プリクエル 2 犬と陸上自衛官 後編
みなさん、おはようございます、こんにちは、こんばんは、お疲れさまです。
伊花が、施設に戻ったのは、昼食時間の終わり頃の13時過ぎだった。
「どうした、ムッちゃん。デートは、上手くいかなかったのか?」
肩を落としている伊花に、昼食終了時間まで粘って、食堂に居座っていたらしい金藤が、声を掛けてきた。
「バフッ?」
「大丈夫ですか?」
遅めの昼食を取っていたらしい津川とロンも、意気消沈している伊花に、心配そうに声を掛けてきた。
「・・・・・・」
「ま・・・まあ、何だ。昼飯は食ったか?まだなら、ゆっくりと飯を食おう。話はそれからだ」
金藤は、伊花の肩をポンポンと叩いて椅子に座らせると、伊花の代りに昼食をカウンターまで取りに行ってくれた。
「・・・実は・・・」
取り敢えず昼食を食べて落ち着くと、伊花は2人に朝から出掛けた理由を語った。
「そうですか・・・それは、残念でしたね」
昨日の夕方に出会った犬に、今日も出会えるかと思って公園に行ってみたものの、空振りに終わった事を、正直に告げた。
津川は、意気消沈している伊花を慰める言葉を、かけてくれた。
「バフッ!」
人間の言葉が理解出来るのか、それとも場の雰囲気で察しが付くのかは、わからないが、ロンも、伊花を心配そうに見上げている。
多分、「気を落とすな」と、言ってくれているのだろう。
「・・・・・・」
伊花は、無言でロンの頭を撫でる。
「・・・う~ん・・・放浪しているのか・・・それとも、公園に住み着いているのか・・・」
陽気な金藤も、真剣な表情で考え込んでいる。
「チーちゃん。何か気になる事でも?」
金藤のつぶやきに、津川は視線を向ける。
「いや・・・放浪しているのなら、もう何処かへ旅立ったのかもしれないが、住み着いているのなら、自分の縄張りを見廻っているって可能性があるかなと、思ったんだが・・・ムッちゃん、昨日と同じ時刻に、公園に行ってみたらどうだ?もしかしたら、会えるかもしれない」
真剣な表情と口調で、提案してくる金藤の言葉に、伊花の心が動く。
しかし・・・
でも、いなかったら・・・?
それを考えると、戸惑いを感じる。
会えなかったら、相当に落ち込むだろうと、想像出来るからだ。
「・・・・・・」
考え込んで、思考が悪い予想の方に向かっていって、さらに落ち込む伊花を暫く見ていた金藤だが、急に立ち上がると、伊花の腕を掴んだ。
「ムッちゃん。俺に付き合え!」
「へっ?」
「ヨッちゃん、また後でな」
「はいはい、いってらっしゃい」
阿吽の呼吸というか、ツーカーの関係というか。
有無を言わさず、強引に伊花を引っ張って連れ出そうとしている金藤を、津川は手を振って見送っている。
金藤が、伊花を連れて行ったのは、療養施設の側にある動物の保護施設だった。
「あっ!チーちゃん、いらっしゃい」
保護施設の職員らしい中年の女性が、気さくに声を掛けてきた。
「また、お邪魔させてもらうよ。それと、新入りのボランティアも連れて来た。ムッちゃんだ。よろしく頼むよ」
「い・・・伊花睦生です・・・」
取り敢えず、自己紹介はしたものの・・・伊花の脳裏には、幾つもの?マークがクルクルと回っている。
「そうですか、私は保護施設長の河野です。金藤さんには、いつも動物ボランティアとして、お手伝いしていただいて、助かっているのですよ」
ニコニコと、人好きする笑顔を浮かべて、河野が簡単に説明をしてくれた。
「・・・ボランティアですか・・・?」
昨日の談話室で、犬と戯れていた金藤の姿を思い出した。
「じゃあ早速、猫のトイレ掃除を、させてもらっていいかな?」
「はい、お願いします」
ただ、ただ伊花は、金藤に付いていくしかない。
猫の飼育室は、かなりの広さがある。
その広い部屋に、幾つもの猫用のゲージが置かれていた。
ゲージの扉は、開かれているものと開かれていないものがある。
ゲージの中にいる猫と、外に出て、日向ぼっこをしている猫、ウロウロと動き回っている猫がいる。
