第32章 「硬質ガラスはスノードームに非ず 粒子加速器は地下に在り!」
少佐の2人と天王寺ハルカ上級曹長を見送ってから、私と里香ちゃんの2人は研究棟の実験室へと入室したの。
そこで待っていた物は、きっと6畳間程もありそうな、巨大な硬質ガラス製のドームだったんだ。
「えっ、これが粒子加速器なの?千里ちゃん…」
ガラスドームを指差す里香ちゃんは、不思議そうな顔をしていたんだ。
タキオン粒子加速器というSFチックな名前から、どんなに物々しくて重厚なメカニズムかと期待していたのに、肩透かしを食らったって感じだね。
気持ちは良く分かるよ。
「あのガラスドームの他は、それらしい物はなさそうだよ、里香ちゃん。でも、こんなスノードームの親分みたいなのに、ワームホールを作れるのかな?」
まあ、私としても今のように応じるのが関の山だけどね。
今回の作戦には、ワームホールを生成出来るタキオン粒子加速器が必要不可欠なんだけど、肝心要のタキオン粒子加速器は何処にあるんだろうね。
あのガラスドームが粒子加速器であるとは思えないし、他に実験室にあるのは、コンピューター端末や測定機位だし…
「ここを探してもタキオン粒子加速器は見つかりませんよ、遊撃士さん。」
実験室内を不思議そうに見渡す私達に笑いかけたのは、白衣姿の温和そうな中年男性だった。
彼の名は鳥野新太教授。
タキオン粒子を研究している、堺県立大学の理工系学域の研究者だ。
「えっ…?それはどういう事ですか?」
私に質問された鳥野教授は、得意そうな笑顔を浮かべて軽く首を振ったんだ。
「粒子加速器は、この研究棟の地下に設置されているんですよ。あまりにも規模が大きすぎて、地上には設置出来ないんです…」
マイク無しでも充分に響く朗々とした声で、鳥野教授は粒子加速器の概要を説明してくれたんだ。
今回の「時空漂流者救出作戦」の要となる人為的タイムスリップは、亜空間への出入口であるワームホールを生成する事から始まるんだって。
このワームホールは、超高速まで加速させたタキオン粒子同士を正面衝突させる事で生成出来るんだけど、タキオン粒子を超高速まで加速させる為には、充分に加速出来る距離が必要なんだ。
その為、強力な出力を持つ粒子加速器を作ろうとすると、どうしても大型化しちゃうらしいの。
堺県立大学の擁するタキオン粒子加速器の大きさは、この研究棟の建物1棟半程度らしいけど、これでも効率化と小型化が出来た方で、初期の粒子加速器に至っては、数キロメートル単位の大規模施設だったらしいんだ。
鳥野教授のお話を私なりにまとめると、大体こんな感じになるかな。
私と里香ちゃんに粒子加速器を解説している時の鳥野教授ったら、まるで子供みたいに目を輝かせていたんだよ。
学者先生って人種は、自分の専門分野を誰かに説明する機会に恵まれると、水を得た魚のように生き生きとするんだよね。
にしても、さすがは大学教授。
門外漢の私にもキチンと理解出来る、分かりやすい説明だね。
まるで科学館の職員さんみたいだよ。
「あそこのガラスドームは、生成したワームホールを閉じ込めるための巨大なフラスコ瓶とイメージして頂ければ幸いです。理論上は、ガラスドーム内で発生したワームホールに飛び込む事で、タイムスリップが可能となります。」
「成る程…つまり、あのガラスドームに入った私が、ドーム内に発生したワームホールへ突っ込めば良いんですね。スノードームじゃなくて残念だったね、千里ちゃん!」
里香ちゃんったら、さっきまで鳥野教授の話に熱心に相槌を打っていたのに、いきなり私に向き直ってきたの。
オマケに、さっきの軽口を蒸し返すんだから…
「ちょっと、里香ちゃん…!そんなの蒸し返さないでよ…」
「ハハハ…スノードームですか。そちらの御嬢さんは、なかなかユニークな視点をお持ちですね。」
里香ちゃんに猛抗議を仕掛ける私を見て、あろう事か、鳥野教授まで笑い始めちゃったんだよね。
本当に困っちゃうよ。
「ちょっと!鳥野先生、貴方まで…!?」
小さな含み笑いを止めた鳥野教授は、非難の感情がこもった私の視線を軽くいなしたんだ。
「まあ、生憎とスノードームは、娘に修学旅行土産で貰った五稜郭の物がありますから、もう間に合っていますがね。」
ああ、成る程ね。
どうやら今のは、鳥野教授なりのユーモアだね。
「娘は民間人ですが、友達に訓練生が多い事もあり、特命遊撃士の皆さんの熱心なファンです。今年のつつじ祭りで美しい居合い抜きを披露された、枚方京花さんという少佐の方が、特にお気に入りだとか…」
「あっ…!」
世の中って、誰が何処でどう結び付いているか、本当に分からない物だよね。
「この作戦は私としても、決して失敗する訳にはいきません。そんな事があっては、私は科学者としては勿論、父親としても失格ですからね。」
娘の憧れの人を助け損なったら、父親としてのメンツは丸潰れだね、確かに。
「そうでしたか、鳥野先生…」
鳥野教授に軽く頷いた私は、そっと間合いを詰めたんだ。
「えっ…あの、吹田准佐…これは…?」
娘程の年齢でしかない私に、いきなりこうして手を取られたんだもの。
鳥野教授が困惑するのも、無理もないよ。
だけど、私には決して他意はないからね。
「この作戦、絶対成功させましょう!京花ちゃんが無事に帰還出来たら、京花ちゃんの居合い抜きを、教授の御嬢さんの為に特別に見せてあげますよ!」
ねっ、他意なんてなかったでしょ?
代わりにあるのは、市民に愛される防人の乙女としての、ささやかなサービス精神だけだよ。
有事の際には徴発動員や戒厳令などで御迷惑をおかけするんだから、こういう平時の市民サービスには、一肌でも二肌でも脱いであげちゃうよ。
もっとも、この場合において実際に一肌脱ぐのは京花ちゃんだけどね。
安請け合いしちゃったのは不味かったかな?
「本当ですか…ありがとうございます!きっと美奈未も…娘も喜びますよ!」
美奈未ちゃんって言うんだね、鳥野教授の御嬢さんって。
まあ、こうして鳥野教授も喜んでくれている訳だし、京花ちゃんだって嫌とは言わないよね。




