後ろの一人から前の一人へ
ゴール前に押し込まれたアローズのDFラインにおいて、最も出色の働きをしているのはガニアさんだった。スイーパーのポジションに入った奥様エルフは掃除人というポジションの名が示す通り、抜かれた他のDFのカバーへ走り、どちらのボールでもないこぼれ球へ最初に駆け寄りクリアし、シュートのコースへ身を投げ出していた。その姿は、ポロポロと口から食べ物をこぼしながら食事をする幼児の世話をする母親の様だった。
もともとアローズ屈指のDF能力を持つCBで昨シーズンの主軸である。しかも今日は特定のマーカーを持たず、俊敏なFWを追いかけ回したり屈強なCFと競り合いを続けたりして疲労する、という事も無い。その守備力と長躯をスイーパーの任務に全振りしていた。
……とフェリダエチームも思っていたのだろう。ボナザさんがこの日7本目のシュート――今日は前半32分でそれだけシュートを撃たれていた。FKも含むとは言え、実に5分に1本を越えるペースだ――をキャッチしガニアさんへスローした時も、猫人族の選手達は恐らく次の攻撃の事を考えていた。
「あのCBから中盤のサイドテールかぽっちゃりした娘にパスが出るニャろうから、ばーんと当たってニャニャっとボールを奪って、ドリブルしてシュートにゃ!」
みたいに。知らんけど。
だが実際にはガニアさんは大きくステップを踏んでその長い足を振り、レーザービームの様なパスをFWのリーシャさんへ向けて放った。彼女の事を守備専門の最後の門番だ、と思い込んでいたフェリダエ達は誰も、そのパスの軌道に入り込めなかった。
『よーし!』
そのパスはアローズ陣内右コーナーからフェリダエ陣内左サイドへ、ピッチを斜めに切り裂くように飛んだ。リーシャさんは彗星の尾の様にポニーテールを靡かせ疾走し、そのボールの行き先へ向かう。
『ガニアさん球筋が綺麗! ユイノより上手いんじゃない!?』
デイエルフの若武者は伸ばした右足の甲でボールをトラップ、そのままスピードを落とさずドリブルを開始する。その顔には不敵な笑みさえ浮かんでいた。
『しまったニャー!』
リーシャさんのマークを担当していた猫人のCBが遅れて追走する。ニャイアーコーチによるとフェリダエでは上手い奴すごい奴が前から順番にポジションを取ってしまい、何か欠点があったり自己主張が弱かったりする猫が後ろの役割をやる事になりがちという。
そんな原っぱで子供がやるサッカーみたいな決め方で!? と思うが実際にフェリダエの共和国は国土の大部分が草原だし、そのやり方でもサッカードウの王者として君臨している。たぶん案外、それが彼女らにとって適切な方法なのだろう。
それはさておき。まあ要するに何が言いたいかというと、今日のフェリダエのCBには明確な欠点があったのだ。
足が――あくまでもフェリダエにしては、ではあるが――遅いのである。
今日のリーシャさんのポジションは1TOP。つまりただ一名のFWである。クリアボールの回収からポストプレイからフォアチェックまで、自分だけで行わなければならない状況である一方、多大な利点もあった。
彼女の周辺には広大なスペースが開いているのだ。快速FWは無人の野を凄いスピードで駆け上がって行く。
『独りしかいない! 滑るな!』
ニャンガ監督が前に出て大声で何か叫ぶ。現役時代さらながの『闘将』らしい姿だ。リーシャさんを追走するCBへ指示を送っている気分なのだろう。もし彼女が選手だった時のポジション――2枚並べたボランチの守備的な方を担う事が多かった――にいれば、その声はDFにも聞こえたかもしれない。
しかし実際に今ニャンガ監督がいるのはテクニカルエリアで、その声は届かなかった。あとCBの足も、リーシャさんには届かなかった。
『決める!』
『どこかに……!』
PAの角付近で、リーシャさんは左足を振り上げた。ここからシュートか!? と思ったのであろう。彼女を追いかけていたCBは渾身のスライディングを行い、シュートコースへ入るべく芝生の上を凄い勢いで滑っていった。
『なんてね、バーカ!』
しかし、リーシャさんはシュートを撃たず左足で深い切り返しを行い、スケートリンクで転んだ選手の様に滑ってきたフェリダエのCBをやり過ごした。
『にゃにゃにゃんと!?』
この時、そのCBはリーシャさんのフェイントに気づいた時から両手の爪を地面に突き立てて減速しようとしていた。カトゥーンで床を滑った猫が嫌な音を立てながら急制動するアレみたいなものである。
その効果は……絶大であった。普通であれば数mはそのまま流されそうな身体が、ほんの1mほどで止まったのである。
『待て……にゃにゃ!?』
だが代償も大きかった。CBはすぐに立ち上がりリーシャさんを再度、追いかけようとしていた。切り返しつつ中をルックアップしたデイエルフは、まだそこまで離れていなかったのだ。
これは届くかもしれない! と思ったフェリダエ族は、何かに引っ張られてバランスを崩した。彼女をひっかけたのは他ならぬ彼女自身の両手、芝生に食い込んだ爪が伸びる前足である。
結果、猫人のCBは手がその場に残り足だけ前へ行く状態となり、マニアックなカポエラのキックモーションのような形で足を伸ばす事となった。
『きゃあ!』
その足は再加速しようとしていたリーシャさんの踵を後ろから蹴り飛ばした。
「ピピーッ!」
笛が鳴る。ドラゴンの審判さんが舞い降り指さした先はペナルティ・スポットである!
俺達は非常に幸運な形でペナルティ・キックを手に入れたのだ!
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