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真紅の旗 其れは革命の色 第11章 北アフリカ攻防戦 3 新たなる戦地へ

 みなさん、おはようございます、こんにちは、こんばんは、お疲れさまです。

 第11親衛空挺師団は、制圧したスエズ市で、駐留イギリス軍が司令部として使っていた建物を、そのまま第11親衛空挺師団司令部として、使用する事になった。


「師団長。サヴァイヴァーニィ同盟軍総参謀本部よりの連絡で、同盟陸軍第6戦区第61集団軍が、イランからイラクに、進撃を開始しました」


「ふむ・・・虎の王の異名を持つ将軍が指揮する、戦車集団軍を先導に、イラク掌握に乗り出すか・・・」


 ゴレロフは、師団の通信参謀から渡された報告書に、目を通しながら、つぶやいた。


 同盟陸軍第6戦区は、旧中華人民共和国陸軍出身者で、編成されている。


 麾下に正規陸軍の3個集団軍と、民兵部隊で編成された、2個義勇集団軍がある。


「イラン攻略時では、彼らの戦闘力は、極めて高かったです」


 情報参謀が、答える。


 イランは広大であり、この当時も原油産地国であった。


 そのため、イギリス軍は大規模な陸海空軍を配備し、イラン政府軍と共に、イランを防衛していた。


 いかに80年前の軍隊であっても、あれ程の防衛態勢下では、サヴァイヴァーニィ同盟軍同盟陸軍内でも、1個軍集団を投入しても、かなりの時間がかかると見ていた。


 しかし、中国人民解放軍陸軍で、名将軍と呼ばれている2人の集団軍司令官は、サヴァイヴァーニィ同盟軍総参謀本部と、同盟陸軍総司令部が予想した、掌握完了期間の半分の時間で、完全掌握した。


 1人は、戦車を主力とした陸路での走破で、防衛網を突破し、もう1人は、機械化歩兵師団と空中強襲歩兵師団を併せた即応戦で、突破された防衛網に展開する防衛軍が、態勢を建て直す前に攻勢を加え、防衛軍を完全に無力化した。


「イラン攻略は、両将軍の完璧な連携と、後方の兵站態勢を完璧に守った、第6戦区傘下の3人目の集団軍司令官の実績も大きい」


 ゴレロフも、第6戦区の電撃的侵攻作戦成功の秘訣が何か、徹底的に研究した。


 確かに、単に劣る兵器を主力にした、イギリス軍やイラン軍が弱かった・・・という解釈もできるが、単に兵器が優れているだけでは、戦いを早期に終結させる事はできない。


 優秀な指揮官と参謀がいて、それを完璧に調整できる前線指揮官と前線参謀。


 そして、その命令を忠実に遂行し、完遂できる下士官がいて、初めて成し遂げられる。


「戦いに勝つ。という秘訣を持っている中国人というのは、伊達では無かったな」


 ゴレロフは立ち上がり、数時間前までイギリス陸軍の高級士官が使用していた、執務室の窓から外を眺めながら、つぶやいた。


「中国は、5000年の歴史を持ち、その間、世界史の中でも最も戦乱を経験した民族です。強大な国家が生まれ、繁栄、滅ぶ、を繰り返したのが中国です」


「そうだ。だからこそ、どの民族よりも戦いに勝つ、という秘訣を持っているのも、彼らしかいない」


 実際、第6戦区が、イランに攻撃を仕掛けたタイミングは、絶妙と言えば絶妙である。


 北アフリカで猛威を振るうドイツ第3帝国国防軍と、イタリア王国軍、そして、太平洋で暴れる大日本帝国軍と、ニューワールド連合軍の攻勢が激しさを見せた所で、イラン駐留の精鋭部隊と、別部隊が交替する時期に合せて、イラン侵攻を行った。


