0 国家守護十隊
血溜まりに沈んだ“それ”が、かつては美しい女性だったなどと、誰が気付けただろうか。
変形し、無数の穴が空いた身体は、もはや原形を留めず、半身すら残っていない。ただの赤い血と肉の塊のようになっていた。
それでも。白く細い指先は、しっかりとその肉塊に触れていた。
「………っ…」
ただ一人、その少年だけが、“それ”の正体を知っていた。そして、涙を落とし、縋るように願った。
「お願いだから、僕を置いていかないで……」
まだ十五歳だった少年は、血に濡れてしまった美しい薄紫の髪も手も気にすることなく、肉塊と化した婚約者の身体をその腕にしっかりと抱きしめた。
彼女と過ごすはずだった未来を、強く誓いながら。
「待ってて。もっと強くなって……僕が絶対、こんな世界を壊すから」
彼女の亡骸の傍に落ちていたのは、少年が贈って以来、ずっと耳につけてくれていた花形の耳飾りだった。
少年__朱雀あまねは、その耳飾りを手に取り、強く握りしめた。
✻✻✻
朱雀あまねが婚約者を失ってから、五年後のこと。
令明十三年__世界を震撼させた『人類改造計画』が発覚した。
その非道な計画の全容が明らかになると、人々は戦慄した。
この世界では魔法が栄えており、魔力を持つ者も持たない者も共に暮らしていたが、計画を進めていた組織は、魔力のない者を“弱者”、この世にふさわしくない存在と断じていた。
彼らは、魔力の粒子を人体の許容値を超えて無理やり流し込み、魔力のなかった人間を“人間ではない何か”へと変えた。それを『魔物』という。
魔物となった者たちは、醜悪な姿へと変貌し、人格も記憶も、思いやる心さえも失っていた。
ただ血肉を求め、本能のままに昼夜を問わず人を襲う。もはやそこに“ためらい”などという感情は存在しない。
計画を主導していた研究者の手記には、こう記されていた。
『強き者こそが正義だ』
それは、正義の名を騙る最低最悪の独善。
魔力なき者を排除し、魔物を造り出しては、弱者を狩る。
そんな非道な思想に基づく行為は、やがて賛同者をも呼び、派生組織が次々と生まれ、世界は徐々に絶望へと飲み込まれていった。
朱雀あまねの婚約者もまた、この計画の犠牲者の一人だった。
魔力を持たない者を誘拐し、研究所で強制的に膨大な魔力を注ぎ込む。
だが、魔力が適合しない者、体が魔力に耐えられない者は、“失敗作”として命を落としていった。
研究の実態が明らかになるやいなや、政府は研究室の即時閉鎖を命じ、関係者を見つけ次第、厳罰に処す方針を示した。
後に捜索が入った研究所は荒れ果て、無惨な姿となった数多くの遺体が放置されていた。
巨大な水槽のような実験装置は破壊されており、その中には“何か”が逃げ出した痕跡もあった。
世界は瞬く間に魔物と恐怖に覆われ、人々は怯えながら暮らすしかなくなってしまった。
✻✻✻
そして、それからさらに五年が経った令明十八年。
愛する者を計画によって奪われた朱雀あまねは、復讐の念と、魔物から世界を護るという使命を胸に抱いていた。
かつて婚約者が遺してくれた花形の耳飾りにそっと口づけ、今度は自らの耳にそれを付け、前を向いた。
彼は政府の認可を得て、『国家守護十隊』を設立。対人類改造計画。そして魔物に立ち向かう組織の総隊長となった。
この物語は、その朱雀あまねの強い意志のもと、
国家守護十隊に新人として入隊した十五歳の少女、氷上翠蓮が、世界の真実へと近づいていく物語である。




