59.こそこそと
「アリシア、ちゃんと出れたか?」
「おぉー、出れた……出れたぞ!」
「ほっ……」
クガはほっとし、アリシアは控えめに感動した様子を見せる。
時間は午前四時。東京有明〝双頭ダンジョン〟の入口にて――。
魔物が人間界に降り立つという歴史的な出来事は、極めてひっそりと達成された。
「クガー、やはりこのようにコソコソとやらなくちゃいけなかったのか?」
なるべく目立たないように、帽子を被り、黒いロングコートを羽織らされたアリシアが少々、不満そうに眉をひそめながら、クガに尋ねる。
「そうだ」
クガは端的に、それでいて断定的に答える。
ここ最近で、アリシアは、HOTな話題となっており、それなりの視聴者を叩き出している。ゆえに、なかには熱狂的すぎるファンもいることだろう。
1500万円というとんでもない額をぽんと支援してしまうような人物もいるのが何よりの証拠である。
更に言うと、配信内容的にかなり恨みを買うこともしている。
そんなアリシアが人間界に行くということは配信で宣言してしまっているのだ。
一目見よう……または何かしらの復讐をしようと、ダンジョン入口で待ち伏せされても何ら不思議ではないのだ。
ゆえに、クガは魔物が人間界に降り立つというこの歴史的一歩を行う日時を事前に予告した上で、それとは関係ない日の深夜にこっそり行うという手段を選択したのである。
「なぁ、クガ……このやり口……まるでイビルスレ……」
「や、やめろ……」
クガはアリシアが言おうとしたことを制止する。
アリシアが言おうとしたのは「このやり口……まるでイビルスレイヤーのよう……」である。
イビルスレイヤーとは、二人にとって因縁の相手である。
イビルスレイヤーは以前、アリシアの築城現場を襲撃したS級パーティであり、クガ、アリシアらによりそれを退けられた。
このイビルスレイヤーが襲撃の際に、三日後にすると宣言しておいて、たったの一時間後には襲撃を開始するという外道なやり方をしてきたのである。
今回、襲撃という攻撃的なことではないにせよ、予告した上で、それより早く実行するというやり方は、まさにイビルスレイヤーのそれがあったから想起した方法であり、そこを突っ込まれるのは、クガにとっては少々、複雑な気分になるところであった。
「まぁ、いい……幸い、作戦は成功したようだ。アリシア、急いでここを離れるぞ」
「あ、あぁ……」
そうしてアリシアは少々、控えめに人間界への侵入を果たすのであった。
……
「ここまで来れば大丈夫かな……」
クガはアリシアを連れて、足早に移動し、ダンジョン入口から1キロメートルほど離れた場所まで来たところで、一旦、足を止める。
「アリシア、大丈夫か?」
クガは、かなり早足で来てしまったため、一応、アリシアに確認する。
「え……? あ、うん……」
アリシアは一瞬、虚を突かれたような表情を見せるが、問題はなさそうだ。
「改めてだが……ここが……人間界か……」
ダンジョンを出てすぐは慌ただしくそこを離れたため、アリシアはこのタイミングで、しみじみとする。
「……どうだ? 人間界に来てみての感想は?」
「そうだな……」
クガに感想を問われたアリシアは周囲を見渡す。そして……、
「なんか…………すごいな……」
「……!」
アリシアがこぼした感想はクガにとって、少し意外ではあった。
確かに、有明付近は、都内でも、かなり区画が整備されている。広く綺麗な道路に、大きな建造物がぽんぽんぽんと規則的に配置されている。
故に、人間界でも上位に入るほど、綺麗な都市であるのは間違いないだろう。
だが、それを見たアリシアが素直というか……率直に人間の文化を讃えてくれるという結果はなんとなく予想していなかったためか、クガは少しだけ驚いてしまう。
「ところでクガ、無事に人間界に侵入できたのはいいとして、この後、どうするつもりなのだ?」
「え……? あ、あぁ……それなんだが……」
……
「ほほう……ここがクガのアジトか……」
「アジトって……」
クガはひとまずアリシアを自分が住む住宅に連れてくるのであった。
「む? 違うのか? あんなにたくさんの扉の中の一つなのだから、クガは何かから隠れて生きているのだろう?」
「違うわ。これは人間界でも一般的な普通の賃貸マンションだよ……!」
「……賃貸? ……これが普通だと?」
アリシアにとっては、ただの賃貸マンションも奇妙なことのようであった。
魔物の街は確かに一軒家……さらに言うと、一階しかない平屋が多いのだ。
「しかし、この部屋に戻るのも久しぶりだ。念のため契約解除しないでおいてよかったな……」
「契約解除?」
「あぁー、いや、こっちの話だ」
「……?」
アリシアはきょとんとしている。
「あ、アリシア、悪いがここで少しだけ待っていてくれ」
「え……?」
クガは一人、部屋に入り、大急ぎで軽く掃除をするのであった。
……
「ほぇー、中は意外と広いのだな」
入室したアリシアは、本人の仮住まいがそこまで広くないこともあってか、クガの部屋をそのように評する。
「そうか?」
クガの部屋はやや古くはあるが、一般的な1LDKである。双頭ダンジョンから比較的近く、少し頑張れば徒歩でも行くことが可能な距離にある。
「うむ、活動拠点としては十分だ!」
幸い、アリシアは満足げだ。と……、
「ふぁああ」
アリシアがあくびをする。
それもそのはずだ。今日は徹夜でダンジョンを脱出してきたのだから。
クガも疲労を感じる。
「少し寝るか」
クガはそのように言う。
「う、うむ……そうだな……と、ところでクガよ……」
アリシアがなぜか少々、もじもじしながら話しかけてくる。
「ん……? どうかしたか?」
「クガよ……つかぬことを聞くが…………見たところ……ベッドが一つしかないようだが……」
「っっ!?」