 当然、十分な引継ぎ等が完了していないため、イラン駐留のイギリス軍は大混乱し、事前に時間をかけて潜入させた、工作部隊による攪乱工作等で、さらに大混乱した。


「中国人は、石橋を叩いて渡る。という言葉の通り、侵攻を開始した。今後も彼らが戦局をどのように変化させるか、見ておこうでは無いか」


 ゴレロフは、参謀に告げた。





「同志師団長」


 第11親衛空挺師団参謀長が、執務室に現れた。


「どうした?」


「先ほど、第4軍集団第401義勇軍本軍が、エジプトに上陸したとの報告が入りました」


「エジプトを拠点に、アフリカ解放を目指すか・・・」


 第401義勇軍本軍は、テクニカル化民生車と、歩兵携行火器等の軽武装では無い。


 旧東側陣営の陸軍が主力戦車として導入していた、旧ソ連製主力戦車であるT-55や、T-62、アメリカ製のM60[パットン]等も装備している。


 これらの戦車や航空機等は、『北アフリカに春が来た』というタイトルで、某国メディアに取り上げられた民主化運動の、負の一面である。


 民主化と言えば、聞こえはいいかもしれないが、それまでの体制が、ガラリと変わるのだ。


 その運動の中心となる者たちには、明確な国家体制構築のビジョンを求められる。


 自由と権利を求めるだけでは、混乱を招くのは目に見えている。


 フランス革命以後のフランスがどういう状態に陥ったかを考えれば、わかりやすいだろう。


 独裁制の是非はともかく、様々な民族、宗教間の争いが長い間続いていた地域は、そう簡単に、それらを解消出来ない。


 良くも悪くも、争いをある程度押さえるには、強大な武力を背景に、力尽くで、それらを押さえつけるというのも、致し方無い部分もある。


 結局、正規軍の崩壊等により、それまで押さえられていた民族、宗教間の争いが激化し、大量の武器兵器が、反政府軍や武装勢力に流れた。


 某国メディアは、その事までは報道していない。


 第401義勇軍本軍は、アメリカ製や旧ソ連製の武器兵器を、主力にしている。


「我々は、後続部隊が到着するまで、スエズ市の防衛と警備を、行わなければならない。暑さと土埃に、悩まされるが・・・しばらくの辛抱だ」


 ゴレロフが、つぶやく。


「師団長。サヴァイヴァーニィ同盟軍同盟空挺軍総司令部より、新たなる命令書が届きました」


 通信参謀が、報告した。


「うむ」


 ゴレロフは、命令書に目を通した。


「後続部隊は、明日に到着するそうだ。我々の新しい任地が、決まった」


「次は、どこですか?」


 参謀長が、聞く。


「次の作戦地域は、北だ」


 ゴレロフは、命令書を参謀長に渡した。


 空挺軍は、独立兵科軍ではあるが、諸外国と同様の陸軍麾下の空挺部隊である。


 航続距離の長い大型輸送機で、即応展開する性質上、1930年代に独立兵科軍として創設された。


 史実の第2次世界大戦時では、その即応展開能力を最大限に生かし、スターリングラードを絶対防衛線とした、ソ連国土防衛計画で各都市部やドイツ第3帝国国防軍の後方攪乱等に投入された。


 ドイツ第3帝国が無条件降伏後、1945年8月頃に空挺軍1個旅団が、満州方面等に空挺降下した。


「暑い地方の次は、1年間のほとんどが、霧と時化という悪天候の地方ですか・・・上の連中も、人使いが荒いものです」


「我々、空挺軍は、サヴァイヴァーニィ同盟軍独立同盟軍の中では、最精鋭だ。少数精鋭である以上は、このような任務も仕方あるまい」


「アメリカで言う、アメリカ海兵隊に該当しますからね、我々は」


 ゴレロフの言葉に、参謀長は、うなずいた。


「参謀長。総司令部に連絡して、次の作戦地域の情報収集を行え。今回の戦闘でも、我々は11人の将兵を、失った」


 第11親衛空挺師団は、1個師団クラスの兵員であるが、11人の戦死者と、50人以上の重軽負傷者を出した。


 アフガニスタン侵攻、第1次チェチェン戦争等での従軍の経験から、自動小銃に独自改造(大袈裟な改造では無い)で、止血帯と救急キットを取り付けているため、銃創や切創等を受けても、大事になる前に応急処置が可能である。


