前編
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よろしくお願いします。
「……実戦ですか?」
先日物語修復課に配属されたばかりの私、胡桃沢歩は直属上司である榊原英智に聞き返した。
「そうだ、クルミ。≪バンダル≫が歪みを発生させたようだ」
クルミは私の修復ネームだ。物語内部で本名を呼び合うのは敵勢力である≪バンダル≫に知られると危険なため、苗字から取った渾名を採用している。ちなみに上司である榊原はサカキと呼ばれている。
≪バンダル≫は芸術的産物を武力や魔術を用いて破壊している犯罪集団である。実際にゴッホの七つある『ひまわり』のうちの二つ、姫路城、ナスカの地上絵の一部など、有名な遺物は跡形もなく破壊されてしまった。残っているものは各国が総力を上げて守っている状態だが、ここまできても≪バンダル≫の正体は掴めない。しかも破壊理由も掴めない状態だ。
そして、その魔の手は壊せるはずのない物語に伸びている。
「歪み……?」
「≪バンダル≫が扱う魔術のことだ」
私の疑問にサカキはすぐに答えてくれた。≪バンダル≫は魔術を用いて、物語に破壊の種を蒔き、歪ませることができるという。そして、歪ませ続けることで物語の概念自体を破壊し、人々の記憶から抹消することができるのだそう。
「クルミには物語に入り、歪みのもとを排除してもらう。勿論、私も共に行くが」
「そんなこと私にできるのですか?」
そんなこと言っても私は修復課に配属されたばかりのまだまだの新人だ。物語修復課は≪バンダル≫に対抗する物語を守る世界が設立した唯一の機関だ。そんな私がいきなり歪みを排除しに行くのは、正直無理だと思う。そんな私の様子を見て、サカキはため息をついた。
「できるできないではない、やるしかないのだよ。ここは万年人手不足だ」
「う……」
そう言われると正論すぎるのでぐうの音も出ない。私は項垂れると、サカキがぽん、と肩を軽く叩いてきた。頑張ろう、ということだろう。
私は覚悟を決めることにした。
ここは潜入室。歪みを除去するために精神だけ本の世界に入れるように特別な魔術を組み込んだ部屋だ。この部屋に設置されている台座に対象の本を置くと、中に入り込むことができるのだ。
サカキは台座まで進むと、とある絵本を開いて置いた。カラフルなページが見える。
その題名は、『兎と亀』。
「『兎と亀』……?」
「今回破壊の種が芽吹いたのはこれだ。話は知っているな?」
私は頷いた。童謡にもなっているくらい有名なイソップ童話だ。
うさぎとかめがかけっこするが、勝てるとたかを括ったうさぎはレース途中で昼寝をし、結局はかめが勝つという教訓を含んだ話となっている。
「こんな平和な話、どうしたら歪むのですか?」
「種さえあればすべて狂っていく。まずはそれを調べるんだ。さあ、これを持って」
そう言ってサカキは冬の空色のような青色の美しい宝石を差し出した。ペンダントのように加工されているそれは美しく光っている。私は両手で受け取った。
「これは修復用に特別に施された魔石だ。この台座を発動させるためのスイッチとなる。そのまま本に当てなさい」
そう言ったサカキの手の中にも同じ宝石が光っていた。私は言葉のまま、両手を伸ばし本に宝石を当てる。
すると、本と宝石から真っ白な閃光が走る。眩しくて、私は目を閉じるとふっと体が軽くなる感覚がした。
恐る恐る瞼を上げると、そこは潜入室ではなく、夜明け前の薄暗い草原だった。
ふと、手の中を見ると、先ほど持っていた青の宝石がある。
「無事にいけたようだな。クルミは問題ないか?」
隣にはサカキが手をグーパーし、感覚を確かめながら尋ねてきた。私は持っていた宝石を懐にしまうと、同じように手を動かしてみるが、現実世界と感覚が変わらないので不思議な感じがする。
「大丈夫です」
「それは良かった。では行くか」
そう言ってサカキは歩き出す。サカキはどこに行けばいいか、分かっているのかスタスタと歩いていくので、私も後に続く。
平坦な道が続いていたが、しばらくすると斜面が見える。頂上らしき場所は木が一本小さく見えた。サカキはそのまま、斜面を登っていく。
「この上に何かあるんですか?」
兎も亀も全く見当たらないし、辺りは暗いし、ひたすら歩いているだけだったので聞いてみる。主役が登場しないのはどうなのだろうか。
