撥雲見天 第16章 流れ落ちる星 2 闇を切り裂く銃声
みなさん、おはようございます、こんにちは、こんばんは、お疲れ様です。
カリフォルニア州サンディエゴ市。
9月初旬。
晴れていれば、何処までも高く澄み切った青い空に、心が洗われるように感じられる季節なのだが・・・
その日は朝から、あいにくの雨で、鈍色の空から無数の雫が降り注いでいる。
そんな中、雨に濡れる歩道を、傘を差して歩いている1人の人物があった。
連合国アメリカ合衆国連邦議会上院議員で軍事委員会委員の、ジュード・ウォール・ホイルである。
4日後には、サンディエゴ軍港に、帰還兵を乗せた輸送船団が帰港する。
ホイルは、輸送船団と共に来訪する特使団との交渉に臨む、上院下院の両議院議員から成る交渉メンバーに選抜されている。
交渉メンバーに先駆けて、ホイルは現地入りをしていた。
どうしても訪れたい場所が、あったからだ。
ホイルが歩みを止めた場所には、2つの小さな墓石が、並んでいた。
「・・・スティーブ・・・ホリー・・・」
片手に抱えた花束を、それぞれの墓に供えながら、ホイルは生きている人を相手にするように話しかける。
「君たちに、悲しい報告をしなくてはならない・・・君たちの忘れ形見であるシンディーが、亡くなった・・・」
小さなつぶやきは、降り注ぐ雨音に、かき消される。
「・・・すまない・・・スティーブ・・・シンディーの結婚式には、君の代わりに私がシンディーの父親役で、バージンロードを歩むと約束していたのに・・・叶えられなかった」
沈んだ声で、ホイルは言葉を紡ぐ。
シンディー・プラウトンが、反戦団体の集会の最中、中止させようと乗り込んで来た州兵部隊との諍いで、命を落としたと連絡を受けた時、ホイルは足元が崩れるような衝撃を受けた。
彼女と、彼女が立ち上げた反戦団体が、州知事からの中止命令を無視して、集会を強行したために起こった悲劇である。
その州政府と、州兵部隊の発表を、ホイルは信じていない。
プラウトンの反戦活動を、最初の段階から支援していたホイルは、彼女が決して、そんな事はしないと知っている。
彼女は、愛する存在を奪われる、失うという事が、どれだけ悲しい事かという事を知っている。
そんな彼女が、自分の思いと願いを供に実現しようと集った、反戦団体の仲間たちの命を危険にさらすような行動に出る訳が無い。
「・・・私は、この事件を過ぎ去った過去の出来事にはしない・・・どれだけ時間がかかろうと、必ず真実を突き止めてみせる・・・その前に、私は私に出来る事で、彼女の願いを引き継ぐつもりだ。空の上から見ていて欲しい。この立ち込める雨雲を払い、青空を、合衆国に取り戻してみせる。シンディーの志を、叶えてみせる」
静かな声であったが、力強くホイルは、今は亡き親友と、その妻に語りかけた。
プラウトンの遺体は、事件から1週間近く経った今も、故郷であるサンディエゴに、まだ戻って来ていない。
彼女が故郷に帰って来る手続きを、ホイルは行っているが、アメリカ全土に広がっている混乱が、それを阻んでいるのが現状である。
「・・・少し待っていて欲しい。君たちの元に、シンディーが帰って来るのを・・・少しでも早く、シンディーを君たちの側で、眠らせてあげたい」
そう告げて、ホイルは親友たちの肩を優しく叩くように墓石を叩くと、名残惜しそうに視線を漂わせて、その場を後にした。
当時、もっとも大変な思いをしていたのは、カリフォルニア州とサンディエゴ市の政治に、関わっていた者たちだろう。
帰還兵を出迎えるだけでも、色々と大変であるのに、同時に特使団を出迎えて、その安全確保に気を配らなくてはならない上に、連邦政府からの要人を出迎えねばならない。
州内の治安を維持するのは、至難の業であった。
サンディエゴ海軍基地の関係者との協議で、特使団と交渉団の会談は、海軍基地内で行う事が、決定された。
州政府と州議会は、会談期間中と、その前後はサンディエゴ市内に限定してではあるが、終日戒厳令を発令し、外出許可証を発行し、それを所持していない者は外出禁止にする事を、サンディエゴ市議会に通達し了承を得た。
何しろ、連日のように州内で起こる、主戦、反戦両団体のデモや暴動、メキシコへ避難しようと、正規の手続きを踏まずに不法入国しようとして、メキシコの国境警備隊に拘束される市民たちへの対応に、アメリカの国境警備隊や警察官、保安官は、右往左往している状態である。
「いくら海軍基地があるからと言っても、こんな余計な仕事を押し付けるとは、迷惑極まりない事だ!何処かの洋上なり、中立国で、勝手に会談でも何でもやってくれ!!」
州政府の、とある職員が、大量の書類に囲まれた状態で、喚いたそうだ。
彼らの嘆きは、会談に向けての前準備として、処理しなくてはならない様々な案件が、増えただけでは無い。
