19.誰がために天使は歌う6
「えっ」
彼は驚き、二の句が継げぬようだった。
「そもそもダヴィデさん、あなたをお呼びしたのは、あなたがあなたのお兄さんの死体を遺棄したことについてです。私はあなたが彼を殺したのだと思いますが、出来れば私はあなたに自首して欲しいと思ってます。あなたの兄のダヴィデさんのためにも」
「馬鹿な、私は兄などいないと言ったはずです! 『存在しない』人間を殺せるわけがない。老神父の手記を裏付けるものはないのだとあれほど……!」
ダヴィデ氏は頑なに兄の存在を認めようとしないが、私は構わず話を続けた。
「私はバーナード神父の手記が真実のみを記したものであることを疑っておりません。しかし彼の書いた手記がなくとも、あなた方が双子であること、あなたが彼の死に関係することは証明出来ます」
「しょ、証明?」
ダヴィデ氏は何かに怯えたように顔を歪ませる。
「そうです。最大の理由はダヴィデさんの遺体の状態です。あなたかさもなくば『ダヴィデ・リーチ』の関係者以外、兄のダヴィデさんの遺体をああまでバラバラにする理由がないんです。理由はお分かりでしょう? 彼とあなたは普通の人間とは違う特徴を持っている」
――特徴。
その言葉を耳にしたダヴィデ氏はピクリと眉を動かした。
「さらに、私は死後、兄のダヴィデさんが取った行動から、『ダヴィデ・リーチ』の関係者の誰かではなく、あなたが犯人であると思っています」
私がそう言うと、ダヴィデ氏はせせら笑った。
「『死後兄が取った行動』とは何なんです? 神父様。まさか幽霊が夢であなたに無念を訴えたとでもおっしゃるのですか?」
私は首を横に振った。
「いいえ、その逆ですよ」
「逆?」
ダヴィデ氏はいぶかしげに私を見つめる。
シーラから話を聞いた私には『ある考え』がどうしても頭から離れない。
「まあ、それはいずれお話しましょう」
と私はそれに関しての言及は避けた。今話さなければならないのは、別のことだ。
「あなたの兄のダヴィデさんは一年ほど前の冬に死亡し、遺体をバラバラに切断され王都の下町に遺棄されました。警察は事件を捜査しましたが、遺体は切断された上、全身に無数の傷を付けられていた。結局身元の判定に至らず、捜査は未解決のままに終了しました」
そう聞くと、ダヴィデ氏はホッと安堵した様子だった。
そして当然の疑問を投げかける。
「警察が身元不明と断じた死体を何故、あなたはそれが私の『兄』の遺体だと決めつけるのです?」
ダヴィデ氏は衣類や顔、身体的特徴など、自らを証明するものを捨て去られ、下町の路地裏に遺棄された。
――ただ一つのものを除いて。
「ダヴィデ・リーチ氏は、我が国を代表する歌手でした。大衆向けのオペラも得意としていましたが、とりわけ名声を博したのは、賛美歌を始めとする聖歌でした。そしてその美しい歌声を称えられ、シモン劇場に手形を刻む栄誉を授かりました」
卓越した功績を残し、一流の歌手として認められた者は、その偉業を称えられ、記念としてプレートに手形を残すことを許される。
特に、シモン劇場で手形を刻むことは、歌手にとって最高の名誉とされていた。
「シモン劇場の手形……」
ダヴィデ氏はハッと息を呑んだ。
「そうです、現在シモン劇場に飾られている『ダヴィデ・リーチ』氏の手形はあなたのものではない。聖歌を得意とした兄のダヴィデさんの手形です」
ダヴィデ氏は手袋に包まれた手を握りしめた。
紳士は公の場で手袋を外さないのが一般的なマナーだ。しかしダヴィデ氏の場合は違った意味がありそうだ。
「そっ、そうだとしてもそれが兄の遺体だという証拠はない!」
ダヴィデ氏は叫んだ。
「それがあるのです。遺体はバラバラにされ、運良くほとんどの断片は発見されましたが、特に頭部の損傷は激しく、顔立ちも分からない状況でした。そのため、警察では普段はあまりしない方法で彼の特徴を残しました」
ダヴィデ氏は「まさか……」と愕然と呟いた。
「彼らはダヴィデさんの指紋を採取していたのです」
指の腹にある皮膚の模様が最近学会で注目を集めているという。
この模様は指紋と呼ばれ、個人によって異なるため、個人識別に利用出来るのではと研究が進められている。
例え双子であっても、指紋は一致することはなく、それぞれ異なるのだ。