「『兎と亀』の世界だから、レース場所になるところは山の麓から頂上までだ。おそらく上からなら見つかるかと」
「こんな真っ暗なのにやっているのでしょうか?」
「さあ? 芽吹き歪んでいるのだからどのような環境でもおかしくはあるまい」
破壊の種が芽吹くと元の話の環境や行動を歪めていくようだ。だから修復する者は様々な可能性を考えて動かなければならない。本来の物語とは違う話が展開しているのだから。
「頂上が見えてきたが……」
サカキが前を見るように促してきたので前を見ると、ただ木が一本あるだけだった。兎も亀も、いるはずの応援する動物たちもいなかった。頂上まで上がりきってもう一度確認するが、やはりいない。
「いませんね」
「主役がいないのも、時間帯もおかしいな」
そう言ってサカキは腕を組んで考え込む。私は何か手がかりがないか辺りを見渡す。
「ん?」
登ってきた方とは反対側の下り坂の方に何かがいる。目を凝らすと、栗色の毛を生やしたもふもふと黒に近いクリーム色のごつごつが二つ並んでいた。
―――あ、これ、兎と亀だ。
しっかりと見えているわけではないので何となくだが、直感がそう言っている。私は考え込んでいるサカキの制服の上着の裾を引っ張った。
「サカキさん、あれ、兎と亀じゃありません?」
私が指差す方向を見て、サカキが目を細めて唸る。
「見えないのだが…」
「じゃああちら側に下ってみましょう。そしたらわかるのでは?」
兎と亀がいるであろう方向を指差したまま、提案してみる。サカキは目を凝らしすぎて疲れたのか首に手を当ててゆっくりと首を揺らしながら、「そうしよう」と同意してくれた。私はそのまま兎と亀がいる方向へ歩くと、後ろからサカキが私の歩幅に合わせて付いてくる。
そこまで急ではない斜面を駆け足で下りていくと、その麓あたりにやはり兎と亀がいた。
「ワタシが一番速いに決まってるじゃない! アンタに負けるわけないわ!」
「そんなのわからないよ〜」
薄い栗色、長い耳、瞳は真っ黒の小柄な兎と、黒っぽい規則的な模様が入った甲羅、そこから伸びる可愛らしい手足の亀が言い合いをしているようだ。
速い、という言葉が聞こえたのでおそらくは、お話通り足の速さの言い合いのところだろう。私はそのまま、二匹に近づいた。
「どうかしたの?」
そう声をかけると、二匹とも顔を私の方に向けた。
「ワタシはかけっこが得意だから、誰にも負けない自信があるのに、この足の遅い亀が…!」
「どれだけキミの足が速くても、キミには負けないよ〜」
「亀のくせに!」
二匹は睨み合っていた。私はどうしたら良いのかわからなくてオロオロしていると、後ろにいたサカキがひょい、と顔を出した。
「じゃあ、かけっこして確かめてみたらどうだ?」
サカキの提案に兎は両前足をぽん、と合わせる。
え、このまま競走をさせてもいいの? 何も進展してないのに。
サカキに不満顔をぶつけると、サカキは右人差し指を自分の口元に押し当てた。静かにしてろ、という意味だ。何か策があるのか、と思って静かにしていることにした。
「じゃあ、かけっこしてして勝負をつけよう。まあ、ワタシが勝つのは決まっているけれど」
「そんなことないよ~」
「そこの頂上にある木に先にタッチした方が勝ちにしましょ! スタートは日の出とともに」
「わかったよ~」
兎は亀の前に足で線を引くと、自分も線の内側に立った。私は焦ってサカキに小声で話しかける。
「サカキさん! 勝負してしまっても大丈夫なんですか!?」
「今のままではどこが歪んでいるのかわからない。一回くらいならこれで何とかなる」
そう言ってサカキは懐にしまっていたあの宝石を取り出した。何が何だかわからず、聞き返す。
「それはそうですけど…。でも、その宝石はここに入るためのものでしょう?」
「そうでもあるが、一度だけならこれを使って巻き戻せる。魔術の副産物だ」
「そんなのありですか!?」
「物語の存在自体無かったことになるよりはいいだろう」
サカキは懐に宝石を仕舞い込む。
不思議な宝石だなとは思っていたけど、そんな効果もあるとは思わなかった。でも、これで何がこの物語を歪ませているのかがわかるかもしれない。
……それならいいか、と自分を納得させていると、兎が話しかけてきた。
「アナタたちに、出発の合図と審判をしてもらってもいい?」
「もちろん構いませんが……」
「じゃあ、お願い」
