第3部 第26話
どうやって俺が朝日ヶ丘高校にいることを調べたのか知らないが、
一昨日、マックスは学校にやって来たときに、
「24日の夜まで日本にいるから、よかったら会いに来て欲しい」と言い残し、
滞在中のホテルに帰っていった。
そう言われなくても会いに行くつもりだったし、
「会いに来て欲しい」と言われて、ホッとした。
マックスが教えてくれたホテルは、都内でも最高級のホテルだった。
宿泊しているのはロイヤルスイート。
フロントでマックスを呼び出してくれるよう頼むと、外出中とのことだった。
仕方なくロビーで待とうかと思っていたら、ホテルマンが「失礼ですが、本城様ですか?」と
訊ねてきたので、そうですと答えると、なんと部屋の中へ入れてくれた。
普通、ロイヤルスイートなんかに、部屋の主が留守のうちに客を入れるなんてありえないだろう。
マックスがしっかり言い聞かせておいてくれたらしい。
俺は部屋の中を見渡した。
ありがたいにはありがたいが、こんなバカでっかい部屋で一人ポツンと待っているというのも
気が引ける。
本当に広い。
豪華なリビングと寝室、他にも部屋がある。
マックスは一人で日本に来たと言っていたから(当然秘書らしき人間はいるだろうが)、
ここに一人で泊まってるのか?
そう言えば、マックスの実家もデカかった。
初めて遊びに行った時は、どこの城だよ、と思ったものだ。
あそこに住んでいるのはマックスの両親とマックス、
それに何人かの使用人だけだ。
マックスは、自分はゲイだと親やクラスメイトにカミングアウトした後、
あの広い家で、肩身の狭い思いをしながら1人で過ごしていたに違いない。
想像すると胸が痛む。
まだ小学生だったマックス。
何を思ってカミングアウトしたんだろう。
俺に何を期待していたんだろう。
呆れるほど大きな窓から、遥か下に広がる東京を見下ろしてみる。
マックスはこの景色をいつでも自由に見ることのできる人間だ。
でも、マックスは幸せなんだろうか?
「シンヤ」
「・・・マックス・・・」
いつの間にか、マックスが部屋の中に入ってきていた。
でも入り口付近に立ち止まったまま、俺に近づこうとしない。
俺よりデカイくせに、やたら小さく見える。
まるで・・・小学生のマックスそのままだ。
マックスが何か英語で俺に話しかけてきた。
一瞬、何を言われてるのか理解できず、慌てて頭を英語モードに切り替える。
今年の春から夏にかけて、月島のリスニング勉強に付き合ったことが、
こんなところで役に立つとは。
「シンヤ。この前は悪かったよ」
「この前?」
「一昨日。学校で・・・」
「ああ」
公衆の前面で(っつっても、5組の生徒だけど)俺にキスしたことを言ってるらしい。
「いいよ、そんなこと。気にしてない」
「・・・うん・・・」
それっきり、2人とも沈黙した。
何を話していいかわからない。
いや、言いたいことは、
言わなきゃいけないことは、ある。
でも自分が本当に言いたいことを相手に伝えるのは、
日本語でも難しい。
ましてや、英語となると・・・
って、違うか。
難しいのは、言葉にすることじゃなくて、
伝えたいことを恥ずかしがったり怖がったりせず、一生懸命伝えることだよな。
でも、マックスがこの9年間味わった辛さを思うと、
「難しい」なんて言ってられない。
俺はゆっくりと言葉を捜した。
俺が今一番言いたい言葉、
マックスに一番言ってやりたい言葉。
それは「あの時はごめん」とか「ゲイなんてこと気にするな」とかじゃないよな。
「久しぶりだな、マックス」
「・・・うん」
「会いたかったよ」
「・・・シンヤ」
マックスは目を潤ませて、微笑んだ。
「えっ。じゃあマックスの婚約者って日本人なのか?」
「うん」
俺とマックスはリビングのソファで酒を飲みながら話した。
9年前はコーラだったのに、大人になったもんだ。
「僕の両親も、僕がシンヤのこと好きだったって知ってるからね。
せめても、って日本人の女の人を探してきた」
「せめても、って・・・」
俺が苦笑いすると、マックスも「困った人たちだよね」と言って笑った。
「それにしても日本人の女性は奥ゆかしいね」
「・・・」
たくさんの芋栗かぼちゃ(女)が俺の頭に浮かんだが、
誰一人として「奥ゆかしい」という表現に値するやつはいないぞ。
「彼女はハルって言うんだけど、僕のことを理解した上で、結婚していいと言ってくれている」
「・・・そうなのか」
「うん。男女としての恋愛感情がなくても、家族としての愛があればいい、って」
それは確かに奥ゆかしいな。
でも・・・
「マックスはそれでいいのか?このまま女と結婚して、本当に幸せなのか?」
「じゃあ、シンヤが僕と結婚してくれる?」
「えっっ」
アメリカって同性同士で結婚できるんだっけ?
いや、でも、俺、日本人だし。
って、そーゆー問題じゃないぞ。
「い、いや、それは・・・」
「はは、冗談だよ」
「ほんとかよ・・・?」
焦る俺を見て、マックスは楽しそうにグラスを取った。
が、その表情がすぐに曇る。
「正直、悩んでる。このまま結婚して、僕もハルも幸せになれるのかどうか、わからない」
マックスはそう言って、俺の目をジッと見た。
わかってる。
マックスは俺に、「何言ってるんだ。さっさと結婚しろよ」と言って欲しいだ。
「・・・」
「シンヤ?」
「・・・ないか」
「え?」
「どっちでもいいんじゃないか?」
「・・・え?」
マックスが困惑する。
「どういう意味?」
「あのな。結婚なんて俺もしたことないんだ。マックスがそのハルって女と結婚して、
幸せになれるかどうかなんて俺に分かるわけないだろ」
「・・・」
「異性同士ですげー愛し合って結婚しても、幸せになれずに離婚するカップルだって
吐いて捨てるほどいるのに」
「・・・」
「ハルがマックスと結婚していいって言ってるんだったら、後はマックスが、
ハルと結婚したいかどうかだけだろ。したいならすればいいし、したくないならしなきゃいい」
マックスはしばらく黙ったまま俺を見ていた。
が、やがて目を細めて言った。
「シンヤは変わってないね。昔のままだ」
「え?俺、変わってない?だいぶ大人になったと思うんだけど」
嫌だぞ。あの時の俺のままなんて。
だけどマックスは自信たっぷりに言った。
「ううん。変わってない。昔は恥ずかしさからか、少し人目を気にはしてたけど、
本質的なところは何も変わってない」
・・・マックスは「少し」と言ってくれたが、
「少し」どころの騒ぎじゃない。
その犠牲になったのが、他ならぬマックスのはずなのに、
マックスはそんなこと全然に気にしてないみたいだ。
「・・・マックス、ごめんな」
「何が?」
「・・・昔」
だけどやっぱりマックスは笑って首を振った。
「シンヤ。僕がどうしてカミングアウトしたかわかる?」
「いや」
「あれは自分への予防線だったんだ。カミングアウトしてみんなに避けられることで、
『やっぱり同性愛者っていうのは変なんだ。僕もこのままじゃダメだ』って自分に言い聞かせたかったんだ」
「・・・」
「でも、せっかく計画通りみんなに嫌われたのに、結局僕は『ダメ』なままだった」
それはつまり、同性しか愛せないってこと、か。
「ハルと結婚すれば、今度こそやり直せる気がするんだ」
マックスは、自分自身に言い聞かせるように頷いた。