***
始まりは、一年前のギュスターヴ・デュプレの死だった。
ギュスターヴ・デュプレはその地位に執着していたが、いよいよ身体の具合も悪くなり、引退を余儀なくされた。
デュプレは自らが育てた音楽家の中でも最も優れた歌手『ダヴィデ・リーチ』兄弟のうち、兄のダヴィデさんを後継者に決めた。
これを聞いた弟のダヴィデは怒り、デュプレの屋敷に乗り込み、抗議した。
確かに兄のダヴィデさんの歌う聖歌は芸術的に高く評価されていたが、『ダヴィデ・リーチ』の興行的な成功を支えていたのは、弟のダヴィデが歌うオペラだった。
デュプレはその収益に恩恵を受けていたにも関わらず、兄のダヴィデさんを優遇した。弟のダヴィデはそれに以前から強い不満を抱えていた。
彼がこの処遇を受け入れていたのは、いずれデュプレの後継者となり、学長に就任させるという約束を信じていたからだ。
また兄のダヴィデさんは大人になっても病弱で、季節の変わり目などには体調を崩しやすい。さらに性格的にも声楽以外にまったく関心を持たない、いわゆる芸術家肌の人で、音楽学校の学長としての資質には欠けている。
それはデュプレも理解していたはずだった。
一方、弟のダヴィデは自分が後継者となるべく後援者を募り、カストラートに否定的な音楽界の人々の中で、苦労しながら地位を築いた。
その努力をデュプレも間近で見ていた。
だが蓋を開けてみれば、弟が学長になることを応援していたはずの兄のダヴィデさんは、弟ではなく自分が学長になることを既に同意済みだという。
そしてギュスターヴ・デュプレは弟のダヴィデに対し厚顔にもこう言い放った。
「お前が影となり、兄を支えればいい」
弟のダヴィデはこの発言に激昂した。
彼とデュプレは激しく言い争った。口論の末、弟のダヴィデはデュプレを突き飛ばし、デュプレはよろめき、床に倒れ込んだ。
この秘密の話をするため、デュプレはあらかじめ人払いをしており、彼らは二人きりだった。
デュプレは元々偏屈な老人だったが、晩年はさらにその性格が顕著になり、彼の屋敷で主に近づけるのは長年仕えた老僕だけとなっていた。
「旦那様、何かございましたか?」
騒ぎを聞いて部屋に駆けつけたのも、この老僕ただ一人だった。
老僕は駆け寄り、横たわる主の息を確かめた。
「……死んでいる」
既にデュプレの心臓は止まっていた。
老僕はすぐに我に返り、棒立ちになって立ちすくむダヴィデに言った。
「あなたは今すぐにお帰りなさい、ダヴィデ様」
「だが……」
内密の話とあって、玄関先でダヴィデを出迎えたのはこの老僕で、屋敷の中で誰にも会わなかった。
老僕はダヴィデに言い含めた。
「警察が来てもギュスターヴ様にはお目に掛かったが、体調が悪そうだったのですぐに帰ったとそれだけ言うんです」
弟のダヴィデは老僕に言われた通りにすぐに屋敷を出た。
老僕はダヴィデ兄弟にとって育ての親のような存在だった。
老僕は自分の子供のようなダヴィデを哀れみ、彼をその場から逃がしたのだ。
老僕は翌日の朝になってから、変わり果てた主を『発見』し、かかりつけの医師を呼んだ。
デュプレが亡くなっていた場所は彼の寝室ではなく客を迎えるための談話室だったが、年老いた彼は眠りが浅く、深夜になってから寝室から抜け出し、談話室で己が受けとった数々のトロフィーを眺めて過ごすこともしばしばだった。
この歳の老人にはよくあることだが、デュプレもまた心臓を悪くしていた。そのため、かかりつけの医師は、あっさりとデュプレの死を心臓発作と診断した。
弟のダヴィデはデュプレ邸から立ち去った。
しかしその後、彼は取り返しがつかない過ちを犯した。
魔が差した。とでも言うのだろうか、彼は悪魔の誘惑に取り憑かれた。
彼は『たった一人のダヴィデ・リーチ』となるため、兄のダヴィデさんを殺害することを決意したのだ。
これは非常に簡単な仕事だった。
兄弟はデュプレ邸の近くに使用人も置かず、ひっそりと二人だけで暮らしていた。
兄のダヴィデさんは芸術家が時にそうであるように、繊細な性格だった。
弟のダヴィデがしたのは、日頃から彼が常用していた睡眠薬の量を増やすこと。
それだけだった。
兄のダヴィデさんが眠りにつく前、弟のダヴィデは彼に尋ねた。
「兄さん、ギュスターヴ先生から学長になるように言われて、あなたが了承としたと聞いたんだ」