サンディエゴ海軍基地で、スペース・アグレッサーとの会談が行われるという事を、どこからともなく聞きつけた主戦派団体からは、多数の中止を求める電話や手紙が、ひっきりなしに州や市の各行政機関の部署に届いている。
それが、単純な抗議であるなら、まだ理解出来なくは無いが、その内容が多分に脅迫や犯罪予告めいた内容を含んでいるとなれば、話は別である。
当然、警察機関等に届け出る、相談をする等、法的措置の手続きを取るために、通常の業務への支障が出始めている。
明らかに、処理能力の限界を超える超過勤務を肉体的にも精神的にも強いられる羽目になっている職員たちの疲労や不満は、既に限界に達していた。
それは、一般の市民たちも、同様であった。
終日に亘って敷かれている戒厳令のせいで、日常生活が圧迫されている。
それこそ、一応期間を限定されているとはいえ、仕事に出かけるにも、日々の生活のための買い物をしようにも、外出の許可を得るための許可証を、役所に申請するために訪れても、肝心の役所が別件の対応を強いられて、受付も電話もパンク寸前では、どうにもならない。
これでは、一般人のフラストレーションは溜まる一方で、何処に怒りをぶつければ良いのか、わからない市民たちが、いつ暴発してもおかしくない状態であった。
『・・・あの時は、降って湧いたような混乱の連続で、パニックに陥っていたから気付かなかったが・・・何か、悪い事が起きるような・・・そんな、嫌な予感というか、違和感があった』
後になってなら、誰でも言うよな・・・と、言いたくなる陳腐なセリフを、多くの人々が口を揃えて言う事になる、全米を驚愕させる事件が発生する。
9月最初の日曜日に起こった事から、それは後に、『雨の日曜日事件』と、呼ばれるようになる。
深夜。
土曜日の朝から降り始めた雨は、未だ止む気配を見せず、むしろ雨脚は激しさを増している。
戒厳令下であるという事でもあるが、時間も時間という事もあり、サンディエゴ市内は、人っ子一人いない、ゴーストタウンのように、静まり返っていた。
そんな雨の夜の道路を走って行く、3台の車があった。
「・・・間もなく、午前0時ですね」
「・・・・・・」
真ん中を走る車の後部座席で、走り去る街灯の光で腕時計を確認した補佐官の言葉に、ルーズベルトは、無言だった。
「・・・しかし、今回の特使団との交渉会談に、大統領が直接出向かれるというのは、本当に、よろしかったのでしょうか?副大統領も、国務長官も、司法長官も、反対なさっていましたのに・・・」
「彼らが反対するのは、当然だろう。ニューワールド連合の特使団と言っても、今回やって来るのは、言ってみれば先遣の特使団。何の事務的な事前交渉も無しに、私が直接交渉に加わるのは、我々が譲歩していると侮られると、心配しての事だろう」
「・・・そこまで、判っていらっしゃるのなら・・・」
何故?という疑問を表情に浮かべる補佐官に、ルーズベルトは目を閉じた。
「・・・我々を、ここまで追い詰めた相手が、どのような者たちか、君は興味を持たないかね?」
「ま・・・まあ、確かに・・・」
ルーズベルトの言わんとする事は、理解出来る。
補佐官も立場上、未来人と会った者たちの話も聞いている。
ニューワールド連合とやらには、多くの未来のアメリカ人も参加しているそうだ。
もしも、戦争状態で無ければ・・・もしも、自分の子孫がいるのなら、会って話してみたいという興味も、気持ちも、個人的に多少は、持っている。
残念ながら、子孫と会ったという者は、存在しないが・・・
「確かに・・・司法長官は、強硬に私が直接会談の場に行く事に、反対を主張していたが・・・」
時間が十分で無かったため、ルーズベルトは電話での会談で、連邦政府の要人たちに、今回の自分の行動を告げた。
もちろん、全員に反対された。
司法長官が、ことさら強く反対を進言したのは、FBI(連邦捜査局)からの報告で、先日の某州で起こった反戦団体と州兵部隊の衝突した事件の時に、州知事は州兵部隊に武力鎮圧を命じたが、ルーズベルトが大統領命令により、連邦軍を投入して事実上武力鎮圧を防いだ事に付いて、主戦派団体(特に過激な主張をする団体)は、強い不満を抱いているという事を、知っているからだった。
万が一にも、大統領の動向が彼らに伝わりでもすれば、最悪、それを阻止するための、破壊行動に出て来る可能性がある。
あまりにも危険過ぎる。
そう、司法長官は主張した。
その意見は、もっともだと思う。
だが、今の国内の状況を考えれば、悠長に構えてはいられないのだ。
声高に自分たちの主張を叫ぶ、主戦派、反戦派の人々、侵略の恐怖から逃げ惑う人々を、落ち着かせるためにも。
