インテルメッツオ 現の夢 前編
みなさん、おはようございます、こんにちは、こんばんは、お疲れさまです。
「めえぇぇぇぇん!!!」
気合いの入った裂帛の声と共に、石垣達也2等海尉は、竹刀を振り下ろした。
が・・・
「どおっっっ!!」
それを超えるスピードで繰り出された竹刀が、石垣の竹刀を跳ね上げ、空いた脇腹に衝撃が走る。
「胴あり!!!」
審判役を務めていた、兵曹長の片手が上がる。
「「「おおぉぉぉ!!!」」」
周囲から歓声が上がる。
「勝負あり!!」
審判の声が再び上がる。
「ふぅ・・・」
面を外しながら、石垣は大きく息を付いた。
「どうぞ、中尉殿」
勤務服姿の水兵が、水の入った湯飲みを、差し出してきた。
「ありがとう」
礼を言って受け取った石垣は、湯飲みに入った水を、一気に飲み干した。
常温より、少し低い温度の水である。
口の中に、甘さと僅かな塩辛さが広がる。
石垣が口にした水は、普通の水では無い。
飲む点滴とも言われる、経口補水液である。
ここは、大日本帝国統合軍指揮艦[信濃]の全通甲板の一画である。
[信濃]は、他の艦隊と共に、ハワイ諸島近海の洋上にある。
ギラギラと輝く太陽が、容赦無く照りつける中での、剣道の鍛錬である。
剣道の防具を一式身に纏えば、とてつもない灼熱地獄と言って良いかもしれない・・・
80年後なら、PTAやら何やらから、こんな酷暑の中で剣道をするとは怪しからん!!と、大クレームが来そうだが・・・
根性だけでは無いと思うが、石垣の反対側で正座をしている一群は、この暑さにも拘わらず、面を付けた状態で、微動だにしない。
その中央では・・・
一見すると、小学生か?と思うような、小柄な体格の人物が試合形式で、男達を相手にしている。
その小学生か?と言いたくなる人物が、大人から次々と一本を取っていく様は、爽快と言って良いのか(石垣も、一本取られた人なのだが)?
因みに、今回の鍛錬に参加しているのは、普段は水兵たちに、剣道等の武道の鍛錬を指導している下士官や下級士官たちなのだが、なぜそうなったかというと、石垣が聞いたところでは、[信濃]の酒保店長で、剣道技官の桐生明美に指導を受けた水兵たちが、メキメキと腕を上げるのを見た彼らが、「水兵たちばかりが、指導を受けるのは、ズルい!!」と、言ったとか、言わなかったとか・・・という事らしい。
「まあ、どっちでも良いか・・・」
そうつぶやきながら、自分の側で観戦している水兵に、水をもう一杯頼もうとしたのだが、水兵の方は、桐生の雄姿に見とれているのか、「お母さん、すごいや・・・」と、何度もつぶやいて、石垣の事など眼中に無い。
桐生は、若い水兵や下士官に、母親のように慕われている。
[信濃]の酒保は、町中のコンビニ程の広さは無いが、それでも戦艦[大和]や[武蔵]の酒保のスペースに比べれば、遥かに広い店舗スペースが取られている。
桐生が酒保で勤務している時間は、若い彼らで、ごった返した状態で、もの凄く狭く感じる程だ。
どういう訳か、桐生を天敵認定しているらしい、氷室匡人2等海佐は、その様子を見て、「桐生さんの息子が、増殖している・・・」等と、宣っていた。
そんな感じで、皆のお母さんの、別の雄姿が観られるのだ。
水兵が、夢中で観戦するのも、仕方が無い事かも知れない。
「・・・・・・」
諦めて、石垣も正座のまま、観戦をする事にした。
しかし・・・
試合形式での稽古であり、本来なら三本勝負のところを、一本勝負でやっているため、1人当たりの試合の時間は短いのだが、これまで10数人を相手にしているにも拘わらず、桐生は、まったく疲れを見せていない。
「・・・どこに、あんな体力あるんだろう・・・」
とてもついて行けないと、呆れ半分の石垣の視線の先では、体格は石垣と同じくらいの士官と対峙している桐生の姿がある。
技量は桐生の方が上でも、体格差では士官の方が有利だ。
その上、動きも桐生に匹敵する。
(・・・これは・・・見応えあるな・・・)
思わず石垣は、身を乗り出した。
士官の方は、自分の有利な点を生かして、接近戦に持ち込み、鍔迫り合いで桐生の動きを封じ、力業で押し切る戦術を取っているようだ。
が・・・
絡みついた竹刀を、強引に桐生は払い除け、士官を突き放す。
「!!?」
それまで、素早い動きで、相手の隙を突く形で一本を取っていた桐生が、強引な力業に転じるとは思っていなかったのか、虚を突かれた形で、士官の動きが止まった。
・・・!!