「保護されてきたばかりの猫は、人に対して強い警戒心を持っていたり、他の猫と上手くいかない場合が多い。ある程度、環境に慣れるまでは、ゲージの中だけで生活させるんだ」
「・・・そうですか・・・」
ゲージに閉じこもっている猫は、胡散臭そうな侵入者を見る目つきで、伊花たちを眺めている。
「ニャオ~ニャオ~」
1匹の猫が、伊花の足に纏わりついて来た。
「ニャ~ニャ~」
「ミャアミャア」
「ニャア~ニャア~」
そうすると、ゲージの外で屯している猫が数匹、同じ様に我先に、伊花の周囲に群がって来た。
「さて、ゲージの中に置いてあるトイレを、取り出してくれ」
伊花と同じ様に、猫に群がられている金藤だが、危な気ない足取りで、ゲージの側に近付き、扉を開けて、トイレを取り出している。
「あ・・・あの、チーちゃん・・・さん」
「何だ?」
やはり年上を、ちゃん付けで呼ぶのは、気が引ける。
かといって苗字で呼ぶと、金藤が嫌がる。
ちゃんの後に、さんを付けるという微妙な呼び方ではあったが、金藤は特に気に止めていないようだ。
「その・・・猫に纏わりつかれて、動けないのですが・・・うかつに動いたら、踏みつけてしまいそうで・・・どうしたら良いでしょう?」
「気にするな。猫の方が、避けてくれる」
「・・・・・・」
金藤に、言われて恐る恐る足を出してみると、猫はヒョイと伊花の足を落とす位置を予測して、躱している。
「・・・本当だ・・・」
「ほら、スコップで猫砂を掘って、糞を探してくれ。あったら、この袋に入れる。大体、盛り上がっている所にある可能性があるから、そこを中心に全体を攻めてくれ」
スコップを握って、金藤が手本を見せてくれた。
「・・・は・・・はい」
渡されたスコップを手に取って、伊花は同じ様に使って、トイレの中から糞を探す。
伊花が、スコップで糞の処理をしている間に、金藤は汚れた猫砂を撤去し、容器を綺麗に拭いてから、新しい猫砂を入れている。
「猫の排泄物の臭いは臭いと聞いていましたが、余り臭いがしませんね」
「最近の猫砂は、脱臭効果があるからな、それでも排泄直後は、かなり臭いがキツイぞ」
そんな事を話していると、モワ~ンと鼻に突く異臭が漂ってくる。
「あっ!?テメエ、やりやがったな!!?」
金藤が猫砂を取り換えたばかりのトイレに、猫が中腰の姿勢で、しゃがんでいた。
「ニャー」
黒白の猫は、「悪いか?」とでも言っているような声で鳴いた。
その態度は、太々しいという言葉が、ピッタリだ。
「ほらほら、用が済んだら、どいた、どいた。また、やり直しだ」
軽くグーパンチをシュッシュと繰り出す金藤に対し、猫は、猫パンチでペチペチと応戦している。
「あっははは・・・」
それが面白く、伊花は声を大きくして笑った。
「笑ったな!ムッちゃんにも、鉄拳制裁だ!」
笑いながら、金藤がグーパンチを伊花に向ける。
「すみません。でも・・・腹が痛い・・・」
金藤の拳を避けながらも、伊花は笑いが止まらない。
少し前まで沈んでいた気持ちが、嘘のように静まっている。
猫たちの世話に夢中になっていると、悪い思考は消え去っていた。
猫のトイレ掃除を終えた伊花たちは、次は犬が収容されている飼育室の掃除をする。
それが終わると、時間は16時を回っていた。
「さて・・・それじゃあ、ちょっと行ってみますか」
「はい?」
河野を始めとした、施設の職員たちから温かい労いの言葉を受けて、ほわっとした気持ちになっている伊花は、急に金藤に言われて、ポカンとした。
「公園だよ、公園」
「あ・・・」
「おいおい、しっかりしろよ。これから、彼女に会いに行くんだろう?」
「いや・・・その、オスかメスか、わかっていませんから・・・」
会話をしながら、公園へ足を向ける。
いて欲しい・・・
伊花は、心から願った。
何故、そこまで強く願うのかについては、伊花自身でも、理由が見つけられていない。
「・・・こいつは、聞いた話だから、どこまで信憑性があるのかは、わからないが・・・」
