第八三話 迫りゆく年の瀬
無事に…あれを無事にと断じて良いのかどうかは微妙なところだが、何とか年末に向けた大掃除も済ませられたので残すところはいよいよ年越し本番のみ。
人によっては待ち遠しく思ったり、またある者にとっては名残惜しく感じることだってあるだろう。
そんな様々な思いが渦巻きつつある年末近く。
そうして気が付けば日月もあっという間に過ぎ去っていき…今日は今年最後の日。大晦日となった。
「…もう一年が終わるんだな。思えば今年は色々あったもんだ」
「………」
テレビでも年末特集やら何やらが流れる様を眺めながら、しみじみといった様子で言葉をこぼしてしまう悠斗に対し咲は呆れたような空気を滲ませて彼を見る。
『そんなに感慨深くなる? 確かに今年が終わるのは少し寂しいけど』
「当たり前だろ。こんな反応にもなるってもんだよ。実際この二か月で俺の生活は激変してるし、咲とも…こうやって過ごすようになるなんて夢にも思ってなかったんだ」
『…それは、そうだけど』
感慨深さを振りまきながら今年が終わってしまう事を実感する悠斗に咲はそこまで大げさなリアクションになるかと語り掛けてくるが、それだけのリアクションをしてしまうくらいには今年は濃いものであった。
正確に言えば年末に差し掛かりかけた十一月から様々なことが起こりすぎていたし、咲と関わり始めたのもそこからなのだから怒涛なんて言葉では到底足りない。
間違いなく今までの人生と比較してもトップクラスに波乱の年だったと断言できてしまうほどに搔き乱され続けた数か月。
そこに一つの区切りと言ってもいい節目を迎えるのだから、溜め息を吐いてしまうのも致し方ないというもの。
それに咲もまた今年が終幕を迎えることには思うところがあったようで、悠斗の言葉に対して部分的に頷いていたのだから。
「とりあえず、今年は本当に世話になった。感謝してるよ」
『…まだお礼を言われるには早いと思う。年越しのお蕎麦だって食べてない』
「あぁ、そういえばそうだったな。まぁ今のは先払いってことにしておいてくれ」
「………」
だからこそ、一年という長い時間に区切りがつけられる今この時は貴重な瞬間だ。
あらゆる場面で世話になりっぱなしであったことにも深く感謝しているし、おそらくはこれからもしばらくはそんな生活が続くだろうことを予測して…悠斗は彼女へと礼を伝える。
すると向こうからはまだ感謝を伝えられるには早いなんて言われてしまい、確かに年明けには数時間ほどの猶予が残っているのでその通りである。
ならば一旦、今の言葉はフライング気味の礼ということにしてもらおう。
「でも本当に、今日も朝から働き詰めだったろ? お疲れさん。あとはのんびり身を休めてくれればいいから」
『大丈夫……って言いたいけど、ちょっとだけ疲れちゃったからそうさせてもらう。だけどあれでやることは全部だから今年のお料理はこれでほとんどおしまい』
「なら良いんだけどな。ところで…今日一日は何をやってたんだ? ずっと何かに取り掛かりきりって感じだったが」
そんな会話を交わしながらホッと一息つく彼女の姿を横目にしつつ、悠斗は咲へと労いの言葉も同時に投げかける。
彼がこんなことを言った理由はとても単純であり、実際咲は大晦日である今日であっても早い時間帯からキッチンにて何かしらの作業に追われているようだった。
具体的な内容は彼自身も聞こうとしたのだがあまりにも忙しそうな彼女の手を煩わせるのも悪いと思い、この時間まで邪魔だけはしないようにと見守っていたのだ。
だがそれもこう落ち着いてしまえば不必要な気遣いであり、積み重なっていた好奇心もあったのでさりげなく尋ねに行く。
すると咲は一瞬迷うような仕草を見せた後、軽く微笑んだかと思えば至極あっさりとした様子で……驚愕の答えが教えられた。
『あれは明日食べるおせち料理を作ってた。いつもより調理手順が多いから、どうしても時間がかかっちゃう』
「…は!? そこまでやってたのか!?」
『…そんなに驚くこと?』