 そのため、11人という犠牲で、止められたのだ。


 西側陣営では、東側陣営は人命軽視をしていると思われがちだが、実際は異なる。


 西側でも、状況によれば、大を救うために少を切り捨てる、という事態がある。


 それと、同じである。


 西も東も、同じ様に表があれば、裏もある。


 そして、裏の抱える闇は深い。


 東西の違いは、主義の違いだけであり、それ以外はまったく同じであると言ってもいいだろう。


 何も、変わらない。


 その証拠に、東西の分裂があった時も、東から西に亡命する者もいるが、その逆もある。





 第11親衛空挺師団戦車大隊の中隊に所属する2S25の乗員たちは、2S25の整備点検を行っていた。


 パラシュートによる空挺降下と、降下完了後に行われた対戦車戦や歩兵戦は、例え80年前の劣る軍隊が相手でも、油断できない。


 これは、1970年末から1980年末まで続いた、旧ソビエト連邦とアフガニスタンとの間で発生した紛争の教訓からである。


 最新鋭兵器を取り揃えた旧ソ連軍だったが、そもそも旧ソ連軍の基本戦術は、戦車や機械化された歩兵が最大限の力を発揮できる平原等での戦闘で、電撃戦叉は総力戦で、敵性国家の正規軍を殲滅するものであった。


 アフガニスタンのように、山岳地帯でのゲリラ戦や、パルチザンの掃討作戦、治安維持活動は、不向きであった。


 このため戦闘は、緒戦を終えた後の中期及び後期では、苦戦する事になる。


 結果から見れば、1964年から1970年代までアメリカ軍が派兵された、ベトナム戦争とまったく同じである。


 アフガニスタンでの旧ソ連軍の作戦も、ベトナム戦争でのアメリカ軍のヘリコプターによるヘリボーン戦術と同じ様な、治安維持作戦、掃討作戦が行われたが、アメリカ軍と同じく犠牲の割に目覚ましい戦果は、あがらなかった。


 さらに、旧ソ連軍が頭を抱えたのは、アフガニスタン国内の武装勢力は、統一された指揮系統と思想が無いという事であった。


 反ソ連派武装勢力は、広大な土地で、個別に旧ソ連軍と、ゲリラ戦を行った。


 このため1つの有力な武装勢力を排除しても、反ソ連派武装勢力全体に影響を与える事ができず、逆に彼らがいなくなった事により、これまで彼らによって押さえつけられていた、別の勢力が解放され、より一層凶悪化た武装勢力の襲撃を、ソ連軍が受ける羽目に陥った。


 それらを排除するには、反ソ連派武装勢力をすべて排除しなければならず、旧ソ連軍は得意の全兵力を一ヶ所に集めての電撃戦叉は総力戦ができず、各方面に部隊を逐次投入し、対処するという、戦略の上では下策中の下策である戦法に、頼らざるを得なかった。


 アフガニスタンでの教訓から、大規模部隊による敵中奥深くで空挺降下する空挺軍は、常に戦闘後、時間を割いて、車輌等の資材や武器、兵器の整備、点検を念入りに行う。


 予備部品や修理用具等は限りがあり、このように圧倒的な武力の差を見せつけられた場合、正面戦闘を避けて、遊撃戦や破壊工作に転じられる可能性が、高くなる。


 いかにソ連製兵器が、多少の整備不良でも使えると言っても、故障箇所をそのままにしておけば、そのダメージが蓄積され、結局使用不能になる。


 早期に発見できていれば、修理も本格的にする必要が無く、部品の消費も最小限に押さえられる。


「どうだ、車体の様子は?」


 ベジュフが、操縦手に聞いた。


「この時代の兵器も、侮れません。これを見てください」


 操縦手が指を指す方向を見ると、対戦車砲弾の被弾跡があった。


「口径が小さかったのと、距離が遠かったから、この程度で済みましたが、大口径で距離が近ければ、ダメージも大きかったでしょう」


 操縦手の言葉に、ベジュフはうなずいた。


「そうだな。いかに兵器が優れ、過去の戦いから教訓を得て、対応策を講じても万全では無い。敵も人間である以上は、どんな予想もしない事を駆使して、攻撃してくるか、わからん。現に、日本国自衛隊は、F-4EJを撃墜され、ニューワールド連合軍の巡航ミサイルも、撃墜されている。『人の振り見て、我が振り直せ』という諺が、日本にあるが、言い得て妙だな・・・俺たちも、気を引き締めねばならない」


