第3部 第28話
冬の朝は静かだ。
布団の中にいると、あまりの静けさに耳鳴りがする。
いや・・・
遠くから、かすかに音が聞こえてきた。
ブルルルルン・・・
その音は、早くなったり遅くなったりしながら、
段々と大きくなる。
そして、俺の住むマンションの前で止まった。
来た!!!
俺は、ベッドから飛び起きると、
パジャマ代わりにしているジャージの上にコートを羽織って、階段で1階まで走り降りた。
「おはようございます!」
「あ。おはようございます。これですか?」
俺より若いであろう新聞配達の兄ちゃんが、苦笑いしながら新聞を差し出してくれた。
恐らく、既に何軒かで俺みたいに家から飛び出て来る奴に会ってるのだろう。
昨日、2日間に渡って行われたセンター試験が終わった。
今日の新聞にセンターの回答が載っている。
俺は今度はエレベーターに乗り、早速そのページを開いた。
昨日、予備校がセンター終了直後に速報で流した問題を、
俺は数学はもちろん、他の科目も解いてみた。
俺自身はセンター試験を経験したことはないが、
やってみると中々面白い。
そして、去年のセンターが簡単だったことから予想してはいたけど、
今年のセンターは難しかった。
数学に至っては、ゆっくり時間をかけて解いても、
高校生に満点は難しいかもしれない。
みんな、どうだっただろう。
「おはよう」
「おはよーございまーす」
俺が5組の教室に入ると、
普段は問題集と睨めっこしている生徒達が、
今日はセンターの問題用紙と新聞片手に挨拶を返した。
俺は教卓の前に立って、みんなの顔を見渡した。
安心した顔の、藍原。
ちょっと渋い顔の、遠藤。
泣き出しそうな顔をしている、飯島。
月島と三浦はいつも通り飄々としていて、
良かったのか悪かったのかわからない。
他の奴らも様々だが、
大体が暗めの顔だ。
「今年のセンターは難しかったな。ガッカリするな。みんな同じだ。
全国平均も低そうだし、あんまり悲観的になるなよ」
みんな軽く頷きはするものの、
相変わらず表情は冴えない。
「今から、自己採点記入表を配るから、すぐに書いて持ってくること。
志望校を変える奴は、進路相談するから備考欄にそう書いておいて」
志望校を変える、というのは、
センターの点数が志望校のボーダーに届かない、という意味だ。
そんな奴、一人だっていてほしくないけど、
今回のセンターじゃ、何人かそういう奴は出てくるだろう。
俺は記入済みの自己採点記入表を手に、職員室に戻った。
森田先生と坂本先生が既に自分の席につき、
同じものを見ている。
「坂本先生、どうでした?」
「・・・厳しいわね。特に数学が苦手な生徒には大打撃だわ」
「そうですね」
俺も席につき、パラパラと採点表を見た。
志望校の変更を希望する生徒が4人。
遠藤と飯島はギリギリだけど、このまま行くようだ。
文系、理系、それに志望する大学に必要な科目数によって変わっては来るけど、
5組のトップは・・・
三浦。
次が月島だ。
月島にとっては決して「成功」と言える結果じゃないが、
2次試験重視のT大を受けるにはじゅうぶんな点数だ。
三浦は、T大志望ではないが、かなり余裕を持って2次に臨める。
この二人は、もう本人に任せるしかない。
俺が顔をしかめて採点表と睨めっこしてると、
ホテルに行ってるくせに不純異性交遊していない二人が職員室に入ってきた。
どうでもいいけど、藍原。
それはいくらなんでも酷なんじゃないか・・・?
月島もそれはしないぞ。
「本城」
「なんだよ、二人揃って。志望校変えないんだろ?」
「今話し合ってたんだけど、やっぱり変える。二人ともS大にする」
「S大?」
遠藤が藍原をチラッと見てから、
申し訳なさそうに言った。
「藍原はY大で大丈夫だろうけど、俺は危ないからさ」
俺は顔をしかめた。
生徒の人生だ。
もう子供じゃないし、こいつらなりに真剣に考えたんだろう。
俺がとやかく言うことじゃないかもしれない。
・・・いや、担任の俺が、とやかく言わなくてどうする!