自分が、一刻も早く国民に向けて、メッセージを送らなければ・・・その意志を、ルーズベルトは、粘り強く伝え続けた。
司法長官との電話会談は、2時間を超えて行われたが、最終的に、何とか説き伏せる事が出来た。
もちろん、ある程度には司法長官の心配を、和らげるための配慮はしている。
潜伏先からサンディエゴまで、空軍の輸送機を使って、現在軍の管理下に置かれている、サンディエゴ国際空港まで移動をし、深夜になるのを待って、サンディエゴ海軍基地に近い場所にあるホテルまで車輛で移動する。
とにかく、お忍びであるから護衛の車輛も2台にして、可能な限り目立たないようにしている。
ルーズベルトが、今、サンディエゴに来ていると知っているのは、連邦政府の少数の要人と、連邦軍関係者の極一部、カリフォルニア州政府、サンディエゴ市政府の極一部の人々に限られている。
「!!?」
先頭の車輛を運転していた運転手は、雨で視界が効きにくい中、何か道路を横切ろうとしているものに気付き、急ブレーキを掛けた。
「・・・人?」
激しい雨の中を、濡れ鼠になった姿で、プラカードを掲げた人々。
車のヘッドライトに照らされたプラカードに書かれた文字から、主戦派の団体らしいという事が、わかる。
「車道に出て来るのは危険だ!道を開けなさい!!」
先頭車の助手席に座っていた、大統領警護官が怒鳴る。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
プラカードを掲げた団体は、道を封鎖したまま、無言でこちらに視線を送って来る。
「戒厳令で、夜間外出は禁止されているはずでは無いか!?市警察は、何をしているのだ!?」
後部座席に座っている警護官も、苛立つような口調で怒鳴っている。
ププーッ!!ププーッ!!ププーッ!!
運転手も警告するように、強めにクラクションを鳴らした。
恐らくは、パトロールで巡回しているだろう、警察官の目を盗んでの行動だろうと思われる。
クラクションの音を聞きつけて、別の場所を巡回している警察官が、駆け付けて来るかもしれない。
このクラクションを聞きつけた住民が、異変を感じて警察署に通報するかもしれない。
外出禁止令を破っての行動であるから、警察官に逮捕されるのを恐れて、逃げ出すかもしれない。
それを期待して、クラクションを鳴らしたが、団体は、ピクリとも動かない。
「後ろにも、人が!!」
気が付けば、車列の前後を塞がれていた。
人数にすれば、ざっと50人は下らないだろう。
只々、無表情で土砂降りの中、プラカードを掲げて自分たちに視線を送って立ち尽くす人々の姿に、運転手は得も言われぬ恐怖を感じた。
「・・・仕方が無い」
後部座席の警護官がドアを開けて、外に出た。
説得・・・場合によっては、力尽くでも、進路妨害を排除するつもりだった。
「どけっ!!邪魔をするな!!この団体の責任者は誰だ!?」
1人の警護官は、強い口調で叫び、もう1人は不測の事態に備えて、スーツの脇の下にある拳銃を、いつでも抜けるようにしていた。
が・・・
「この団体の責任者は、誰だ!!?」
手近の1人に歩み寄り、怒鳴るように問いかける警護官に、問いかけられた男は、いきなり手にしたプラカードを、警護官の顔面に叩きつけた。
「グワッ!!」
強かな打撃を喰らった警護官は、顔を押さえて倒れた。
「何をする!?」
拳銃を抜いた警護官は、暴力を働いた男に銃口を向けた。
「やめたまえ!!」
ルーズベルトは、車から降りると叫んだ。
「国民を、傷つけてはならない!!」
「大統領!!危険です!!」
補佐官は、ルーズベルトを車内へ引き戻そうと、腕を掴んだ。
パン!!
一発の銃声が響いた。
「!!?」
「!!!」
「!!?」
ルーズベルトの身体が、力を失って、ゆっくりと崩れる。
「大統領!!?」
何が起こったのか、わからない・・・
そんな、驚きの表情を浮かべたルーズベルトの胸元に、赤黒い染みが広がって行く。
「大統領!!!?」
補佐官は、悲鳴のような叫び声を上げた。
「・・・!!・・・!!・・・急げ!!!全速で突っ切れ!!!早く、大統領を病院へ、お連れしろ!!!」
最後尾の車から降りて来た警護官が、拳銃を構えて叫ぶ。
「くっ!!」
先頭の車の運転手は、思い切りアクセルペダルを踏み込んだ。
何回か、鈍い衝撃を感じたが、そんな事を気にしている余裕は無い。
倒れたルーズベルトを乗せた車が後ろから付いてくるのを、バックミラーで確認し、運転手はアクセルペダルに乗せた足に、力を籠める。
撥雲見天 第16章をお読みいただきありがとうございます。
誤字脱字があったと思いますが、ご了承ください。
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