両腕が上がり、がら空きになった胴に、竹刀の打込まれる音が響く。
「胴あり!!」
審判の片手が上がる。
「・・・あと、もう少し竹刀の先を上に上げる気持ちで、構えてみて下さい」
「打込む時に、もう一歩前に出るつもりで、踏み込んでみて下さい」
一通り稽古が終わると、桐生は手合わせをした下士官や下級士官1人1人に、アドバイスをしていた。
「石垣君、以前よりずっと動きが良くなったわよ。打込んでくる時の竹刀の振りも鋭くなったし、地道に毎日、素振り1000本を続けていた甲斐があったわね」
「・・・はぁ・・・」
そんなものかな?と思いつつ、石垣は答える。
「ホント、初めての立合いで稽古を付けた時に、いきなりお星様になって飛んで行った時は、どうしたものかと思ったけれど・・・」
「なっていません!!」
軽い冗談口調で語る桐生に、思わず突っ込みを入れる。
石垣の心中では、ある意味黒歴史になっている出来事なのだが・・・
まだ聯合艦隊第1艦隊の旗艦[大和]に乗艦していた時、初めての立合い稽古で、桐生に突きを喰らって吹っ飛ばされて気絶した事があった。
石垣の身長は、175センチ、体重は最近量っていないが70キロ位は、多分ある。
対する桐生は、聞いていないので分からないが、見た目身長は、150センチあるかないか位だ。
体重は・・・年齢に拘わらず、女性に体重とスリーサイズを聞くのは、地雷原に足を踏み入れるより危険だというのは、姉と姉の様な女性で経験し、理解しているので想像するしかないのだか、桐生は細身ではあるが、結構鍛えられているので、見た目よりは体重はあるだろう。
あっても、400ミリリットル献血が出来ない位の体重だろう。
その体格差で石垣を吹っ飛ばしたのだから、桐生のパワーは相当である。
それを見ていた水兵たちが、「5メートルは飛んだ!」「いや、10メートルだ!」と、何故だと言いたくなる論争をしていたが、それは、それほど彼らにとっても、インパクトが強かったためだろうと思われる。
相当、話が盛られているが・・・
そこまでは良い・・・石垣にとって黒歴史なのは、その後だった。
その後、直ぐに医務室に運ばれたのだが、運んだのが桐生で、しかも・・・俗に言うお姫様抱っこで・・・だったそうだ・・・
世の乙女たちが憧れる、お姫様抱っこ・・・その逆バージョンである。
その、有り得ない光景を見た軍医は、目が点になったそうだ・・・
後からその事を聞いた石垣は、恥ずかしさで穴があったら入りたい位だったのだが、この事で、からかわれたりはしなかった。
何故か、水兵たちからは、やたらに羨ましがられたが・・・
「・・・慌てていたから・・・でも、火事場の馬鹿力って本当にあるんだなって・・・」
後に桐生は、惚けた表情と口調で、石垣にそう語った。
深夜。
無人の女性居住区の談話室で、メリッサ・ケッツァーヘル少尉は、自分の所属しているニューワールド連合軍連合陸軍情報コマンドへの報告書を作成していた。
「メリッサちゃん」
酒保の勤務の後なのか、エプロンを外した白のカッターシャツと黒のスラックス姿の桐生が声を掛けてきた。
「はい、何でしょう?」
「少し・・・良いかしら?」
「良いですよ」
メリッサは、報告書を作成していたノートパソコンを閉じる。
「ありがとう。忙しいのに、申し訳ないわね」
そう言いながら、メリッサの前に座った桐生は、酒保で買ってきた缶コーヒーを、メリッサに手渡す。
「・・・石垣君の事、なんだけど・・・」
缶コーヒーのプルトップを開けながら、桐生は単刀直入に本題に入る。
「マレーのジットラ・ライン攻略戦の前に、石垣君が参加した不正規作戦があったそうだけど・・・その戦闘で、軽度の戦闘ストレスを発症したとか聞いたけれど・・・その後の経過は、どうなのかな?」
「石垣2尉からは、何も・・・軍医の経過観察の話も聞きましたが、特に問題は無いと・・・」
「・・・そう」
「何か、気に掛かる事でも?」
桐生の浮かべた表情を見て、メリッサは問いかける。
