2 「一番隊隊長」
一人、総隊長の元を訪れていた京月。
「京月です。失礼します」
そう声を掛けると、襖の向こうから総隊長・あまねの声がする。
「うん、入っていいよ」
その言葉を聞き、京月は襖を開けて部屋へ入った。中では、書類に目を通していたあまねが顔を上げ、微笑む。
「任務の結果は伝令蝶からすでに聞いているよ。例の研究の派生団体の組織の壊滅──これはいい兆しになる。よく頑張ってくれたね。ありがとう、亜良也」
「本当に研究に関わっていたのかと思うほど、弱い集まりでした。俺が行くほどの任務ではなかった気もしますが……総隊長は、俺の不在が狙いでしたか?」
少し溜息をつきながら膝をつく京月に、朱雀は小さく笑みをこぼす。
「僕は隊に新しい風を吹かせようと思っている。良い目をした子たちを、亜良也や伊助たちに導いてあげてほしいんだ」
「一番隊の任務は危険が伴います。まだあの子には向いていないと、俺個人としては思いますが」
「亜良也は優しいから、そう思えるんだね。その気持ちは大事だ。でもね、だからこそだよ。亜良也が翠蓮を強くするんだ。あの子は、とても良い目をしていた。以前の亜良也みたいにね」
「総隊長は、随分あの子に期待しているんですね」
京月の言葉に、朱雀はさらに笑みを深める。
「真っ直ぐで、綺麗な目をしていた。翠蓮だけじゃない。今回の新入隊士は、皆が先を見ていた。そんな人材を、僕が期待している亜良也たちに導いてほしいんだ。そして共に、上を目指していく」
「総隊長は俺を買いかぶりすぎています。俺にはそんな資格はありません」
朱雀は眉を下げ、そっと京月の頭を撫でる。
「亜良也は本当に優しいね。でも、もう少し自分にも優しくしていいんだよ。自分のしたいようにしていい。過去も大事だけれど、その思いを未来に繋がなければいけない。だから、翠蓮たちと一緒に進んでいこう」
優しい手つきで撫でる朱雀の手を、京月が押し止める。
「そろそろ子ども扱いするのをやめていただきたい……! もう俺は大人です!」
「ふふふ、ごめんね。ついやってしまうんだ」
目を細めて笑う朱雀を、京月は少し不貞腐れたように見上げる。
「やるからには、俺は手を抜きません。それで辞めるような者なら、あなたが目をかけているとしても引き止めませんよ」
「うん。翠蓮のこと、頼むね」
「はぁ……不破の時もそうでしたが、俺が総隊長の命令を断れないことを利用してますよね」
「ふふ、利用だなんて人聞きの悪いことを言わないで。僕は亜良也を信頼しているから頼むんだよ」
「まあいいです。ところで四龍院は今どこに?」
「伊助なら今は新入隊の子と隊舎にいるはずだよ。伊助はあの会議にいたからね。以前から目をかけていた珍しい水魔法の使い手を引き抜いていたよ」
「そうですか。あぁ、神崎でしたね。以前、彼女が魔道士裁判にかけられたのを、四龍院が珍しく家の名前を使って助けていたのでよく覚えています。次の任務の書類を預かったままだったので渡しに行こうかと」
「あぁ、次は共同任務だったね。政府への申請はもうしてあるから、頑張っておいで」
「はい。では失礼します」
京月は一礼して部屋を出ていく。
「翠蓮が、過去に囚われたままの亜良也を救う存在になるといいんだけど」
朱雀の呟きは、誰にも聞かれることはなかった。
✻✻✻
そして、京月が戻った一番隊の隊舎でのこと。
「山……登り……ですか?」
一番隊の隊舎裏には、大きな山がそびえ立っている。ところどころ足の踏み場もない断崖絶壁もあり、決して「登ってみよう」という気にならないような険しい山だ。その山を指差し、京月は短く言い放った。
「登れ」
一通りの説明を不破から受けていた翠蓮のもとに、突然戻ってきた京月。その口から出たのは、ただその一言だけだった。
そんな京月に、不破が呆れたように声を掛ける。
「隊長、口下手にも程がありますって。ごめんね氷上ちゃん。一番隊は本部にいる間、毎朝起きてすぐにこの山を登るんだよ。ほんっと意味わかんないよね。まあ任務に比べたら楽だと思うけど……。隊長、マジで女の子にこの山登りさせるつもりですか?」
その言葉に、翠蓮が小さく肩を揺らした。
「あ、あの……わたしは……!」
翠蓮の言葉を遮るように、京月が冷静な声を出す。
「敵が女だからといって手加減するような奴らなら、とっくに世界は救えてる。俺は女だからといって手を抜くことはしない。ついてこれないなら、やめたほうがいい。すぐに死ぬぞ。実際、うちに入りたいと言った奴らは、この山を見た瞬間に逃げた」
「あの、わたし……登ります! 登らせてください!」
大きな声で言い切った翠蓮に、二人の動きが止まる。
「……やめるなら今のうちだぞ」
「わたしは、手加減されたくありません!」
「そうか。氷上、俺は男とか女とかはどうでもいい。そんなものは戦いの場に関係ない。ただ、努力できる者を俺は認める。本当に隊にいることを望むのなら、俺に認められるよう努力しろ」