伊花の疑問を聞いた金藤は、顎に手を当てて歩きながら、持論を述べた。
「ペットを飼おうと考えて、ペットショップやブリーダー、保護施設が主催する譲渡会なんかに足しげく通う人が言うには、一緒に暮らしたいと思うペットには、ある種の信号のようなものが響くんだそうだ。何か、ビビッという感じで、電波みたいなものを感知するというか・・・心が通じるというか・・・アニメの台詞を借りるなら『君に決めた!』って、感じでな。ムッちゃんが、出会ったっていう犬を、そこまで気を掛けるってのは、そんな信号を無意識のうちに、感知したんじゃないかなと思うんだ」
「でも、僕は犬を飼った事はありません。犬どころか、猫も・・・精々、小学生の時にカブトムシを飼ったくらいです」
「誰だって、最初は初めてだ」
それは、そうだが・・・
取り留めのない会話をしているうちに、公園に着いた。
公園内は、昨日と同じ様に、ペットと遊んでいる人、駆け回って遊んでいる子供たち、遊歩道をジョギングする人たちの姿がある。
「・・・・・・」
そんな中を、伊花は昨日と同じ場所の、ベンチの所へ歩み寄る。
心臓が、ドキドキと早鐘のように鼓動を打つ。
「・・・あ・・・」
犬は、昨日と同じ場所に、お座りをしていた。
「・・・・・・」
逃げたりしないだろうか・・・?
不安を感じつつ、ゆっくりと近付いていく。
犬は動かず、ジッと伊花を見詰めている。
「良かった。また、会えたね・・・」
伊花は、話し掛けた。
「・・・・・・」
伊花は、しゃがんで目線の位置を落とす。
「・・・・・・」
「もし、良かったら・・・一緒に来ないか?」
「・・・・・・」
犬は、暫く伊花と視線を合わせていたが、スッと立ち上がると、伊花の側に寄り差し出された手を舐めた。
「よっしゃあー!」
それを、少し離れた所から見守っていた金藤が、ガッツポーズで声を上げた。
「・・・ありがとう」
伊花は、そう言って犬の頭を撫でた。
犬は、気持ちよさそうに、目を細める。
「コニーで、どうだ?」
「いや、ここは定番のタロウか、ジロウだろう」
「いやいや、やっぱり見た目が大事だから、コロでいいんじゃないか?」
療養施設の談話室では、入居者が総出で、伊花の連れ帰って来た犬の名前を考えるのに、意見を交わしている。
「は・・・ははは・・・」
まさか、ここまで大騒ぎになるとは予想も付かなかった伊花は、乾いた笑いを浮かべるしかない。
伊花は、連れ帰った犬を飼う許可を、施設長に得るために戻ってすぐ、事務所に向かった。
それを目にした、他の入所者が興味津々で集まって来たという訳だ。
「まあまあ、皆さん。ここは飼い主になる、伊花さんの意見を尊重すべきでは?私は個人的に、ロンの弟という事で、マロンを提案しますが・・・あの犬の毛色は茶色がかった栗色ですし、名は体を表すという事で・・・」
何気に津川も、意見を言っている。
「それなら普通に日本語で、クリでもいいじゃないか?それか・・・思い切ってキラキラネームを付けてもいいんじゃないか?好きな芸能人の名前でもいいし・・・」
「いや、オスなんだから、男らしい名前が良いだろう。戦艦とか巡洋艦とか・・・[大和]や[武蔵]だと、ちょっと名前負けするかもだから、駆逐艦とかで[夕立]とか[雷]、[球磨]も良いな」
「海軍縛りは、やめろって、伊花君は陸自出身なのだから、陸軍航空隊に因んで、[隼]とかでも良いんじゃない?」
議論は、続いている。
因みに、伊花が連れ帰った犬だが・・・療養施設に入所する前からペットを飼っている入所者もいる。
津川も、そのクチである。
そのため、施設はペットの飼育は可ではあるのだが、共同施設であるため、色々な手続きもいる。
犬なら、狂犬病や感染症のワクチン接種が義務付けられているし、フェラリアやバベシア症といった、蚊やマダニ等が媒介する感染症に罹患していないかという検査を受ける必要がある。
