あれは中級でも上級でも無い」
雪女の言葉を聞いていた翠蓮はその言葉で頭をガツンと殴られたような衝撃を受けた。そして、そんな魔物と対峙する宇佐もその魔物の異様さに気が付いていた。
「…………低級、は有り得ねぇ。その魔力……上級の魔物の比にもならない。…………ハハ、クソがよ、なら最上級……。魔王しかいねぇじゃねぇかよ」
宇佐のその声にすら焦りが滲み出ていた。しかし、国家守護十隊の隊長として、この場から逃げるという選択肢は無かった。
「理解が早くて助かるよ。俺はノア。今からたくさん殺り合おうね」
対する最上級の魔物、別名魔王は飄々とした態度で宇佐の目の前に立っている。
禍々しい程の魔力とは正反対の白い髪に、青の瞳。美しい外見は限りなく人間に近く、もはや人間にしか見えない見た目でその実は禍禍しい程の力を持つ魔王。
「京月はこんなバケモン相手に戦ってたのかよ」
そう呟きながら思い返すのは過去の記憶。
自分より年下の少年でありながら一番隊を率いる最強・京月亜良也が楪や四龍院、不破と共に瀕死の状態で総隊長により本部に連れて帰ってこられた日のことを。
その際初めて現れた魔王級。まさかここにきての登場とは。焦りを見せる宇佐の前で、魔王は口を開く。
「京月って、レオナに負けた軟弱者のこと?」
「悪いが、お前と話してる暇は無いんだよ」
宇佐はそう言って魔法を展開し、悪霊を呼び出そうとするが一瞬で魔王が宇佐の背後に飛んで話しかける。
「俺が、今。話してるんだけど」
咄嗟に魔王から距離を取るが、距離を取った所で体に違和感を感じてふらつき膝をつく宇佐。そんな宇佐の姿を見て、魔王は愉しそうに笑いながら近付いていく。
「あぁ、悪いね。言い忘れてたけど、俺の魔力は毒そのものだから。君のその肩の傷口からどんどん毒が流れ込んでいくんだ。俺、人間が苦しんでる顔大好きだからさ、もっと苦しんでよ」
魔王がそう言うが、その目の前で宇佐は笑いながら立ち上がる。魔王は宇佐が立ち上がったことに少し驚いた様子を見せるが、すぐに不機嫌な表情を浮かべて宇佐を見据えた。
「俺の毒が効かない奴、初めて見たんだけど」
「はは、そうか?ウチの四龍院にも効かないと思うぜ。俺の中には猛毒に近い悪霊が大量に棲みついてんだ、毒にも少しばかり慣れててな」
「へぇ?なんだ。少しは楽しめそうだね」
そうして不気味なほどに魔王の笑みが深まる。




