間章 美しい理想と醜い現実 前編
みなさん、おはようございます、こんにちは、こんばんは、お疲れさまです。
ハワイ諸島オワフ島真珠湾警備府(海上自衛隊の施設は、真珠湾地方隊)。
その港湾施設で投錨している、第1護衛隊群旗艦[いずも]。
時間は、すでに21時を回っている。
科員食堂の片隅のテーブルで、マーティ・シモンズ2等水兵は、本とノートを広げて日本語の勉強をしていた。
彼の日本語の能力は、この3ヶ月で格段に上がり、日常会話や小説等の文章なら、普通に会話、読み書きが出来るレベルになっていた。
この点では、基本的に興味の無い事には、面倒くさがり屋で、いい加減な所があり、今だに日本語での日常会話が覚束ない、彼の上官になるレイモンド・アーナック・ラッセル少尉とは異なる。
ドサドサドサ!!
「!!?」
いきなり、目の前に大量のお菓子の袋や箱が山積みになった。
「マーティ君」
「勉強、頑張っているね。でも、少し休憩しなくちゃ」
「そうそう。私たちと、お菓子を食べない?」
顔を上げると、3、4人の20代の女性自衛官たちが、ニコニコした表情で立っていた。
「は・・・はぁ・・・」
女性たちの勢いに、マーティは完全に押されていた。
マーティは、[いずも]の若い女性自衛官に、人気がある。
童顔で、性格も明るく素直で人当たりも良い。
女性自衛官のマスコット的というか、弟的な存在になっている。
[いずも]に来た当初は、客人として迎え入れられたといっても、日米開戦の直後という事もあり、[いずも]の乗員たちは、ある程度の距離を置いて接していたが、エクアドルの救出作戦以後は、若い男性海士たちと、少しずつ打ち解けていく事が出来、今では男女を問わず、普通の友人関係を築く事が出来た。
マーティの日本語を覚えようと、努力する姿勢に、自衛官たちは、感じる物があったらしい。
とある理由でマーティは、26歳と、実際の年齢(18歳)より8歳も逆サバを読んでいるのだが、完全にバレバレであったが。
「おーい、そこのボウズ」
丁度というか、良いタイミングでトレイを持った、給養員長が声を掛けてきた。
「悪いが、このコーヒーを、士官予備室に持って行ってくれないか?今ちょっと手が離せなくてな」
「ええと・・・それは、良いですけど・・・自分が、行ってもいいんですか?」
「構わん、構わん」
そう言って給養員長は、マーティの肩に、自分の腕を回す。
「まあ、気合いを入れて、行ってこい!」
何とも含みのある言い方だと思ったが、マーティは素直に2つのコーヒーカップの乗ったトレイを受け取った。
言われた通りの、士官予備室のドアの前で、ドアをノックした。
「どうぞ」
その声を聞いて、マーティの心臓が、ドキンと大きな音を立てた。
「し・・・失礼します・・・」
緊張しながらドアを開けると、村主京子1等海佐が、閉じたノートパソコンを前にして、机の前に座っていた。
「コ・・・コーヒーを、お持ちしました」
「ありがとう」
ドギマギしながら、マーティは、村主の前にコーヒーを置いた。
「ええと・・・もう1つは・・・」
「適当に座って」
立ち上がって、お菓子の入った皿を、机の上に出しながら、村主が言う。
「ええと・・・あの・・・」
「あら、私とお茶をするのは嫌?」
村主が、悪戯っぽい微笑を浮かべる。
その瞬間、ボン!という音と共に、マーティの顔が真っ赤になった。
「い、い、いい・・・いいえ、そんな事はありません!!絶対!!」
「そう、良かった。座って」
「は・・・はい」
緊張感で、挙動不審な動きをしながらマーティは、椅子に座った。
「シモンズ君は、日本語を勉強していると聞いたけれど、日本語で、お喋りしてもいいかしら?」
「は・・・はい」
憧れの女性を前にして、マーティは夢のような時間を過ごした。
自分でも良く覚えていないが、故郷の事や家族の事等、色々と話した。
村主は、終始笑顔を浮かべて、相槌を打ったり、時折質問をしたりしながら聞いていた。
「短い時間で、ここまで日本語での会話が出来るなんて、すごいわね。シモンズ君は、努力家なのね。この間、アメリカ海軍航空隊所属の航空機の整備を手伝ったそうだけど、防衛局装備局の技官が、褒めていたわ。手際が良くて、飲み込みも早いって」
「あれは・・・興味があったので、少しだけ簡単な整備を、手伝わせて貰っただけで・・・」
モゴモゴといった感じで、マーティはつぶやいた。
