対米包囲網 第9章 対米包囲網 3 ヒトラーの決断 前編 怪文書
みなさん、おはようございます、こんにちは、こんばんは、お疲れさまです。
ドイツ第3帝国首都ベルリン。
大日本帝国ドイツ大使館に、駐在武官として赴任している、新居孝彦陸軍中佐(菊水総隊陸上自衛隊2等陸佐)は、とある早朝に、差出人不明の自分宛の1通の封筒を受け取った。
それに封入されていた、書類を一読した新居は、表向きは彼の秘書兼通訳官の、新世界連合軍連合陸軍ドイツ連邦陸軍所属の、カーテローゼ・オリガ・バルツァー大尉と、カトリーナ・フェリチェ中尉を、自分の執務室に呼んだ。
「これを、見て欲しい」
新居が2人に差し出した、薄い書類の表紙の片隅には、小さく0の数字と剣に纏わり付き、鎌首を擡げる、八つ頭の蛇のデザインが印刷されていた。
「これは・・・ヒュドラ?」
フェリチェが、デザインを見て、質問してきた。
ヨーロッパ人からすれば、ギリシャ神話の方が良く知られているから、フェリチェの反応は、当然かも知れない。
「いや、日本の神話に出て来る大蛇の怪物で、八岐大蛇だ。ついでに言えば、その剣はその大蛇を退治した素戔嗚尊が持っていた、天之羽々斬と呼ばれる剣だ。この書類は、ドイツに潜入して、諜報活動を行なっている、陽炎団国家治安維持局外部0班麾下の諜報員から送られてきた」
「・・・・・・」
2人の会話を聞きながら、バルツァーは書類のページを捲る。
「・・・本当か?」
書類を読み終えて、顔を上げたバルツァーの第一声が、これだった。
「・・・・・・」
続けて読んだフェリチェも、驚いた表情を浮かべている。
「確証は無い。しかし、史実と違うドイツ第3帝国の有り様を見れば、否定も難しいのだが・・・?」
新居の表情には、困惑が浮かんでいた。
無言で見詰める、その表情は、バルツァーたち2人の意見を聞きたいと、言っている。
肝心の、書類の内容だが。
簡単に説明すれば、ドイツ第3帝国第1副首相ロザリンダ・ベレ・クラウゼンが、自分たちと同じ時代の人間である可能性を伝える物だった。
市井の噂話等、幾つかの情報からも彼女の経歴は、不可解な点が確かに多い。
10数年程前に、現ドイツ第3帝国総統アドルフ・ヒトラーの側近となる以前の彼女の経歴は、まったく不明であり、生年月日、出身地も不明である。
単純に、彼女の年齢から推測すれば、第1次世界大戦の勃発より少し前に産まれた事になる。
その後の、第1次世界大戦(当時は世界大戦、若しくは欧州大戦)、敗戦後のドイツ国内の混乱期を考えれば、詳細が不明なのも、理解出来無くも無い。
ただ、もたらされた情報を、完全否定出来ないのは、クラウゼンの予知能力と呼ばれている物である。
彼女は、これまでヒトラーに様々な、未来に起こり得る事を助言し、それが、完全ではないにしろ、ほぼ、的中させているという。
それが、今日の新たなるドイツ第3帝国を築き上げた。
彼女が、予知能力等という、SF的な能力を持っていなくても、必ずしも不可能では無い。
彼女が、もう1つの歴史を知っていれば・・・?
この先、もう1つの歴史でドイツが歩む、苦難の歴史を、完全とはいかないにしろ、ある程度の修正を加えて、より良い未来に向かわせる事も出来るだろう。
「俺の意見としては、直接本人に確かめたいと思っている。眉に唾を付けたくなるような話だが、そう決めつけてしまえば、俺たちも似たような存在だと言う事を、否定するようなものだ」
新居は、2人の顔を交互に見ながら言った。
「いきなり過ぎだが、確かに一理はある。サヴァイヴァーニィ同盟の件も同様だ。私たちもタイムスリップを経験した以上、偶発的か意図的かは不明だが、確かめる価値はある」
バルツァーは、大筋で、新居の意見に賛同する。
「しかし、方法は?直接、本人に会いに総統官邸に出向いても、良くて門前払い。悪ければ、拘束されかねない」
大日本帝国とドイツ第3帝国は、今、微妙な関係になっている。
アトランティック・スペース・アグレッサー・・・こと、サヴァイヴァーニィ同盟の存在が、連合国と枢軸国共通の脅威となった事で、両陣営は共闘する事で合意し、講和した。
こうなってくると、もう1つのスペース・アグレッサーと、共闘して連合国軍と戦火を交えている大日本帝国の立場が、余り良くないのは当然であろう。
現状、ドイツ第3帝国は、サヴァイヴァーニィ同盟軍に対処をする事に、陸海空軍の総力を挙げねばならず、大日本帝国への敵対的意志は、示していない。
あくまでも、義勇軍という形で東南アジア方面に、一部の軍を派遣した位である。
連合国側も、ヨーロッパの防壁としてのドイツの立ち位置を理解しているため、この点に関しては、暗黙の了解で、パシフィック・スペース・アグレッサー軍(新世界連合軍)との戦闘に、参戦を強要していない。