「・・・今日、久し振りに稽古を付けた時に、少し・・・気に掛かるという程では無いのだけれど・・・引っかかるというか・・・動きも技量も、最初に稽古を付けた頃に比べれば、上がってきているのだけれど、打込んでくる時に、僅かに迷いのようなものがある気がして・・・気になったんだ・・・」
「・・・・・・」
「剣道の試合っていうのは、お芝居や時代劇の映画やドラマの殺陣と違って、観せるものとは違うから、それこそ、対戦者と対峙してお互いの僅かな隙を突いて一本を取る。技量も必要だけれど、それ以上に相手に惑わされず刹那を見切る強靱な精神力も必要・・・まあ、武道全般そうなんだけれど・・・石垣君、刹那で仕掛ける時に、一瞬の躊躇いみたいなのが見えたから・・・」
桐生の意見を聞いて、メリッサは、なる程と思った。
桐生は、自分たちとは違った視点から、石垣自身でも気が付いていない問題点に、気が付いたのだろう。
あの不正規戦闘の後で、石垣は、自分の手で敵兵を殺傷してしまった事、命を奪ったことに、深い罪悪感を抱いていた。
メリッサも、そういった罪悪感に苦しむ軍人たちを知っている。
中東、アフリカ、その他の紛争地域に派遣され、心に闇を抱えて苦しんでいる人々・・・
だから、任春蘭中尉や側瀬美雪3等海尉と協力して、石垣の心のケアを注意深く行なってきたのだが・・・
側瀬が、子供っぽい悪ふざけを石垣に仕掛けるのも、任が石垣を弄っているのも、そのためだった・・・
最近は、以前と同じ様に感じられていたので、安心していたのだが・・・
メリッサの表情が、僅かに曇る。
「あっ、でもね・・・石垣君にとって重要なのは、ハリマオさん・・・谷豊氏との約束を、果たした事。これ・・・もの凄く大事だから。この自信が、石垣君を支えている。それに、メリッサちゃんたちもいるし・・・だから、気にはなったけど、心配はしていないんだ。時間は掛かっても、必ず乗り越えられるって。だって、こんな美人さんたちに囲まれていたら、オバサンだって俄然張り切っちゃうよ!」
「別に、心配なんかしていません!」
軽い冗談交じりの口調で語る桐生に、メリッサはプイッと横を向いて、コーヒーを口に含んだ。
「あれ?石垣君の事、好きなんでしょ?」
「ブウゥゥゥゥッ!!!」
桐生の投下した爆弾に、メリッサは、口に含んだコーヒーを噴き出した。
「あらあら、大変」
「い・・・いきなり、藪から棒に何を言うんですかっ!!?」
ゲホッゲホッと咳き込みながら、メリッサが抗議の声を上げる。
「シーッ。寝ている人達が、起きて来ちゃう」
「・・・・・・」
顔を真っ赤にして、口を押さえているメリッサを尻目に、桐生は床やテーブルの上に散ったコーヒーを、布巾と雑巾で拭いていた。
「・・・何だかんだで、放っておけないんだよね、石垣君って。真面目だし、何事にも一生懸命だし・・・たま~に、大ボケをブチかますけれど・・・だから、ついつい余計な、お節介を焼きたくなるんだな・・・」
褒めているのか、貶しているのか・・・非常に判断に困る、コメントである。
「・・・うちの息子の父親に、どこかソックリなんだな・・・」
思い出すように、遠い目をして語る桐生に、少し興味をそそられた。
「桐生さんの旦那さんって、どんな人なのですか?」
これ以上、石垣関連で、話がややこしくならないうちにと、メリッサは話題を変える。
「・・・顔だけが取り柄かな。馬鹿だし、礼儀知らずだし、ドスケベだし・・・」
ダメ出しが少し酷く無いですか?タツヤは、そこまでダメダメでは無いです・・・
内心でそう思ったが、桐生の表情は優しい。
言葉は悪口なのだが、惚気ているように感じられる。
「旦那さんは?」
「もう、いない・・・この世の何処にも・・・」
「あっ!!すみません・・・」
言葉の意味を理解して、メリッサは頭を下げた。
「いいの、いいの。気にしないで。もう、随分昔の事だから・・・」
パタパタと片手を振って、桐生は笑った。
「まあ、いずれあの世で再会出来ると思うけど・・・ちょっと心配なんだな。あの人、もの凄い女好きだったから、あの世で美人さんを片端から口説きまくって、ハーレム作って、私の事なんか忘れていたりしてって・・・」
「プッ!」
思わずメリッサは、噴き出した。
