第3部 第17話
朝、出欠を取るために5組の教室へ入った瞬間、
席に相楽の姿がないことに気づき、胸がざわついた。
冷静を装って、教壇に立ち、出欠を取り始めても相楽は現れない。
「誰か、相楽から連絡もらってないか?」
生徒達は顔を見合わせたけど、誰も手は上げなかった。
嫌な予感がどんどん膨らむ。
俺は急いで職員室に戻り、相楽の家に電話をかけた。
が、誰も出ない。
相楽の携帯も通じない。
俺は自分の机に両手をついて突っ立ったまま、
呆然としていた。
――― 何かあったのか?
いや、ただ遅刻してるだけだ。
すぐに来る。
でも・・・もし何かあったとしたら?
相楽の家に行ってみたほうがいいかもしれない。
俺は時間割表を見た。
今日はほとんどのコマに俺の授業がある。
しかもこの時期だ。
授業を放り出すわけにいかない。
俺は山下教頭のところに飛んで行った。
「え?相楽が来てない?」
「はい。何かあったのかどうかもわかりませんが・・・連絡が取れないんです」
「わかりました。私が家に行ってみましょう」
「すみません・・・」
「大丈夫。任せてください。本城先生は他の生徒の為に授業をしっかりやってあげてください」
・・・そうだ。
生徒は相楽だけじゃない。
申し訳ないが、ここは山下教頭に任せて俺は授業に集中しよう。
俺はなるべく相楽のことは考えないようにして、
とにかく授業を頑張った。
でも、さすがに月島の目はごまかせず、
月島は心配そうに俺を見ていたが、
俺も目で「大丈夫。なんでもない」と言っておいた。
4限まで立て続けに授業があったので、山下教頭に連絡を取ることもできず、
午前が終わった。
職員室に戻り、すぐに山下教頭の携帯に電話をかけた。
「本城先生?」
「教頭!あの・・・」
「保健室に来てください」
「え?」
なんで保健室なんだよ?
相楽は?
理由は簡単に想像できる。
でもその想像が外れてることを祈りつつ、
保健室へ向かった。
保健の先生は、俺の姿を見ると、
「こちらです」と言って、一番奥の、カーテンで仕切られたベッドに案内してくれた。
カーテンの前には教頭が立っていて、俺に軽く頷いてからカーテンを引いた。
その一瞬、俺は目を閉じた。
怖くて目が開けられない。
「先生」
「・・・相楽」
俺は相楽の声で、ようやく目を開けることができた。
相楽はベッドの上に横たわってはいたが、
ちゃんと俺の方を見ていた。
が、その顔にはあちこちに絆創膏が貼られ、
布団から覗く首元にも、まだ赤い痕がついていた。
俺はベッドの脇にしゃがみこんだ。
「先生?どうしたんですか?」
「・・・え?」
「だって・・・」
相楽が心配そうに俺の顔を覗き込む。
なんで相楽が俺の心配するんだよ。
心配されるのは相楽の方だろ。
でも、その理由は、俺の手にポツポツと落ちてきた雫ですぐに分かった。
いつの間にか俺は泣いていたのだ。
相楽はクスクスと笑った。
「どうして先生が泣くんですか」
「・・・どうしてだろ」
「先生が泣くところなんて、初めて見た」
「・・・うん。俺も何年かぶりに泣いた」
「そうなんですか?じゃあ、私、貴重なもの見ちゃったなあ。みんなに自慢しよう」
「やめてくれよ。遠藤とかに死ぬまでバカにされる」
「ふふふ、そうですね」
痛々しくて見てられないような姿なのに、
相楽は明るく話しかけてくれる。
そんな気遣いが嬉しくて苦しくて、ますます泣けてきた。
事の度合いとしては、西田の時のほうが重いかもしれない。
だけど今回のことは、俺が防げたはずだ。
昨日、相楽の叔母のことを見抜けていれば、こんなことにはならなかった。
山下教頭は俺を信じて、俺に相楽を託してくれたのに・・・
自分の不甲斐なさやら、怒りやらで、とにかく涙が止まらなかった。
「相楽・・・ごめんな」
「先生は何も悪くないじゃないですか。私が自分の意思で家に帰ったんですから」
「いや。それでも俺は止めるべきだったんだ」
俺は5限の予鈴が鳴るまで、
そのまま立てずにいた。
放課後。
校長、教頭、森田先生、俺の4人で話し合いの場を持った。
話を聞き、校長もかなりショックを受けていたけど、
森田先生のそれは校長の比ではなかった。
俺同様、自分のクラスの生徒の窮状に気づけないというのは、
担任にとってかなりダメージが大きい。
「森田先生も本城先生も今は落ち込んでる場合じゃありません。
とにかくこれからのことを考えましょう」
校長の言葉に森田先生と俺は力なく頷いた。
でも、こんな状況じゃ、考えもまとまらない。
代わりに、今日1日、相楽についていてくれた山下教頭が口を開いた。
「相楽は1年の時、父親を亡くしてからは大学進学は余り真剣に考えていなかったようです。
親戚に世話になるにも限界がある、と。特に、叔母の暴力が始まってからは、
卒業したら進学はせずに就職して、家を出たいと思っていたようです」
「でも、相楽はそんなこと一言も・・・」
「言い出しにくかったのでしょう。うちの高校で受験しない生徒なんていませんからね」
「・・・」
勝手を言えば、一言相談して欲しかった。
いや、相楽は今までも俺に何かサインを出していたのかもしれない。
俺が気づけなかっただけかもしれない。
「当然警察に通報すべきなのですが、とにかく相楽が嫌がってます。
こんなことになるまでは、叔父も叔母もずいぶん優しくしてくれていたようです」
「でも・・・!」
森田先生が口を挟んだが、山下教頭はそれを優しく制して続けた。
「こんなことがあったから尚更、相楽は就職して家を出たがっています。
施設に預けるにしても、だいたいは高校を卒業したら出て行かないといけませんし、
私も現実問題として、それが一番いいと思います」
山下教頭はそこまで言うと、同意を求めるかのように校長を見た。
校長も深く頷いた。
「本城先生は、大変だと思いますが、相楽の就職活動を手伝ってあげてください。
寮がある会社に就職できるのが一番いいと思います」
「はい。あの、」
「なんですか?」
「卒業後のことはまだ時間もありますし、なんとかします。でも当面、相楽はどしたらいいんですか?」
警察に通報しないのなら、住むところの確保も難しい。
「そうですね・・・卒業までの半年、どうしたものか。とりあえず、今日泊まる所もないですからね」
「それならしばらくうちで預かります」
「森田先生の家で?」
「はい。結婚したから妻もいつも家にいます。相楽一人くらいなら大丈夫です」
確かに麻里さんなら、ちゃんと面倒をみてくれるだろう。
でも麻里さんも身重だ。
無理はさせられない。
森田先生の家に相楽を預けるとしても、本当に少しの間しか無理だ。
いっそ、俺の家に置いてやりたい。
だけど取り合えず今日のところはそれ以上の名案は浮かばず、
当面は相楽は森田先生の家でお世話になることになった。
それから先、卒業までの住むところや、卒業後の進路などは、
全く白紙のまま、話し合いは終わった。