ただし、大使館の周辺は、SSやゲシュタポの関係者と思われる者が、それとわかるように屯し、無言の威圧をかけられている状態で、行動の制限等はかけられていないものの、余り気分の良い環境では無かった。
「クラウゼン副首相が、未来の人間だとすれば、連合国軍の、これまでの戦闘記録に目を通しているだろう。それを読めば確証は無くとも、連合国軍が戦っている不明軍が、未来の時代の軍隊ではないかと、推測しそうなものなのだが・・・?それなら、もしやと思って、それとなく探りを入れてきそうなものだが・・・まったく、それらしい動きは見られないのは、気になる所だが・・・」
新居が、完全に報告書を信じる事が出来ないでいるのも、その点が引っかかっているからだ。
新世界連合から、特使がアメリカ合衆国に直接派遣された事は、菊水総隊司令部経由で知らされているが、ルーズベルト大統領からの反応は、未だに無い。
こんな状況下で、迂闊に自分たちの正体をバラそうものなら、どういったリアクションが起こるか、わかった物では無い。
軽はずみな行動が、取り返しの付かない事態を引き起こしては、元も子も無い。
それが、新居に決断を躊躇わせていた。
「現在、総統官邸には、ドイツ連邦軍の諜報機関も、諜報員を潜り込ませている。彼らに協力を要請し、クラウゼン副首相の動向について、調べて貰おう。高級官僚でも、プライベートな時間はあるはずだ。そこを、偶然を装って接触する・・・という、手はどうか?」
「そう、上手く行くのか?」
バルツァーの提案に、フェリチェが疑問をぶつける。
「やってみる価値はある。日本の諺にも、『虎穴に入らずんば、虎児を得ず』というのがある。多少の無茶も、やむを得んだろう。バルツァー大尉、よろしくお願いする。外務局と防衛局には、俺から連絡を入れて、許可を得ておく」
少し考えてから、新居は口を開いた。
本来なら、防衛駐在官の職務から外れる事案ではあるのだが、現状、連合国との講和交渉が、やや手詰まりになっている感がある以上、別の形でアプローチを取ってみる切っ掛けに出来るかも知れない。
かなり危険な賭けではあるが、新居は、この報告を信じる事にした。
ただし、万が一を考えて、何重にも保険をかけておく事にした。
「了解した」
バルツァーは、善は急げといった風に、立ち上がる。
1週間ほど後。
新居は、バルツァーらと共に、ベルリン郊外のカフェテリアに向かった。
「マリクだ」
小さく古めかしいが、落ち着いた雰囲気のあるカフェテリアで待っていた、30代半ばの青年が名乗って、片手を差し出した。
マリクという名が、本名なのかどうかは疑問であるが、新居は、その事には触れずに笑顔でその手を握り返す。
「クラウゼン女史は、毎週末の午後に、このカフェテリアを訪れる。ほとんど1人でね」
「・・・彼女ほどの立場にしては、考え難いが・・・?」
「人間誰しも、たまには、1人になりたくなる事もあるだろう。それに彼女は、ここで一般のベルリン市民との、たわいない会話を楽しんだりしている。彼女の、そんな飾らない人柄に好感を持っている国民も大勢いる」
新居の疑問に、マリクは答える。
「ふむ」
成る程と、新居も納得する。
「御注文は、お決まりですか?」
店主らしき、中年の太った男が、注文を取りに来た。
東洋人らしき男1人に、男女3人のドイツ人という組み合わせを、奇異に思っている様子が、表情から窺える。
「彼に、ドイツの良さを伝えたくてね。カフェー(コーヒー)と、お勧めのクーヘン(ケーキ)を頼む」
「かしこまりました」
和やかな表情で注文するマリクに、店主は特に反応を示さず、注文を受ける。
「・・・ところでタカヒコ。君も、それなりに情報を収集していると思うが・・・最近、ドイツ国内は、色々姦しくてね・・・連合国との講和を、素直に喜んでいる者もいれば、不満に思っている者もいる。まあ、少々厄介な空気も、流れつつある」
「だろうな・・・」
僅かに声を顰めるマリクに、新居も相槌を打つ。
サヴァイヴァーニィ同盟の出現で、モスクワを奪還され、現在東部戦線の防衛線は、ポーランドの首都、ワルシャワまで後退している事は、ドイツ国民に普く知れ渡っている。
それでも、ヒトラーに対する国民の信頼は揺るぎないが、ヒトラーに抑えられていた勢力が、水面下で不穏な動きを見せ始めているという。
特にSSや、ゲシュタポが、警戒感を強めているのは、他民族排斥主義者だそうだ。
もう1つの歴史と異なり、ヒトラーは、アーリア人が中心となって、全ての民族、人種が平等となる世界の構築を宣言している。
そのため、優秀であれば、民族、人種に関係無く、取り立てているが、それを良しとしない者も、少なからず存在する。