褒められるのは嬉しいが、何だか学校の教師に褒められているような感覚は、少し頂けない。
「でも、これなら十分合格ね」
「はい?」
急に、改まった口調で話す、村主の言葉の意味がわからず、マーティは瞬きをした。
「シモンズ2等水兵。貴方に、お願いしたい事があるの」
階級を呼ばれて、マーティは、思わず姿勢を正した。
「もうじき、真珠湾泊地に、アメリカ海軍の艦隊が、燃料の補給のために、入港するの。その艦隊には、元アジア艦隊司令官のハート大将が、乗艦なさっているわ。ハート大将は、オワフ島駐留陸軍の栗林忠道中将や、海軍の南雲忠一大将と、会談をする予定になっているのだけど、日本語の通訳の出来る、従卒が必要なの。貴方に、その役目をお願いしたいのだけど」
「ええ!?大将閣下付きの通訳って・・・そんな重大な仕事、自分にはとても・・・」
村主の要請に、マーティは驚きの声を上げた。
「もちろん、会談には専属の通訳官が随行するでしょうけど、プライベートでの私的な会話や、身の回りのお世話なら、日本語の出来る従卒がいた方が、不便ではないでしょう?海士を、一時的に従卒役に就けるというのも有りだと思うけど、同じ時代のアメリカ人の貴方の方が、ハート大将閣下もリラックス出来るでしょうし、適任だと思うわ。どうかしら?」
「・・・ラッセル少尉は、ご存じなのですか?」
「まだ、話してはいないけれど、相談してみるわ」
そういう事には、大らかと言うか、大雑把なレイモンドの性格を考えれば、多分二つ返事でOKを出すだろう。
ただ、マーティとしては、好奇心旺盛なのは良いが、脳天気で危なっかしい所のある上官を、放ったからしにするのが、心配でならないというのが本音である。
彼の上官は、頭はかなり切れるのだが、とんでもなく不器用で、何が、どうして、こうなったら、そうなると言いたくなるような事をしでかす。
この3ヶ月の間に、[いずも]の資料室のパソコン3台、洗濯機2台が故障し、テレビが使用不能になった(この話を聞いた、防衛局の局員は、大激怒したらしい)。
後、乗員が個人的に持ち込んでいた、DVDプレイヤーが数台と、携帯ゲーム機数台を、ぶっ壊した(これらの損害は、彼らの保証人である村主が、弁償したらしい)。
そのため、[いずも]の乗員からは、『破壊神レイモンド』と呼ばれているらしい。
それだけで無く、何かと騒ぎを起こしている。
つい最近では、若手の士官や下士官、海士たちとサーフィンをするために海に出かけて、1人だけ波に攫われて、遭難してしまった。
この時には、自衛隊からの救助支援要請を受けて、統合省保安局海上保安本部からオワフ島に派遣されていた、派遣隊の巡視艇2隻が緊急出航し、付近の海を捜索していたが、ライフジャケットを付けていたレイモンドは、巡視艇が捜索していた海域の真逆の海域で、哨戒任務に就いていた、大日本帝国海軍の駆逐艦に、海流に流されて漂流しているところを発見され、救助された。
「実は僕は、泳げないんです」
連絡を受け、迎えに来た村主を前に、レイモンドは悪びれる様子もなく、そう述べた。
そんな上官を野放しにして、これ以上村主に迷惑が掛かるのは心苦しいのだ。
もっとも、村主自身は、まったく気にしていなかったが。
後にマーティは、村主が究極の世話好きで、究極のダメンズ好きである事を、知る事になるのだが。
彼女の従弟である氷室匡人2等海佐が、従姉の前ではダメダメなキャラクター振りを発揮して、従姉に世話を焼かせるのも、この従姉の性格を、熟知しているからである。
「色々な経験をしてみるのも、悪い事では無いと思うわ」
村主にそう言われて、マーティは、従卒の件を承諾したのだった。
飲み終えたコーヒーカップを科員食堂に持って戻ってくると、給養員長が手ぐすねを引いて待っていた。
「どうだった?」
何を期待していたのか、給養員長の第一声がそれであった。
「・・・ハート大将閣下の従卒を、やってみないかと言われました」
「それだけ?」
明らかに、落胆したような声が返ってきた。
「後・・・」
「後?」
「私的な場では、名前で呼んで良いって言われました。だから、自分も名前で呼んで欲しいと・・・」
「・・・・・・」
嬉しそうに告げるマーティを、微妙な表情で見ながら、給養員長は押し黙っていた。
(何だかな~。幼稚園の先生に憧れる、幼稚園児って、ノリに見えるんだが・・・それって、俺だけ?)