…事も無げに告げられた一言は、悠斗の内心を驚きで満たすのに十分すぎるもの。
あの忙しなさを目の当たりにしているからこそ、普段の料理とはまた違う趣向の品々でも作っているのだろうとは思っていたが…まさかおせちを自作していたなんて思ってもみない返答。
確かに彼女の腕前を知っていればそこまでのものを手がけられても不思議ではないが、だとしても有する技量とかかる労力はまた別物のはず。
咲本人はそれが大層なことだと認識しているのかしていないのか、可愛らしく首を傾げて悠斗のリアクションを大げさだとでも思っているようだった。
どちらの認識が正しいかは…人によって判断が分かれるところだろう。
「驚くに決まってるっての…道理で早くから忙しそうに働き続けてたわけだ。…マジでおせちを手作りしてたのか?」
『嘘なんて言わない。それに、別に全部私が作ったってわけじゃなくて作れそうな料理をやってただけ。流石に丸ごと全部やろうと思ったら時間も手も足りない』
「…まぁ、そりゃそうか。いや、にしても凄すぎることに変わりはないが…」
唐突なんて言葉ではまるで足りないレベルでの暴露だったがために悠斗は隠し切れないリアクションを晒してしまうが、一応咲側も彼女なりの言い分はあるらしい。
いくら彼女ほどの調理技術を持つ者であっても流石におせちという多種多様な具材全てを取り揃えることは不可能とのことで、あくまでも自身が作れるものを手掛けているだけとのこと。
…それだけでも十分以上に凄まじすぎるのは明白なのだが、きっと咲はそんなこと露にも思っていない。
自分の持つ魅力と能力の高さにはてんで頓着が無いため、時たまこうして両者の間で著しい行き違いがあったりもする。
『だから明日は楽しみにしてくれてたらいい。頑張って作ったから、お正月はのんびりして過ごせる』
「…そんなこと言われたら期待せざるを得なくなるんだが?」
『むしろそうしてくれないと困っちゃう。…せっかく悠斗にも喜んでもらいたくて作ったから、いっぱい期待してて』
「…っ! …そうか。ならまぁ…明日を待ち遠しくさせてもらうよ」
「………」
──だが、その中で何気なく発せられた一文。
ほんの少しだけ揶揄い混じりのような意思が垣間見える感情を思わせながら告げられた、悠斗のために作ったという意思を暗に……いや、さほど遠回しとも言えないような言葉選びで口にしてくる彼女に悠斗はむず痒さが湧き上がる。
…全く、こうして二人でいることに慣れてきたと思い始めた矢先でこれなのだ。
思いもよらぬ角度から悠斗の羞恥心と咲の思わせぶりな動向によって逐一心臓を刺激され、あらぬ感情を抱きそうになる己の欲望を理性で無理やり押さえつける。
それでもなお、抑えきれない感情の高ぶりは誤魔化しきれないもので…熱くなる頬を自覚しながら悠斗は指で顔を掻く。
『じゃあ、私はそろそろお蕎麦を茹でてくる。今年最後のお料理…気合い入れてやってくる』
「…あんまり張り切り過ぎないようにな。程々で良いぞ」
『それは駄目。どんな時でも料理は全力でやるって決めてるから。…悠斗も、適当な出来栄えより美味しいものの方が良いでしょ?』
「………まぁ、それはそうだが」
『だったら尚更。じゃ、出来たら呼ぶ』
「…はいよ」
しかしそうこうしている間にも咲の思考は絶えず動いていたのか、ふと時計で現在の時刻を確認した彼女はもうじきで夕食の時間になるということで年越し蕎麦の準備に入っていった。
これが正真正銘、今年最後となる彼女の料理だ。
向こうもその事実があるゆえにやる気が高まっていたようで細腕を高く掲げながら、ムンッ!とでも言いたげに鼻息を荒くしつつキッチンへと入っていく。
…今年一年が終わるまで、残り数時間。
何だか長く思えながらも、その一方で瞬間的に過ぎ去ってしまったとも感じられる年の瀬。
あらゆる意味で思い出が詰まったこの年を振り返りながら、悠斗もまた…その原因の一端を担った少女の後ろ姿を見て温かな感情を覚えるのであった。