「歴史的や宗教的な理由から、一部の民族に対する、差別意識は残念ながら、この時代のヨーロッパ人たちの間には、個人差があるが、少なからずある。それを、我々の知る歴史とは逆に、ヒトラーは完全に否定した。事実、ヒトラーに取り立てられた異民族の科学者や、研究者、技術者は、新兵器の開発に数多く携わり、幾多の戦場で成果を上げた。勝っているうちは、連中はダンマリだったが、モスクワ失陥を転機に、徐々に声を上げ、他民族排斥を訴えているそうだ」
「・・・確かに、あり得る話だな・・・何事にも、表もあるが裏もある・・・ヒトラーは、俺たちの学んだ歴史からは、信じられない位の別人のようになっている。それこそ、理想的な指導者に、もっとも近いのでは、と言って良い存在にだ・・・しかし、いくら理想的な指導者の善政と言っても、万人が恩恵を受ける訳では無い・・・当然、そこからあぶれる者もいる・・・そんな連中から見れば、善政も悪政に映るだろうな・・・」
これは、一部の人々に限らず、人類が長い歴史の中で抱え続けている、問題である。
宗教的差別、民族的差別、人種的差別だけで無く、小さな差別は身の回りにゴロゴロしている。
それは、洋の東西を問わず、どの国々にも存在している。
それらを完全に解消するのは、極めて難しく、長い、長い時間を必要とするだろう。
「あっ!!」
急に、フェリチェが声を上げた。
「・・・ごめんなさい、大声を出して。ハンカチを、落としてしまって・・・」
ちょうど、店主が4人分のコーヒーとケーキを、運んで来たところだった。
それとなく、深刻に話し込んでいた男2人に、注意を促したのだろう。
「どうぞ」
「あら、美味しそう!ありがとう」
目の前の、生クリームを添えられた、リンゴケーキを見て、バルツァーも声を上げる。
「私の母から作り方を教えられた、焼きリンゴのクーヘンです」
美しい女性に、礼を言われて、店主が相好を崩す。
「・・・ここだけの話、第1副首相閣下も、このクーヘンを、大変お気に召していらっしゃるのですよ」
店主が、嬉しそうにバルツァーに話す。
「へぇ~。では、早速・・・うん、美味い。リンゴの酸味と、クーヘンの生地の甘さがマッチして、口の中に広がる感じだ」
新居も、バルツァーに同調する様にコメントするが、テレビでよく見る、何処かの食品リポーターのような、口調になっている。
ただ、あそこまで派手なコメントが出来なかったのは、さすがに、ちょっと恥ずかしかったからだ。
「東洋人にも、味の分かる人は、いるのだな」
「店主、それは偏見だ。東洋人もヨーロッパ人も関係無い。美味い物を、美味いと言うのは、全人類共通だ」
「ハッハッハ。失敬、失敬」
新居の称賛を聞いて、店主は機嫌良く笑う。
さり気なく、店主から情報を聞き出すことは出来た。
クラウゼンが、頻繁にこの店に通っているのなら、何とか偶然を装って、接触出来そうだ。
「・・・あの女が、ここに通っているという噂は、本当のようだな・・・」
新居たちの座る席より奥まった所にある席で、数人の男達が、コーヒーを飲みながら、店主と客との会話に、耳を欹てていた。
「あの女が現われて、予言と称する妄言に惑わされて、ドイツは道を誤った・・・他民族を受け入れ、アーリア人の高貴な血が、汚されようとしている・・・薄汚い東洋人と同盟を結ぼうとしたのが失敗したのは良かったが、今度は連合国との講和とは・・・」
「大西洋で、多くのドイツ人の命が、失われた。東アフリカでも、ソ連でも・・・これは、神の怒りだ」
「そうだ。このままあの女を、のさばらせておけば、祖国は神の怒りで、ソドムとゴモラのように、業火に焼かれ焦土と化すだろう」
普通の思考であれば、たった1人の人間が、歴史を動かすほどの力を持っているはず等無いと思うだろうが・・・
それに、悪い事を全部神の怒りとやらのせいにするのは、神への冒涜としか思えない。
余りに偏った思考を持つ者は、思い込みだけで、勝手に物事を自分のルールで判断してしまう場合がある。
自分たちが正しく、他は間違っていると・・・
例え正論で、反対の意見を述べたとしても、残念ながら聞く耳を持つ事は無い。
「あの女は、魔女だ」
「そうだ、魔女だ」
「魔女は、滅っしなくてはならない。そうすれば、魔女の妄言に惑わされている人々も、目を覚まし、正道に帰るだろう」
「魔女に死を」
「魔女に死を」
昏い妄執に取り憑かれた者たちが、密かに囁きあっていた。
対米包囲網 第9章をお読みいただきありがとうございます。
誤字脱字があったと思いますがご了承ください。
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