第七五話 必要な買い出し
雪景色に包まれながらも温かさに満たされたクリスマスイブは過ぎ去っていき、二人にとっても当たり前のものとなった日常が戻ってくる。
世間ではイブが過ぎたとしてもまだクリスマス本番が残っているわけだが…正直彼らからすればそちらはさして重要でもなかった。
あくまでも悠斗達が重視していたのは約束を交わしていた日に限られる。
もちろんクリスマス当日も何となく特別感に包まれた雰囲気こそあったが、それはどちらかと言えばイブを過ごしたことで発生した高揚感の余韻に近い。
なので、今日はそんな余韻に浸りながらも悠斗は咲と共にいる時間をのんびりと満喫しようとして………。
『悠斗、ちょっと手伝ってほしいことがある』
「…? 何だ、咲からそんなことを言うなんて珍しいな。何をすればいいんだ?」
…ソファにて休んでいた悠斗の背後からにょきっと腕を伸ばしてきた咲がそんなことを言って来たことを契機に、彼の休息は一旦の幕を閉じる。
しかし珍しいこともあったものだ。
というのも普段咲の方から何か頼み事をされるようなことはほぼ皆無とも言い切ってしまっていいくらいの頻度であり、彼女と過ごし始めてからも数えるほどしか頼みごとをされた覚えはない。
いつもは悠斗の方が咲に面倒をかけっぱなしなのだからもっと頼ってくれてもいいと思うくらいなのだが、彼女なりの矜持なのかそういった機会は中々訪れないのだ。
だがそうした前提がありつつも、今日に限っては非常に珍しく彼女から手伝いを申し出された。
そうなれば悠斗に拒否する意思はない。中身が何であろうと任された役割を全うするだけである。
……それでも迷うことなく即答したことに対して、何故か咲の方が若干呆れたような目を向けてきていた。
『…まだ何も言ってない。安請け合いするのは良くないと思う』
「いや、だって咲の頼みだぞ? そんな変な頼み事してくるとは思えないし、実際咲も俺にそこまで妙なことを任せようとしてないだろ」
『……そうだけど! 考え無しに受け入れるのが駄目って言ってる』
「はいはい。だったら次からちゃんと聞くよ。で? 今回は何をしろと?」
「………」
ある種、信頼の表れとも言えるが彼女からすれば悠斗が自身の言葉を内容すら聞かずに受諾したというのは危機感を嗅ぎ取ったらしい。
ジト目になりながらも彼に警戒心が無さすぎると忠告を促してくれるのはありがたいが…流石の彼も誰彼構わずこんな返答をするわけではない。
むしろ咲以外にはこんなことを言わない。
悠斗がこうも気安く頼みを受け入れるのは相手が咲だからこそであり、仮に他の誰かに言われたのであれば少なからず返事には悩む姿勢を見せていた。
決して警戒心がゼロになったわけでもなければ他者の要求を考え無しに受け入れるようになったわけでもないのだ。
その辺りを勘違いされてしまっては困る。
ゆえにその辺りを言い聞かせつつソファから身を起こし、未だに言いたいことがありそうな顔をしている咲の表情は一旦見なかったこととして話を進めることにした。
…ここで余計な薮蛇をつつけば己の首を絞めるだけだというのは何となく察したためだ。
彼もそのくらいのことは分かるくらいに成長してきている。
まぁ何はともあれ今は彼女が申し出てきた頼み事の内容だ。
そこを真っ先に確認してしまおう。
『…とりあえず今はそれでいい。でも、後でしっかり言い聞かせるから』
「え、それはそれで怖いんだが……」
『悠斗が悪い。……それで頼みたいことだけど、少しお買い物に付き合ってほしい』
「……買い物? 二人で?」
「………!」
…何だか会話のどさくさに紛れてこの後の予定に咲からの説教が加えられてしまったように思うが、そこは気にしたところでどうしようもないので無視だ。
避けられない現実から目を逸らしたとも言える。
どちらにしても触れたら碌なことにならないのは明白ゆえに避ける方向で路線は決定した。
そんな考えもありつつ、未だ不満気な表情を浮かべつつも埋まっている地雷を刺激する必要はないと判断した悠斗は…しかして彼女の言葉を思わず繰り返してしまった。