その言葉を聞いた瞬間、翠蓮の瞳に光が宿った。
いくら魔法が使えても、女という理由で差別されることは少なくなかった。入隊試験でも「女のくせに」と嫌な言葉を投げられた。
そんな世界で、初めて「性別ではなく努力を見てくれる」言葉をかけられた翠蓮は、心から奮い立った。
「はい!!」
……と、大きな声で返事をしたのは良かったが──。
ゼェゼェと肩で息をし、ようやく山から戻ってきたのは、登り始めてから五時間ほど経ってからだった。
「あっ、氷上ちゃん!!隊長〜!氷上ちゃん降りてきましたよ!」
翠蓮が山から降りたのを見て、不破が京月を呼びながら駆け寄る。
「大丈夫だった?」
不破の声掛けに頷き、無事を伝える翠蓮。そこへ隊舎から京月が姿を現した。
「お前……魔法、使わなかったのか?」
京月が血の滲んだ頬の擦り傷に触れると、魔力が流れ込み、傷がふっと癒えていく。
「あ、そういえば使っていいのか聞いてなかったなと思って……」
「山の中には、低レベルではあるが俺が魔法を仕掛けた箇所もあったはずだが」
「あ、ありました!魔法を使わずに回避したほうがいいのかと思って……何回か掛かっちゃって火傷しましたけど、なんとか大丈夫でした!」
屈託なく笑ってそう言う翠蓮に、不破は引き攣った笑みを浮かべる。
「氷上ちゃん……そろそろ口閉じたほうがいいよ、マジで」
「えっ?」
戸惑う翠蓮の前で、京月が少しだけ黒い笑みを浮かべた。
「お前のことを、少し理解した」
そう言うと京月は翠蓮の腕を掴み、そのままどこかへ連れて行く。
「えっ、あの、隊長……? どこに……」
「いいか。多少の無理は戦闘において必要かもしれないが、自分を犠牲にする必要はない。もっと自分を大事にしろ。次からは魔法を使え。わかったか?」
「あ……はい……」
少しぼろぼろになった翠蓮の体を見て、京月の眉間には自然と皺が寄る。
「なんだ、隊長って優しいんですね」
「馬鹿なこと言うな」
そして二人が足を止めたのは、「五番隊」と書かれた大きな隊舎の前だった。
「あの、隊長……ここは?」
「治療と戦闘サポートに特化した五番隊の隊舎だ。傷、治してもらうぞ」
「えっ、そんなわざわざ……こんなのすぐ治ります!」
翠蓮が慌てて首を振ったとき、後ろから穏やかな声が掛かった。
「あらあら、駄目よ。小さな傷でも、女の子にとっては大きな傷になることもあるんだから」
「わぁっ!!」
突然の声に驚いて飛び上がる翠蓮。その横で京月は振り返り、声の主を見やった。そこに立っていたのは、ベージュの髪を後ろで緩く結んだ女性──五番隊隊長、楪雪乃だった。
「驚かせてしまってごめんなさいね。私は五番隊隊長の楪雪乃。よろしくね。あなたは京月隊長のところの新入りさんね。可愛らしい子が来てよかったですね、京月隊長」
「俺の知らないところでな。とりあえず、この子の治療を頼みたいんだが、今忙しいか?」
「全然大丈夫ですよ。中にどうぞ。あ、京月隊長、四龍院隊長が探されていましたよ」
「わかった。なら俺はそっちに向かうから、終わったら隊舎まで案内してやってほしい」
「はい、任せてください。じゃあ、行きましょうか」
楪がそう言って翠蓮の手を軽く引く。
「はい!あ、あの、京月隊長!」
別方向へ向かいかけた京月を呼び止める翠蓮。
「なんだ?」
「ありがとうございます。連れてきてくれて」
「あぁ」
短く答えると、京月はその場を去っていった。
楪の案内で五番隊の隊舎に入ると、中は広く、部屋数も多い。ふわりと優しい香りが漂い、怪我を治療してもらう隊士や、自隊舎へ戻る隊士たちの姿が多く見られた。
「初日から、随分無茶したのね?」
楪が笑いながら魔力を込めた指先で翠蓮の腕に触れる。そこにはまだ火傷の痕が残っていた。
「火傷もしてるわね。少し塗り薬も出しておくから、毎日朝と夜に塗ってね」
そう言ったところで、窓の外から一羽の蝶が飛んできた。
「ん? あら、あなたの伝令蝶が選ばれたみたいね」
「伝令蝶……?」
首を傾げる翠蓮の目の前で、蝶がひらりと舞い込み、大きな声を上げた。
「氷上翠蓮!初任務だぞ!いくぞーーっ!」
突然しゃべり出した蝶に、翠蓮はびくりと肩を揺らす。
「うふふ。この蝶は伝令蝶といって、任務に必要な情報を伝えたり、隊員同士の連絡に使われたりするの。ちょうど初任務みたいね。六番隊舎に行けば任務の書類がもらえるから、このあと受け取りに行くといいわ」
「そうなんですね……わかりました! 治療までしてもらって……ありがとうございます」
「いいのよ。頑張る女の子は最強なんだから。でも、無理はしちゃだめよ。京月隊長も怖そうに見えて優しい人だから、いっぱい頼ってあげてね」
「はい、ありがとうございます! じゃあ、行ってきます!」
楪に挨拶をして、翠蓮は伝令蝶と共に五番隊舎を後にした。