「遠藤はともかく、藍原はせっかくY大に受かるレベルにいるんだ。
変えるなら、遠藤だけS大にしろ。大学が違ったって付き合えるんだ」
「そうだけど・・・」
「とにかくもう一度考え直せ」
「本城君らしくもない。受けたいところ、受けさせてあげたらいいのに」
二人を教室へ戻らせた後、ため息をついていると、
向かいの席のコン坊が机に肘をついて言った。
「あのな。みんながみんな希望する大学に行けるわけじゃないけど、
全員、それなりに納得の行く大学に浪人せずに入ってほしいんだよ」
俺は椅子に深く座りなおして腕を組んだ。
そりゃ希望する大学に行けるに越したことはない。
どうしても妥協できないなら浪人するのも、ありだとは思う。
でも、遠藤と藍原は、ちょっと違う気がする。
「何が違うの?」
「なんてゆーか・・・そんな恋愛と受験をごちゃ混ぜにしていいのかよ」
「いいんじゃない」
良くない!
「だって、何のために受験するかなんて、本人次第でしょ」
「・・・」
「将来やりたい仕事があるから、この大学のこの学部に行きたいって立派な考えを持ってる生徒もいれば、
大学なんて大して興味ないけど、取り合えず学歴はあるに越したことないからって受験する生徒もいる」
「そうだけど・・・」
「でも多分一番多いのは、どこの大学行っていいかよくわからないから、
今の自分の学力で行ける大学に行くって生徒だと思うのよね。私もそうだった。
だったら、どうせなら少しレベル落としてでも好きな人と同じ大学にいきたいじゃない?」
「違ってもいいだろ」
「同じ空間を共有できるじゃない。
学校のあの場所が好きだとか、あの教授はどうだとか、あの授業は面白い、とか。
そういうのを積み重ねて、将来あの二人、結婚するかも知れないでしょ?
別々の大学に行って、話が合わなくなって別れるようなことになったら、本城君責任取れる?」
俺は言葉に詰まったが、
まだ反撃の余地はある。
「大学が同じでも社会人になったら、同じ会社にいける確率なんてかなり低いじゃないか」
「学校と会社は違うわよ。本人達も大人になってる訳だし」
「・・・コン坊、いつになく意地悪だな」
ってゆーか、いつからそんな恋愛至上主義になったんだ。
宏と結婚を決めた影響か。
「そんなんじゃないわよ。私は変わってない。あくまで冷静に客観的意見を述べてるだけ。
レベルのいい大学に行くことが全てじゃないわ。本人が幸せな人生を歩めるかどうかが大事なの。
変わったのは本城君よ」
「え?」
「多分、前なら『自分の人生だから好きな大学いけば?』って言ってたと思うよ。
だけど必死で勉強している生徒達を見てきたから、恋愛とかに惑わされずにいい大学に入って欲しいのよ」
「・・・」
「でも、早く楽にしてあげたいから、浪人はさせたくない。
本城君の本心としては、藍原さんにY大、遠藤君にS大を受けて欲しいんでしょ?」
「・・・うん」
「親心、ね」
「親心?」
「そう。教師としてはいいことだと思うけど、親心のある教師なんて生徒に嫌われるわよー?」
コン坊がニヤニヤする。
「思春期の子供には親の心配なんてうざったいだけだもんね。親の心 子知らず、よ。
生徒のことを本気で想ってるから、そうなっちゃうんだろうけど。
私も1年後、そうなれてるかしら?」
・・・確かに、俺も学生時代、
色々うるさく言って来る教師は嫌いだった。
「お前らの好きにやれ」って放っておいてくれる教師との方が、
話も合って友達みたいで好きだった。
でも、自分が教師になった今、
あの頃先生達がうるさく言っていたことって、大事なことだったんだとわかる。
もちろん時には生徒の自主性に任せることも大事だけど、
それは「放っておく」のとは違う。
「うーん。やっぱ、受験戦争を戦ってきた奴は言うことが違うな」
「本城君がお坊ちゃまなだけよ。宏もね」
宏の奴、さぞかし尻に敷かれていることだろう。
「・・・どうするかなあ」
俺は椅子の背にもたれて、
頭の後ろで手を組んだ。
「それは自分で考えてよ。教師でしょ」
「冷たいなー」
でも、コン坊の言う通りだ。
俺は教師だ。
遠藤と藍原の担任だ。
生徒が一番幸せになれる方法を考えてみよう。