兄のダヴィデさんは朦朧としながらもはっきり頷いた。
「本当だよ。僕は子供達に音楽の楽しさを教えたい」
それを聞いた弟のダヴィデは躊躇うことなく、兄の死への眠りを見届けた。
***
弟のダヴィデは私の勧めに従い、警察に自首した。
兄のダヴィデさんの遺体は掘り起こされて、新たに彼の名が刻まれた立派な墓が建てられた。
新聞はこの事件を大々的に報じた。
しかし、私の個人的な印象としては、報道の内容には偏りがあり、少々眉をひそめざるを得ない。
現にお茶の時間に新聞を読んでいだシーラは紙面から顔を上げ、こうぼやいた。
「遺体をバラバラにするなんて、猟奇的な犯罪で、弟のダヴィデは兄のダヴィデさんをすごく恨んでいたって書いてありますね。なんで弟はお兄さんのことそこまで嫌いだったんでしょうね」
「いや、シーラ君、それは違う。弟のダヴィデは兄の遺体を切り刻まねばならない理由があったんだ」
「理由? 理由って何ですか?」
「カストラートは普通の成人男性とは違う身体的特徴を持っている。その一つが、喉仏だ」
私は自分の顎の下を指さした。
「男性なら誰でも喉の一部が出っ張っているが、カストラートはこの喉仏がない。そのために子供の頃の高音域が大人になっても維持出来るんだ。それにダヴィデさんは有名人だったから、顔を見ればすぐに分かってしまう。だからダヴィデは兄のダヴィデさんの頭部を傷つけ、喉の部分を切断した」
「へー」
「そしてもう一つ、カストラートは男性器が成人男性と違う」
シーラは頬を赤めた。
「だ、男性器ですか」
「そうだ。睾丸を第二次性徴前に失った彼らは生殖器が子供の頃から成長しない。一般的な成人男性よりかなり小さいらしい」
「ふっ、ふーん、そうなんですか」
「それに、ダヴィデさんには性器に睾丸が切り取られた手術痕が残っている。それもまた隠さねばならなかった。その二つの部位だけ破壊すると、かなり怪しいだろう?」
「まあ、確かに」
「だから、弟のダヴィデはお兄さんをバラバラに切断せざるを得なかったんだ」
兄のダヴィデさんの男性器は川に流して捨てたそうだ。今だ見つからないということは、魚の餌にでもなったのだろう。
私は弟のダヴィデに思いを馳せた。
彼は今、新聞記事では師匠を殺し、天使のような兄を殺した悪魔のごとく扱われており、警察の取り調べでも黙して何も語らないという。
おそらく彼は死刑となり、罪を贖う気なのだ。
だがそれは私が求めた真実でも、正義でもはない。兄のダヴィデさんも望んではいない。
まず事件の発端となったギュスターヴ・デュプレの死だが、弟のダヴィデは本当にデュプレを殺したのだろうか。
弟ダヴィデの突き飛ばしがデュプレの死の原因である可能性は高いが、突発的な衝撃が心臓発作を誘発し、死に至ることは十分にあり得る。
突き飛ばしたのは偶発的な口論の末のことであり、そこに殺意はなかった。
これは殺人ではなく、故意なく人を死亡させた過失致死に相当する。
デュプレの死から一か月後に老僕も亡くなった。
その死に弟ダヴィデが関わっているとも言われているが、彼が口を閉ざしているため、一切の事情は分からぬままだ。
にも関わらず新聞は彼が殺したのだと書き立てている。
彼は正しく裁かれるべきだが、必要のない汚名までも受け入れる必要はない。
私は彼の弁護士を通じ、弟のダヴィデに手紙を出した。
『真実を余さず話すように』と。
私は弟のダヴィデにも十分に情状酌量の余地はあると思っている。
手紙にはもう一つ、彼が誤解をしていると思われる部分を書き記した。
「…………」
手紙を書いている時に、私は、ふと、弟のダヴィデとこの寺院で別れた時のことを思い出した。
私は、礼拝堂の天使像から兄のダヴィデさんの声が聞こえると言う人々がいることを、彼に伝えた。
弟のダヴィデは非常に驚いた様子だった。
私はそんな彼に「君にも聞こえるかもしれないよ。寄っていくかい?」と聞いた。
しかし、弟のダヴィデは少し逡巡した後、『いいえ』と首を横に振り、兄弟の再会は叶わなかった。
シーラによると兄のダヴィデさんは、新たに建てられた彼の立派なお墓ではなく、相変わらず天使像の辺りにいて、子供達に歌のアドバイスをしているそうだ。
「神父様は何を書いたんですか?」
「シーラ君が言っていたことだよ」
「えっ、私?」