兎は夜明けを待ち始めた。ゴールである山の奥の空が白み始める。もう日が出てもおかしくはない。私は息を呑んで、その時を待った。
そして、ついに山の淵の一部が太陽に照らされて明るく輝いた。……夜明けだ。
「始め!」
サカキの一声で両者がスタートダッシュを切る。兎は大地を思いっきり蹴り上げ大きく前に進んで行ったかと思うと、すぐに姿が小さくなっていった。さすが兎だ。それに対して亀はやっと三十センチ進んだくらいだろうか。……とても遅い。
しかし、腐っても『兎と亀』なので、話通りにいけばこの後、ゴール一歩手前で兎は慢心して眠り、その間に地道な努力をしていた亀に追い抜かされるはずだ。……あくまで話通りならば。ここは破壊の種が芽吹いてしまった世界。どのようなことが起こるのか予想はできない。
「少しおかしな点があるのはあるが、話通りに事は進んでいるな」
「はい。二匹には特に問題があるようには思えませんね」
「さて、どうなってくるだろうか……ん?」
サカキが目を細めて山の方を見つめる。私もつられて山の方を見ると、爆走していたはずの兎がゴールまでまだまだのところで立ち止まっていた。
「止まった?」
「お前の目はかなり良かったのだったな。よく見て教えてくれないか?」
「はい」
私はじっと兎を見つめる。立ち止まった兎は息を整えているのか上下に肩を動かしている。そして、手に握られている何かを確認したと思ったら、ぱたりと横になってしまった。……え、寝たの? 早くない!?
「横になりました!」
「結果だけじゃなく、過程も報告しなさい」
「えっと…、立ち止まった兎は息を整えた後、手に持っていた何かを見た後、横になりました」
「ちゃんとできるじゃないか。次からもそのように報告するように」
駄目出しを食らったと思ったら褒められてホッとする。
しかし、兎の手に握られている物は何だろうか。手の中に収まるくらいの大きさで、鎖のようなものが垂れていた気がした。
「手に持っていたもの…か。それは破壊の種の可能性が高いな」
「種なので植物ではないのですか?」
「破壊の種は名称に過ぎない。それも魔術の一種だからな」
「そうなんですか……。じゃあ、それを壊したらいいんですよね?」
「まあ、そうだが……」
「じゃあ、行ってきます!」
破壊の種を排除したら物語は元に戻る。それならば先手必勝だ。私は駆け出し、先にいる兎を追いかける。兎は横になったままぴくりとも動かないので、少し走ったら追いついてしまうだろう。目の前には相変わらずのスピードで進んでいた亀。スタートから五メートルも行っていないのであっという間に追い抜かした。
斜面に入り全速力で薄い栗色の毛の塊を目指す。思ったより遠いので息が上がり苦しい。懸命に足を動かして上がっていく。
「ん……? これは、時計……?」
はあはあと上がった息を整えながら走るスピードを落とす。
今さっきは遠すぎたので見えなかったが、兎は手に物を持ったまま横になっていたようだ。手には金の鎖がついた時計が握られていた。『不思議の国のアリス』の白うさぎが持っている懐中時計を彷彿させる。私は取り上げようと手を伸ばす。
ジリリリリリリリリリリリッ!
突然のベルの音に驚き、後ずさってしまった。すると、すぐに兎がむくりと起き上がり、時計の文字盤を見る。
「ん…、あれ? 思ったよりも早いなあ。まあいいか。再開しよ」
近くにいる私にも気付かず、兎は立ち上がると時計を手から消した。突然のことで驚いたが、破壊の種の可能性が高いと言われていたのですぐに納得させる。やはり兎は破壊の種を持っていたのだ。そして、兎はそのまま駆け出してあっという間に山を登って行ってしまう。
追いかけるが思った以上に兎の足が速くて追いつかない。ぐんぐんと兎と私の間の距離が空いていく。
「このままじゃ、ゴールされちゃう…!」
『兎と亀』なのに、兎が勝ってしまうという結末になってしまっては、話の崩壊も甚だしい。先程の全速力での疲労が祟っている。舌打ちをしながら、何とか足の回転数を上げていく。
すると突然、兎がまた立ち止まった。そして、時計を何もない空間から取り出すと文字盤を見て、ついさっきやったようにぱたりと横になってしまった。そのまま、また動かなくなった。
兎が立ち止まったので、そのおかげで私は一気に追いつくことができた。兎は横になって息を整えているようだった。相変わらず、手には時計が握られている。私は兎に近づき、時計に手を伸ばす。
ジリリリリリリリリリリリッ!