能動的に動き回り、自分が興味を持った事に、色々チャレンジしているマーティと異なり、彼の上官であるレイモンドは、ほとんど[いずも]の資料室で、1日を過ごしていた。
色々な資料や、書籍に目を通し、疲れたら昼寝若しくは、おやつタイム、トレーニングルームで軽い運動といった感じであった。
因みにパソコンは、これ以上壊されてはたまらないという訳で、誰かが付いていない限り、使用禁止にされていた。
マーティがいれば、マーティが。
いなければ、[いずも]に乗艦している広報官の誰かが、付いて使用するという状態である。
「ふう~・・・もう少し、タイプライターのキーを真面に打てるように練習しておくべきだったかな・・・そうすれば、パソコンも使いこなせたかな~・・・」
自分の不器用さについては、重々承知していたが、こういった事は子供の時から苦手で、ついつい怠けていたのが、こういう所で裏目に出てしまった。
「・・・・・・」
資料を読むのも飽きたので、行儀悪く机の上に足を乗せて(靴はちゃんと、脱いでいる)、天井を仰いで、パイプ椅子を前後にユラユラと揺すっていた。
そのまま、物思いに沈む。
「歴史を変えるため・・・か・・・」
後に、第2次世界大戦と呼ばれる事になる、この戦争で祖国を焼け野原にされた、未来の日本人である村主たちの、それを回避し、アメリカとの早期講和で、1人でも多くの日本人の命を救いたいという主張は、十分理解できる。
逆に言えば、戦争が早期に終われば、この戦争で失われた、対戦国であるアメリカ人の命も、救う事ができるのだから。
しかし・・・
アメリカという国家が、このまま引き下がれないのも事実である。
ヨーロッパ諸国と比べて歴史の浅い母国が、ハワイを失陥したまま、終戦になってしまえば、イギリスやその他の国に対して、面目が立たないどころか丸潰れだ。
外国に対してもそうだが、国内に対してもそうだ。
日本と中国の戦争で、日本軍の蛮行を散々流布して、反日キャンペーンを張って、自国民に日本人に対する悪感情を植え付けていたのだ。
何の成果も無く講和などすれば、政府は国民からの支持を失いかねない。
「・・・大佐は、どう思っているんだろう・・・」
恐らく、自分の考えている事は、村主も考えているはずだろう。
彼女の考えを、聞いてみたいと思う。
レイモンドは、ポケットから1枚の写真を取り出した。
CH-47JAをバックに、自分とマーティ、陸上自衛官の2人が映っている。
「・・・東御少佐。貴方は、戦争は人類が生み出した、もっとも複雑な物と言いましたが、もしかすると、単純かも知れませんよ・・・奪うか、奪われるか・・・です。アメリカ・・・いえ、新大陸と言われた土地が、ヨーロッパ人の手でどうなったか・・・ご存じでしょう?」
すでに、この世にいない自衛官に、そう語りかけた。
「人間は、奪うために戦い、奪われまいと戦う。そして、奪ったものを守ろうと戦い、奪われたものを取り返すために戦う。それを、長い歴史の中で繰り返してきました。単純だからこそ、色々な思惑や感情が絡み合い、答が出せない程、複雑化する・・・そして、自分たちは正義で、相反する者は悪。その二元論を主張する者に命令されて、いつの時代も戦場では、多くの血が流される・・・」
誰に聞かせる為でも無く、つぶやいた。
写真をポケットに仕舞い、頭の上で腕を組んで、ユラユラとパイプ椅子を前後に揺すりながら、部屋の片隅に置かれた、ホワイトボードに貼られた世界地図を、ボンヤリと眺めていた。
「・・・エクアドルって、パナマに近いな・・・」
グラリッ!!
「!!?」
因みに、レイモンドのやっていた、椅子に座った状態で机の上に足を乗せて、揺椅子のように、椅子を前後に揺らす行為は、日本の小学校等では、危険なため禁止されている。
それは、なぜか・・・
「ノォォォォォ~!!!」
ドンガラガッシャン!!!・・・バサバサバサ!!!