 因みに、2人が見ている対戦車砲弾の被弾跡は、後方で随行していた歩兵戦闘車部隊から歩兵が展開し、周辺警戒を行っていた時に、歩兵戦車から砲撃を受けたものだった。





 ゴレロフは、引継ぎのスエズ市駐留部隊の先遣部隊及び司令部派遣隊の上級士官たちを、司令部庁舎の応接室に招いた。


 スエズ市は、スエズ運河出入口の安全確保や、船舶等の中継点として使用できる重要な拠点であるため、サヴァイヴァーニィ同盟が直接行政下に置き、サヴァイヴァーニィ同盟軍同盟治安防衛軍傘下の戦闘部隊が、駐留する事になった。


 同盟治安防衛軍は、元の時代の準軍事組織である国内軍や、警察軍等で編成された占領地域及び友好国、同盟国の治安維持活動と国土防衛に専念する専門の独立同盟軍である。


 準軍事組織であるため、武装は正規軍に及ばないと思われるが、それは誤解である。


 スエズ市に派遣、駐留する同盟治安防衛軍の1個師団は、T-80やT-90A等の戦車部隊があり、歩兵部隊にも歩兵戦闘車等の陸軍に準じた兵器が存在する。


 同盟治安防衛軍には、地上部隊だけでは無く、独自に警備艇やミサイル艦等の水上部隊や制空戦闘機や戦闘攻撃機等の航空部隊も傘下に置かれている。


「これからは、我々だけでは無く、同志諸君等も忙しくなるな」


 ゴレロフは、同盟治安維持軍から派遣された上級士官に告げた。


「我々の任務は、他の同盟軍とは違い、地味な任務ですが、極めて重要です。忙しくなるのは仕方無い事です」


 同盟治安維持軍の任務は、同盟陸軍、同盟海軍、同盟航空宇宙軍、同盟戦略軍と比べれば地味であまり目立たないかも知れないが、戦略拠点の防衛と治安維持は、他の4同盟軍が作戦展開した後方の戦略兵站の安全確保である。


 特に、サヴァイヴァーニィ同盟軍は、フォークランド諸島、スエズ市、イラン等に侵攻した際に先遣部隊を潜入させ、破壊工作や後方攪乱等を行い行政機能、治安維持機能、防衛機能等を麻痺させた。


 敵が、自分たちと同じ事をしないという保障は無い。


 それを防ぐ専門の治安維持、重要施設等の警備活動を行う。


 同盟治安防衛軍から派遣された上級士官の中には、旧中華人民共和国武装警察隊出身の武警大校(准将相当の武装警察隊大校)がいる。


 中国は、特異の国内情勢上、国家憲兵及び国内軍の任務を遂行する専門の準軍事組織がある。


(・・・中国は誕生以来、中国は外敵では無く、内敵からの攻撃で体制が崩壊している。外敵よりも、内敵に対処する専門の軍に力を入れているのは、仕方無い事だろう)


 ゴレロフは、心中でつぶやいた。


(同盟治安防衛軍の行いに口を挟むつもりは無いが・・・中国人が、目を背けて、中国全国民の記憶から抹消しようとした、民主化運動の時のような事態等を繰り返されたら、たまったものでは無いが・・・)


 彼が記憶を探って、心中で、つぶやいた事件は、中国の学生や一般市民を中核とした民主化運動であり、武装警察隊を主力とした、人民解放軍による武力鎮圧である。


 現代でも、中年層以上の中国人の記憶には根強く残っており、現態勢への不満や不信をつのらせている。


 国際的にも非難された事件でもあり、これ以降、中国公安部は、徹底的な監視態勢で反体制派勢力の取締強化や、治安維持行動時の鎮圧規程で、致死性兵器の規制と非致死性兵器を使用した暴動鎮圧能力向上を行った。


 因みに、同盟治安防衛軍傘下の旧中華人民共和国武装警察隊にも、69/79式戦車や80式戦車等の戦車部隊も治安維持部隊として配備されている。

 真紅の旗 其れは革命の色 第11章をお読みいただきありがとうございます。

 誤字脱字があったと思いますがご了承ください。

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