そのため伊花は早速、犬を近接の動物病院へ連れて行ったのが、各種の検査のため今日は、動物病院に、お泊りとなった。
いきなり独りぼっちにしてしまうのは、少し申し訳なかったが、これから新しい環境で気持ちよく過ごしてもらいたいので、我慢してもらうしかない。
それに犬を飼うのに必要な用具も揃っていないので、それを揃えるためにも、仕方が無い。
何が必要かは、津川や動物病院のスタッフに聞いてリストに纏めている。
明日、一番に買い揃えようと思っている。
それよりも・・・
犬の名前を決めるだけなのに、入所者の間では、飼い主になる伊花をそっちのけで、議論が白熱している。
「まあまあ、皆さん。議論に熱が入るのはよろしいですが、先ずは伊花さんに、意見を聞いてみませんか?」
余りに、賑やかだったのだろう。
談話室を覗きに来た施設長が、会議の議長のように場を取り仕切る。
「確かに・・・」
「すっかり忘れていた・・・」
名前を考えるのに、夢中になって本質を忘れてしまっていたらしい・・・
「悪い、ムッちゃん・・・」
「い・・・いえいえ・・・あははは・・・」
何と言えばいいのかわからず、伊花は引き攣った笑みを浮かべるしかない。
「で、ムッちゃんとしては、どんな名前を付けたいんだ?」
「え・・・ええと・・・」
金藤に振られて、逆に驚いた。
全員に注目されて、狼狽える。
「・・・そ・・・そうですね・・・ジャッキー・・・に、しようかな・・・とか・・・」
視線の集中砲火に、伊花の声が段々小さくなる。
じっくりと考えた訳では無いが、フッと思い浮かんだ名前を口にしただけだったが・・・
「ジャッキーか、いいんじゃないか!」
金藤が賛成し、津川が拍手をする。
それに合わせるように、全員が拍手をする。
意外に好評だったようだ。
「あははは・・・」
その輪の中で、伊花は頭を掻きながら照れ笑いを浮かべた。
翌日。
動物病院に向かった伊花は、シャンプーとトリミングをされて、見違えるように綺麗になったジャッキーと顔を合わせる。
「とっても、良いコでしたよ」
トリミングをしてくれたらしい看護師が、笑顔で声を掛けてくれた。
「はい、ありがとうございます」
看護師に、買って来たばかりのリードと首輪を預け、獣医から話を聞くために、診察室に向かう。
「フェラリアもバベシアも陰性でした。狂犬病のワクチンを接種していますので、今日は1日、余り運動をしないように、様子を見ていて下さい。何か様子がおかしいと思ったら、すぐに連れて来て下さい」
「はい」
ワクチン接種後の注意事項の説明を受け、一か月後の混合ワクチンの予約をしてから、動物病院を後にする。
元野良犬とは思えない程、首輪やリードを嫌がらない様子のジャッキーを連れて、療養施設に戻った。
「バフッ!バフッ!」
療養施設の玄関では、津川とロンが出迎えてくれた。
「クン、クン」
ジャッキーとロンは、鼻と鼻を付き合わせてから、お互いの、お尻の臭いを嗅ぎ合っている。
「どうやら、仲良く出来そうですね」
2匹の行為の意味を知っている津川が、笑みを浮かべている。
「津川さん。僕は、飼い主初心者なので、色々教えて下さい」
伊花は、笑顔で津川に語り掛ける。
「もちろんですよ」
これが、偶然であるのか、運命であるのか、この出会いに付いて答を出すのは人間では出来ない。
ただ、少なくとも伊花にとっては、未来に向かって一歩を踏み出す切掛けとなる、運命的な出会いであった。
翌年1944年(昭和19年)。
原隊復帰を果たした伊花は、新世界連合軍総司令部が新設した、直轄部隊へ配属される。
その伊花の側には、ジャッキーが常に、付き添っていた。
もちろん、伊花の心の傷は癒えた訳では無い。
だが、生涯忘れ得ぬ最愛の友であるジャッキーの存在が、伊花に、未来を真っ直ぐに見据えて進む力を与えるのだった。
プリクエル 後編をお読みいただきありがとうございます。
誤字脱字があったと思いますが、ご了承ください。
次回の投稿は11月22日を予定しています。