バランスを崩して、悲鳴と共に、椅子ごと後ろにひっくり返った。
「「「何事ですか!!?」」」
たまたま通り掛かったらしい、2、3人の海士がドアを開けて、資料室を覗き込んだ。
「「「・・・・・・」」」
海士たちは、資料室の惨状を見て、無言で部屋に入ってきた。
「あ~あ、椅子の脚が、曲がっちまっているぞ・・・ど~すんだ、これ・・・」
「知らね~よ」
ブツブツと言いながら、倒れているレイモンドを無視して、床に散乱した資料や、書籍の片付けを始めた。
「イタタタタ・・・あの~・・・僕、倒れたんですけど・・・大丈夫か?の、言葉は無いんですか?」
身体を起こしたレイモンドが、質問する。
ギロリ!!
と、一斉に睨まれた。
「・・・ソーリー・・・」
これまでに、彼らに掛けた迷惑の前科を考えれば、仕方が無いかもしれない。
「後は僕が、片付けますよ」
後頭部をさすりながら、レイモンドは立ち上がった。
「いいえ、結構です。少尉は、どこか散歩にでも行って下さい。これ以上散らかされたり、壊されたら、洒落になりません」
冷たい声と共に、資料室から追い出された。
「はあ~、散歩と言われても・・・どこへ行けば良いのやら・・・」
ズキズキする後頭部をさすりながら、通路を歩く。
「あら?ラッセル少尉?」
「Hi、スグリ大佐」
声をかけてきた村主に、軽い口調で挨拶する。
村主と一緒にいた広報担当の自衛官が、レイモンドの気安い口調を窘めるような視線を、送ってきた。
「マーティ君は、一緒では無いの?」
「マーティなら、女性水兵の人たちと一緒に、ショッピングに出かけました」
「貴方は、行かなかったの?」
「・・・荷物持ちは御免です」
「あらあら」
クスクスと笑っている村主と裏腹に、広報官は渋い顔をしていた。
そう言えば、この人にも迷惑を掛けた事があったようなと、思いながらも、何をやったか思い出せない。
「でも、それは残念ね」
「何が、ですか?」
「真珠湾基地内の娯楽エリアにある、映画館のペアチケットがあるのだけど、貴方たち2人にあげようと思って・・・たまには、そういった所で気晴しをするのも良いかと・・・そうね、貴方が付いて行ってあげる?」
「いいえ。私は、私用がありますので」
村主が広報官に振り返って聞いたが、広報官は速攻で断った。
言葉は、当たり障りの無い返答だが、表情には在り在りと、「コイツと一緒は、ヤダ!」という本音が浮かんでいた。
[いずも]の客人として迎えられて、3ヶ月余り。
アメリカ軍の陸海軍の基地を、丸々拝借した形で、大日本帝国陸海空軍、陸海空自衛隊が駐留しているが、勿論それ以外にも、新世界連合軍、連合支援軍、朱蒙軍等の部隊も、駐留している。
問題が起こらないように、広報官が同行する形で、彼らと色々会話等の交流をする事が出来たのだが、好奇心が強いせいか、かなり突っ込んだ質問をしたりするレイモンドに、広報官たちは、かなり肝を冷やしたりした。
特に連合支援軍は、様々な宗教や思想、民族が違う将兵たちが、多数いる。
悪気は無くとも、割とズケズケと思った事を口に出すレイモンドのフォローに、彼らは、冷や汗を流していた。
村主としては、参謀出身の自分よりは、広報活動を通じて、様々な視野や考えを持っている広報官が一緒にいた方が、各国の軍人たちとの対話を通じての理解を深めるのに、サポート役として良いと考えていたようだが、任された方は、拾ってきた子犬や子猫の世話を、丸投げで任されたようなものだったのかも知れない。
「では、失礼します」
戦術的撤退とばかりに、ソソクサと広報官は、離れていった。
「・・・・・・」
意味がわからないとばかりに、首を傾げている村主の手から、ペアチケットを取り上げたレイモンドは、悪戯っぽい微笑を浮かべた。
「ペアという事は、2人で行ける訳ですね?」
「ええ」
「スグリ大佐。今日は、お暇ですか?」
「特に、用事は無いわ」
「では、一緒に映画にでも、行きませんか?」
満面の笑みを浮かべて、レイモンドはそう述べた。
間章をお読みいただきありがとうございます。
誤字脱字があったと思いますが、ご了承ください。




