大洋へ行きたいよう
目が覚めたら朝になっており、俺は変わらずメディカルルームに寝かされていた。
「夢か……」
ベッドから降り傍らの壁の鏡で自分の様子を伺う。顔や首筋に何かの跡は残っておらず、頭痛と微熱による倦怠感の方はまだ残存している。
「どうせ吸うなら首じゃなくて風邪を吸っていってくれれば良いのに」
俺は思わず愚痴を口にする。俺の監督就任が発表された時の宴会場で、シャマーさんは『疲れを口で吸い取る事ができる』と語っていたのだ。まあ試した事はないし、あの悪戯娘の言うことだから嘘かもしれないけど。
「監督の風邪を選手へ感染させてしまったら駄目だよな」
「そういう例はあまりありませんが、慎重を期すのであれば遠征を諦めるのも手ですよ?」
「うわっ!」
独り言に反応があったので驚いて振り返ると、部屋の入り口にミガサさんが立っていた。
「おはようございます、監督さん。調子はどうですか?」
「あ、おはようございます。まだ全快って感じではないですね……」
挨拶を交わすと彼女は身振りで俺にベッドへ戻るよう合図する。その指示に従いつつも、俺は内心でこんな派手で目立つ見た目の美女エルフでも気配を消すのは上手いんだなあと、感心した。
「失礼しますね」
ミガサさんはこちらが横たわるのを待って、それから俺の額や首筋に指を当てていわゆる触診というものを行う。今更だがエルフは治療に魔法を使う事が殆ど無い。一つには薬草や健康的な食事といった自然療法の方が発達しているというのがあり、もう一つには魔法で生命体を『健康的な状態に変化させる』という行為が繊細で難しいモノだから、らしい。
「ちょっと舌を見せて貰えますか?」
「あ~」
治療士さんから舌を出す様に言われ、俺は素直に従う。なんか健全な意味で舌を出せって言われたのは久しぶりだな。自分で言ってて情けないが。
「移動は今日の午後でしたよね?」
「ひぇえ。ぎょぜんにきゃるくきゃらだ……」
「舌はもう閉まって結構です」
そういう事は早く言って欲しい。パンクロッカーみたいな喋り方をしてしまったじゃないか!
「ええ。午前に軽く身体を動かして、昼食と移動準備の時間を挟んでミーティングをしてからです」
このあたりのスケジュールは我々にとってもはやルーチンだが、彼女にとっては初めてなので俺は丁寧に説明する。俺は説明が丁寧なのだ。ミガサさんと違って!
「遠征には行きたい?」
「はい。行きたいです」
何となく母親に試されているような気分になって神妙に応える。いや俺にはあまり記憶がないし、このエルフは子持ちなのでたぶん祖母以上の年齢だろうけど!
「では昼食までここで休養していること、選手と面会はしないこと、旅行の準備もナリンさんに任せることを約束できるなら許可します」
ミガサさんはそう言って俺の目を見た。銀色の髪を窓から入った朝日が照らしその美貌を更に神々しくしている。凄い迫力だ。
「は、はい」
美女に見つめられるのは彼女が名を上げたコーチ、ナリンさんで慣れているとは言えこれはまた圧力が違った。嘘や誤魔化しを混ぜる余地もなく俺は約束する。
「分かりました。ではナリンさんとロビーさんを呼んできますね」
ミガサさんは俺の答えに満足した様に微笑むと警備担当のガンス族の名も挙げ医務室を出て行った。
「はい。よろしくお願いします……」
俺はその背に弱々しい声をかけるしかない。ロビーさんの役割は外からくる選手を防ぐのではなく、俺の脱走を防ぐ為だろう。くっ、やるなミガサさん!
「随分と慣れたものだなあ」
ミガサさん、身体測定の頃はまだオドオドとしていたのに、もう他のスタッフと連携できるところまできたのか。これが年の功というヤツかもしれない。
俺は新加入選手の活躍に喜ぶサポーターの様な気分になる事で、行動を制限された現実から目を逸らす事にした……。
恐れていたナリンさんとの面会は意外と穏便に済んだ。もちろん彼女は俺の不摂生と体調を正直に申告しなかった事については
「めっ! ですよ!」
と言ってきたが、その口調と表情はさほど厳しいモノではなかった。
おそらくミガサさんの打った手――俺は昼まで完全に療養し、他の誰にも会わない――に満足しているのであろう。
むしろ俺の異変に気づかなかった自分自身を責めるような言葉まで口にしたので、それは流石に止めた。体調不良を隠したり、休むのを引き延ばそうとしたりしたのは俺なのだからね。
そんな面談が終わりナリンさんが去った後、俺の午前の時間は穏やかに流れ、遠く聞こえる練習の声に耳を傾けたりロビーさんと雑談をして終わった。
そして昼ご飯もここのベッドの上だった。『昼食まで』とミガサさんと約束したのは確かだが、それにお昼も含むとは思ってもいなかった。俺はてっきり、昼前に解放され食堂で皆と一緒に食事をとれると思っていたから。
いわゆる『以下と未満』の範囲の差、みたいなものだな。これは確認しなかった俺が悪い。因みに18歳以下だと18歳を含み、18歳未満だと含まない。つまり18歳未満は17歳以下ということになる。例えば俺が自伝を書くならば、内容の大半は18歳未満は閲覧禁止、17歳は読めないモノになるだろう。
いやならんわ! と心の中でツッコミつつ、俺は見目麗しいエルフの美女たちではなくケモケモらしいガンス族のロビーさんと一緒に食事をとるのであった……。
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