またベルの音が鳴り響く。兎は音に驚いて起き上がると、時計の文字盤を見て首を傾げた。そして、振り返り、私の姿を確認するとキッと睨みつけた。
「何付いてきてんの!? これはワタシのためにあるの! 邪魔しないで!」
そう言って手にあった時計を消して、距離を取られてしまった。これでは警戒されてしまってもう時計を壊すこともできない。とりあえず、サカキに報告しよう。警戒されてしまったけれど、これで兎の時計が破壊の種であることは確定だ。あとは、あのベルが鳴ってしまう時計にどう近づくのか考えなければいけない。私は踵を返してサカキの元へ向かうことにした。
戻りは下り坂なので楽に走ることができた。短時間で上がっていた息を整えながらぐんぐんと山を下っていく。
「ん?」
思わず目を細める。兎と亀の競走のスタート地点付近でサカキが必死に何かしているのが見える。
……揺すっている? どんどん近づけば近づくほど鮮明にわかってくる。
――サカキは、亀を必死に揺すっていた。亀の頭手足は完全に甲羅の中に引っ込んでしまっている。傍から見ると、亀を虐めている図にしかに見えない。
「サカキさんっ! 何虐めてるんですか!」
私は走りながら叫んだ。サカキは揺すっている手を止めると、私の方に振り向き驚いた顔をした。
「何で私が亀を虐めなければならない! ちがう! 亀を起こしているんだ!」
「起こす?」
到着した私に対して面倒くさそうな顔をすると、また亀をがこんがこんと揺らした。しかし、亀は全くと言っていいほど反応を示さない。
私も試しに亀をこれでもかというほど揺らしてみたが、同様に反応しなかった。むしろ、甲羅の中から微かなイビキが聞こえてくるほどだ。
「驚くぐらい寝てますね」
「お前が出発して少し経ったくらいか。止まったかと思ったら『眠い……』と言ってこれだ」
「兎と亀の行動、お話と逆じゃないですか!」
「逆ということは、兎は眠らなかったんだな」
私はこくりと頷く。亀はスタート地点から数メートルしか進んでいない。いくら亀とはいえもっと進んでいるはずなのに、あまり進んでいないことに納得はできる。サカキは話を続けるように私に促した。
「サカキさんが予想した通り、手に持っていた時計が破壊の種だと思います」
「ほう。その理由は?」
「兎はその時計を使って眠らないようにしていました。目覚まし代わりにしてたんです。あと、私が近づくと警告音なのかベルが鳴ってしまうんです。おかげで近づいて取り上げることもできませんでした」
「なるほど。では、兎の時計が破壊の種だということは確定だな」
サカキは嬉しそうに言う。破壊の種のありかが特定できたことで一気に修復の目途が立ったのは大きな成果だろう。
「ですが、亀の眠気はどうしましょうか…。兎の時計とは関係ないと思いますが…」
時計は兎が眠らないようにベルが鳴っているのであって、決して亀には作用している様子はない。魔術の類で連動しているとか言われると何とも言えないけれど。
サカキは夜が明けて少し明るくなった空を見上げた。
「それはおそらくこの時間帯だろう」
「時間帯?」
私も同じように空を見上げて首を傾げる。
「本来の話は昼間だったよな? 亀は昼行性。日中に活動する生き物だ。日の出とともに起き、日の入りとともに眠るのだ。けれど、この亀は夜明け前に兎と言い合いをし、物語が始まっていた。じゃあ、徹夜をしたらその後は?」
「眠くなる?」
私の答えにサカキはにこりと笑った。サカキが言いたいことをきちんと言えたようでホッとした。そのままサカキは続ける。
「ちなみに、兎は薄明薄暮性といって、明け方や夕方の薄暗い時間帯に活発に活動する生き物だ。今の物語の流れは兎にとって有利すぎる。それならば時間帯を正してやれば、ある程度均衡が取りやすくなるだろう」
「だから兎は横になっていただけで眠らなかったのですね! それならば私たち、審判を任せられるのでそこを利用すれば…」
「そうだ、亀の問題は解消できるだろう」
これで巻き戻した後の方向性は決まった。一つは亀に不利な状況を崩すために、まずは時間帯を変更するように二匹に働きかけること。もう一つは兎の持つ時計を破壊してしまうこと。後者がなかなか難易度が高いが、そこはサカキの知恵で何とかしたいところだ。他力本願だと思うが、経験がない私にとってそれが一番安牌だと思う。そんな私を見て、サカキがふっと笑った。
「初めての実践だからな。しっかり勉強しておきなさい」
そう言って私の頭をわしわしと撫でた。……私は子どもじゃないし!