「・・・石垣君の事を聞いて貰っていたのに、無駄話まで聞かせて、ごめんなさいね。でも、オバサン安心しちゃった。メリッサちゃんみたいな、強くて優しい娘が側にいれば、絶対大丈夫って・・・」
「そんなのじゃ、ありません!」
「まあ、石垣君も鈍感な所があるから・・・苦労するかも・・・」
「桐生さん!!」
「あはははっ。照れない、照れない」
そう言って、桐生は片付けをすると、談話室を後にした。
「・・・もうっ!」
桐生さんには敵わない・・・そう思った。
「997・・・998・・・999・・・1000!・・・ふぅ~終わった・・・」
夜の全通甲板の後部の一画で、石垣は1人、日課の素振りをしていた。
「いや~・・・精が出るね~・・・感心、感心」
どこかふざけた口調で、氷室が声を掛けてきた。
「ほい。ご褒美のスポーツドリンク!」
「あ・・・ありがとうございます・・・」
スポーツドリンクを手渡され、ぎこちなく礼を言う。
「毎日、毎日、素振り1000本。大変だね~」
「最初はキツいと思っていましたが、慣れると逆に、やらないと落ち着かなくなるんです。それに、無心で素振りをしていると、心が落ち着いてくるというか・・・氷室2佐も、いかがです?2佐も、幹候時代に剣道をされていたんでしょう?」
「・・・いやいや、僕もまだ若いつもりだけど、君ほどは若くは無いからね。僕がやったら、100回ぐらいで、へばりそうだ・・・だから、遠慮しておくよ」
そう言いながら、氷室は[信濃]が描く白い航跡の彼方を、額に手を翳して眺めている。
「何をしているんです?」
「いや~鯨さんが、見えないかな~と、思ってね」
「???」
意味不明な事を言う上官を、石垣は首を傾げて眺めた。
「そう言えば、桐生さんから聞いたけれど、随分剣道の腕が上がったそうだね。桐生さんが褒めていたよ」
「いえ、まだまだです。でも、いつか必ず、桐生さんから1本取ってみせますよ」
「頑張ってね」
フン!といった感じで、気合いの入った石垣の言葉を聞きながら、氷室は心中で「まあ・・・無理だろうね」と、つぶやいた。
「そうそう、暇つぶしに面白い都市伝説を、2つ教えてあげよう・・・」
「?」
「日本の剣道協会から、公式の試合に出場する事を、禁止されている人物が2人いるんだ。1人は、陽炎団団長の本庄慈警視監。余りにも強すぎて、話にならないって理由でね・・・」
「何故です?」
「オリンピック競技の射撃に、軍隊のトップクラスのスナイパーが、出場できないのと同じだよ。まあ・・・逆に、オリンピックで優秀な成績を上げた元選手が、軍に徴用されてスナイパーになるってパターンは、紛争地域では希にあるらしいけれど・・・」
「はあ・・・」
氷室が、何を言っているのか、理解不能だ。
この男は、性格もそうだが、言動も、つかみ所が無いところがある。
最初から、暇つぶしと言っているので、取り留めの無い世間話なのかもしれないが・・・
「それと、もう1つ・・・第1特科団に伝わる、コワ~い怪談話。もう20年位前に、203ミリ自走榴弾砲を使用して行なわれた、極秘実験があったそうだ・・・自走榴弾砲5門から同時発射された榴弾が、空中で見えない刃に切り裂かれて、すべて迎撃された・・・とか。されなかったとか・・・」
「嘘ですね」
たっぷりと雰囲気を出して、おどろおどろしく語る氷室の言葉を、石垣はズバッと断じる。
「あれれ?石垣君。君は、オカルト話は苦手じゃなかったっけ?」
「・・・オカルトのオの字も無いと、思いますが・・・」
「・・・全然ビビってくれないなんて・・・つれないなぁ~」
一瞬、つまらなそうな表情を浮かべた氷室は、大欠伸をして、石垣に背を向けた。
「ふわぁぁぁぁ~・・・もう寝よう。お休み、石垣君。良い夢を・・・」
「・・・・・・」
立ち去っていく氷室を、石垣は呆気にとられて見送っていた。
「・・・何が言いたかったのやら・・・」
そういえば・・・もう1人の名を、教えて貰っていない事に気が付いたのは、暫く経ってからだった。
お読みいただきありがとうございます。
誤字脱字があったと思いますがご了承ください。
次回の投稿は7月29日を予定しています。




