第3部 第24話
家に帰ると、俺は床に座りテレビをつけた。
今日のこと、月島はどう思ってるだろう?
あれがもし女なら、かなりの弁解が必要だけど、
幸いというか、あいつは男だ。
これ以上の説明も必要ないだろう。
テレビでは何かの番組をやっているけど全く頭に入ってこない。
でも・・・あ、なんかクリスマスの話をしている。
そっか、もうすぐクリスマスだ。
今日、学校にやってきた男。名前はマックスと言う。
あいつと最後に会ったのも、9年前のクリスマスイブだった。
あの時マックスは、俺から少し離れたところで、寂しそうに俺に手を振っていた。
そんなマックスに俺は・・・
そうだ。
そう言えば、あれもクリスマスイブだった。
俺は、本棚からある本を取り出した。
そして何年ぶりかにその本を開いてみる。
何年ぶりか?
いや、開いたことは一度もなかったかもしれない。
そのくせ、こうやって、一人暮らしを始める時に実家からわざわざ持って来た。
パラパラと分厚い紙をめくり、あるページで手を止めた。
そこには、少し若い俺の写真。
思春期ならではの、というか、ちょっと冷めた表情をしている。
そして同じページの左上に目を移す。
今度は、俺の写真なんかよりずっと大きな写真が目に飛び込んできた。
この写真こそ、俺がこの本を開けずにいた理由だ。
その写真には、明るい笑顔が写っている。
高校時代、俺がどうしても手に入れたくて、だけどついに手に入れられなかった笑顔が。
俺がその先生に初めて会ったのは、高校1年の数学の授業の時だった。
最初に俺の目を引いたのは綺麗な黒髪。
今思えば、見た目の雰囲気は月島に似ていた。
次に気になったのが、その熱血ぶり。
俺が通っていた堀西学園は、小学校から短大・大学までエスカレーターで受験はないし、
生徒は、将来は家を継ぐっていう坊ちゃん・お嬢様ばかり。
真面目に勉強する奴なんていやしない。
そうなると、教師もどことなくやる気がない奴ばっかりだった。
だけどその先生だけは、何故かいつも一生懸命だった。
「こんな学校じゃ教師もやる気が出ないな・・・ううん、ダメよ!教師の私がそんなことでどうするの!」
ってその背中にいつも書いてあった。
でもその熱血ぶりか空回ってて、とにかく見ていて飽きない先生だった。
堀西学園はクラス替えが少ない。
小学校3年と中学1年、高校1年の3回だけ。
(大学には「クラス」って概念がないし)
理由は、堀西の生徒の親はどっかの会社の社長だったり政治家だったりする。
そんな親の利害関係を考慮すると、同じクラスにできる生徒ってのは限られてくる。
だからクラス替えはほとんどなかったし、してもクラスの面子はあまり変わらなかった。
現に、俺と宏なんて小学校1年から高校3年までずっと同じクラスだ。
その代わりと言う訳ではないが、担任だけは毎年変わる。
だけど、俺は高校1年の時も2年の時もその先生のクラスになることはなかった。
そんな高校2年生の終わり頃。
俺は姑息な手に出た。
さりげなく、だけどかなり強く、宏に「あの先生のクラスになってみたいな」、と言ったのだ。
宏が遠藤みたいにおめでたい奴なら、「へー」で終わるところだが、
宏はちゃんと俺の深意を汲み取ってくれた。
俺と宏は、3年の時、その先生のクラスになった。
学園に莫大な寄付をしている和田家の「一言」は俺の予想以上に力を持っているらしい。
お陰で、高校最後の1年間は楽しかった。
先生を見ているだけで面白かった。
ただ、俺は自分の気持ちに名前がつけられず、適当に彼女を作ったりしてたので、
先生には、かなりの遊び人だと思われていたらしい。
まあ、間違ってはないけど。
俺がようやく自分の気持ちにはっきりと気づいたのは、3年のクリスマスイブの日。
先生が、俺達の卒業と同時に学校を辞め、結婚すると知った時だった。
それだけでも相当ショックだったが、
クラスのみんなで先生の結婚式に行き、
最高の笑顔で涙をこぼすウエディングドレス姿の先生を見た時は・・・
女関係であそこまで凹んだのは初めてだったし、これからもないだろう。
あったら困る。耐えられない。
それでも俺はなんとか自分の気持ちに折り合いをつけた。
これは単なる恋愛感情じゃなくって、
教師と生徒という特殊な関係だからこそ生まれた感情なんだ、
普通に街で出会っていれば、好きになることなんてなかった、
そう自分に言い聞かせた。
だから藍原や月島の俺に対する気持ちも、教師への憧れに過ぎないと思っていた。
正直、今でもそう思ってる。
月島は、俺が教師じゃなかったら俺のことを好きにならなかったかもしれない。
だけどきっかけはどうであれ、今はちゃんと俺を男として好いてくれていると信じている。
俺は卒業アルバムを閉じ、ため息をついた。
昔の辛い失恋を思い出したから出たため息じゃない。
先生が卒業式の日に、教師を目指すという俺に言った言葉を思い出したからだ。
『本城君。教師になるなら、好きなことだけに熱を上げてちゃダメよ。
苦手なことにもチャレンジしないといけないし、ましてや生徒には平等に接しないと。
女の子に冷たいのも、治さないとね』
女の子云々のくだりは、女関係が派手だった俺に釘を刺しただけだろうし、
先生としては、ちょっとしたアドバイスのつもりで気軽に言っただけかもしれない。
だけど先生の言葉は俺の心にずっしりと来た。
この時、俺の脳裏に浮かんだのは、「あの日」のマックスの寂しそうな笑顔だった。
俺には教師になる資格はないかもしれない、
そう思った。