『そろそろ年末だから、そうなる前に色々買っておきたいものがある。私だけでも行けるけど…持ち帰る物がたくさんありそうだから…』
「ははぁ、なるほどな。そこで俺にも荷物を手分けして持ってほしいってわけか」
『……ごめんなさい。悠斗をこき使うみたいな扱いして』
「謝らなくていいって。そういうことなら俺も無関係ではないんだし、むしろ咲一人にそんな重労働をさせたなんて分かったらそっちの方が気に病むぞ」
どうやら咲が頼みたかった事柄というのは端的に言ってしまえば荷物持ちらしい。
確かに咲の言う通り、クリスマスも過ぎてしまった現在は世間も聖夜の雰囲気を取り払って一気に年末ムード一色となっている。
年越しをすぐに控えているここ数日は一年の節目というだけあり、それに伴って必要になる物も自然と増えていく。
ここの家事を担っている立場にある咲からすればなおのことなのだろう。
それに、そういった事情があるのなら悠斗とて拒否などしない。
彼にしてみれば本来は悠斗がやるべきことを咲に任せきりにしたなどということがあってはそちらの方が申し訳なくて仕方がないし、そんなことはあってはならない。
ましてや荷物を彼女一人で抱えきれない可能性があるというのなら荷物持ちという役割であっても任せてくれた方が何倍も心の安寧のためになる。
『…そっか。なら良かった。じゃあ一緒に来てもらってもいい?』
「おう。……となると、一応知り合いに見られても問題が無いようにまた前髪だけまとめておくとするか。念のためな」
『だったら、私も悠斗がくれたヘアピン着けていく。…そういえば、これもある意味ではデート?』
「デ…ッ!? …まぁ、男女が二人で出かけるならデートと言ってもおかしくはないな」
「………!」
「…何でそんな嬉しそうにするのやら」
次の行動が決まってしまえば動きは早い。
無いとは思うが、彼女と共に外出するとなると咲のことを知る者に顔を見られる可能性がある。
なのでここは変装も兼ねて悠斗は以前に咲がやってくれたようにヘアピンで前髪を留めていくこととした。
あれだけでも意外と人の印象というのは変わるもので、前に出かけた時はかなりの注目を集めたにも関わらず悠斗と咲の関係性が噂されるようなことは無かったのだ。
…まぁ、咲の顔は知られているのでかつては彼女が知らない男と出かけていたという噂が流れてしまったようだがそこはスルー。
何にしても悠斗との繋がりさえ悟られなければ問題にはならない。
ゆえに悠斗も彼女からの誘いは快く受け入れ、外に行くための準備を整えようとする。
……が、その途中で咲が何気なく放ってきたデートという単語には強く動揺させられてしまった。
別に彼女の言っていることは間違ってもいない。
デートというものの定義を辿ってみればそれは二人の男女が…まぁ異性でなく同性でも構わないが、二人の人物が予定を合わせて出掛けること。
彼らの場合は待ち合わせるわけでも無く同じ家から出るという違いこそあれど、大した差異でもない。
つまりはデートとは言っても決して交際関係にあるような者にだけ当てはまる言葉ではないということ。
だからこそ咲が口にした言葉は何てこともないはずであり、そこに大した意図はない、はずなのだが───。
『…もしかして、悠斗今変なこと考えた? 何か意識した?』
「……馬鹿。そんなこと滅多に言うもんじゃないって言ってるだろ」
『私は何がとは言ってない。…ほら、早く行こ。遅れるとお買い物が混んじゃう』
「……分かったから。つつくのをやめてくれ」
──ニヤニヤとした表情を浮かべながら悠斗の頬をつついてくる咲の言動を垣間見れば、否応にもそういった関係性に意識が向いてしまう。
やけに楽しそうにしながら悪戯めいた笑顔となり、揶揄うような動向を見せてくる彼女の姿は…細められた瞳と共に艶やかさが増したようで。
理由は分からずとも、照れくささから咲の顔を直視できない彼の反応を楽しむ彼女の揶揄いはその後も少しの間継続されていた。
……二人がようやく出掛けて行ったのは、それから十分近くが経過した頃である。