「そう、君は兄のダヴィデさんに『たくさんの人にアドバイスするの疲れません?って聞いたら、今が一番楽しいって言ってました』と言った」
「あー、そうでしたね」
「兄のダヴィデさんは自らの死についてほとんど語ることはなかったとシーラ君は言っていたね。もしダヴィデさんが自らの死に対し少しでも負の感情を持ち合わせていたら、きっと君に恨み言の一つでもこぼしたんじゃないかと思うんだ」
「そうかもしれませんね」
「だが、それはまったくなかった。だからこそ、私は兄のダヴィデさんが少しも恨みに思わなかった人間――弟が犯人じゃないかと考えたんだ」
弟のダヴィデは兄から恨まれていると感じている。それは彼が自らの犯した罪を悔やみ、怯えているからだ。
私は手紙に、『兄のダヴィデさんは君のことを恨んではいないと夢で見た』と記した。
シーラのことは秘密にしておかなければならないので、例のごとく、私が兄のダヴィデさんの夢を見たという設定にした。
これは弟のダヴィデの罪悪感を薄めるためではない。兄のダヴィデさんのためだ。
『彼は今、神の家でとても楽しく暮らしている』。
「私はギュスターヴ・デュプレが兄のダヴィデさんの意思をねじ曲げた形で弟のダヴィデに伝えた可能性は十分にあると思っている。兄のダヴィデさんは、確かに学長になりたかったが、彼にとっては『ダヴィデ・リーチ』が学長になるのでありさえすれば、兄でも弟でもどちらでも良かったんじゃないかな。子供に音楽を教えられれば」
「それはダヴィデさんの性格的にありそう」
とシーラも認めた。
「デュプレは兄のダヴィデさんの方に学長をやらせたかったらしいが、単に兄の方が傀儡に出来そうだからだよ」
シーラは私をじっと見つめ、「神父様はデュプレに随分辛辣ですね」と言った。
「それは仕方ない。私はバーナード神父に対し彼がした所業に腹を仕立てているからね。手記を見れば誰でも怒りを感じるよ。彼は独善的過ぎる。大体、ダヴィデ兄弟に対する仕打ちもむごい。約束してきた後継者の地位を急に反故にしたデュプレのやり口は卑劣そのものだよ。今まで散々吊ってきた人参を急に取り上げるような真似をすればどんな大人しい馬だって怒る」
私の熱弁に対し、シーラは「はーい」と素っ気なく相づちを打ち、だが「あっ」と何事か気づいたように私を見た。
「神父様、さっきバーナードって言いましたよね」
「バーナード『神父』だ。君の大先輩だよ」
「兄の方のダヴィデさんに声をかけたのはバーナードさんだそうです」
「えっ」
私は絶句した。
「色々あったんですっかり忘れてましたが、ダヴィデさん、その人にチャス坊主に会ったら、『元気でやりなさい』と伝えてくれって頼まれたって言ってました。神父様、チャスさんって知ってます?」
「私だ」
「へっ」
「チャスはバーナード神父が私に付けたあだ名だよ。そうか、ダヴィデさんを導いたのは、バーナード神父だったか……」
恐る恐る、「今、彼はどうしている?」と聞くと、シーラはバーナード神父はここにはいないと答えた。
お役目を果たした彼は、天国に向かったのだろう。
なんとなく感傷的な気分になり、食堂の窓の外を眺めた私にシーラが言った。
「いつか、ダヴィデさんのところに弟が会いに来れるといいですね」
「そうだな。時、至ればそんなこともあるかも知れないね」
私はそう答えた。
その後、弟のダヴィデは供述を始めた。
弟のダヴィデが一番悔いているのが、ギュスターヴ・デュプレに仕えた老僕の死だ。
弟のダヴィデはこの老僕の死に関わっておらず、事故か自殺なのか、彼にも分からないそうだ。
ただ、ダヴィデは兄を殺してしまったことを、この老人に打ち明けていた。
老僕はそれを聞いてひどく悲しんだという。
また同時期に彼の弁護士がバーナード神父の手記を公開するとそれを皮切りに、デュプレの仕打ちを証言する者が出始め、弟のダヴィデは情状酌量により死刑は免れた。
天使像は、その後も密かに歌い続け、子供達を導いた。
三話目終了です。
ストックが切れたので次回から不定期になります。どうもありがとうございました。
今回、被害者はカストラートだと分かっていたお人はどのくらいいたのか気になってます。一話(エピソード14)から分かっていたという方はリアクションボタンの斜め涙をポチッとして頂けたら嬉しいです。




