第1部 第7話
森田先生のところに2年の男子生徒が質問に来た。
「これがこうなって・・・わかったか?」
「うーん・・・あ、そうか!わかりました」
「よし」
「ついでにこれも聞いていいですか?」
そう言ってそいつが取り出したのは、数学Ⅱの教科書。
俺の担当だけど、「ついでに」森田先生に質問してるんだろう。
でも。
やっぱ、へこむよなー。
担当の俺がいるんだから、俺に聞いてくれよ。
もちろん、その生徒には何の悪気はないんだろうけどさ。
俺は次の授業のために、職員室を出た。
6月に入り、暑さが一気に増した。
朝日ヶ丘高校のあるこの一帯は緑が多く、
都心に比べるとだいぶ涼しいけど、
それでもかなりの暑さだ。
生徒達の制服もとっくに夏服に変わり、
紺のブレザーから白のカッターシャツになった。
「小野、ボタンくらいちゃんと締めろよ」
「本城がそんなこと言うなんて珍しー」
「今朝の全校集会で校長先生が言ってただろ。言われた日くらいちゃんとしとけ」
2年5組の教室を見渡す。
みんな暑さでかなりバテバテだけど、なんかちょっとそれだけじゃない気がする。
森田先生のクラスの生徒はもっとシャキッとしてるぞ。
制服だって、みんながみんなきちんと着てる訳じゃないけど、
森田先生の前だけでも女子はスカート丈を長くしたり、
男子はカッターシャツの一番上のボタンまでしめる。
それに引き換え、俺のクラスはどうだ。
俺がいようといまいと、まるで遠慮なし。
こいつら、俺のことを全く教師だと思ってないな。
「ほら、暑いのはわかるけど、みんなもうちょっと頑張れ。授業始めるぞ」
「はーい・・・」
ほら、な。
きっちりしてるのは、月島くらいなもんだ。
俺がここに就職して2ヶ月以上が経ち、教師とも生徒ともだいぶ仲良くなった。
でも、生徒達は俺のことを「ちょっと年上の同級生」くらいにしか思ってない。
もちろん、分からない問題があれば質問に来たりもするけど、
明らかに森田先生に対する態度と俺に対する態度は違う。
「人気」という点だけでみれば、森田先生も俺も大差ない。
いや、俺の方が生徒と和気あいあいと話せてると思う。
でも、「いい教師」と言う見方をすれば、森田先生と俺なんて比べものにならない。
森田先生は生徒に人気があるだけでなく、教師としてもちゃんと認められてる。
知識だけなら俺も合格点だとは思うけど、何故か教師としては認められていない気がする。
そりゃ、森田先生とはキャリアが違うけどさ。
なんか、こう・・・よく言えば、生徒から「友達のような先生」と思われてる、
悪く言えば、舐められてる。
新米だからか?
それとも、もっと根本的なところに問題があるのか?
ちょっと重い気分でなんとか授業を終え教室を出ようとすると、
藍原と浜口と谷田に呼び止められた。
「せんせー、9月の修学旅行って、せんせーは北組?南組?」
「え?ああ、まだ決まってない」
うちの修学旅行は、北海道と沖縄の2種類あり、
生徒は好きな方を選べる。
「決まったら教えてねー」
「なんだ、俺が行く方に来てくれるのか?」
「ううん、逆の方に行こうと思って」
「・・・」
「うそうそ。せんせーの方に行くから、元気出してよ」
なんだ、こいつら。
俺が元気ないと思って励ましてくれてるのか。
意外と優しいんだな。
「お前らはどっちに行きたいんだ?」
「沖縄!」
「じゃー、俺も沖縄で希望だしとくよ。教師は希望通りになるとは限らないけど」
「やったー!約束ね!」
「はいはい」
俺は苦笑した。
こうやって慕ってくれるのは嬉しいけど、
これじゃクラスの男子扱いとかわらないよな。
そうそう。クラスの男子と言えば。
「おい、遠藤」
「なに?」
「お前、修学旅行、沖縄にしとけよ」
「なんで?」
「イヤならいいけど」
と言って俺は教室から出て行こうとしている藍原の方を見た。
「・・・わかった」
「お礼は?」
「ありがと」
「『ございます』は?」
「あざーす」
「・・・」
だけどその日の俺の悩みはそれに止まらなかった。
昼休み、いつものようにコンビニ弁当をかき込んでたら、
爆弾が降ってきたのだ。
「本城先生」
「・・・んぐ、篠原先生、なんですか?」
ピンクのシャツに白いスカートが眩しい篠原先生が、
毛先をゆるく巻いた髪を触りながら、俺の席に来た。
「今、よろしいですか?」
「はい」
ふふっと天使のような笑顔を湛えると、
まるで、今日はいいお天気ですね、と言うように、
簡単にこう言った。
「私、本城先生のこと好きなんです」
「それはどうも。ありがとうございます」
「では、失礼します」
「はあ」
俺は再び弁当に顔を向け、
鮭を箸でつまんだ。
最近のコンビニ弁当はあなどれない。
この鮭だって、ちゃんと北海道産の・・・
「ちょっと、本城君」
「なんだよコン坊。俺、早く食わないと、遠藤たちが待ってる」
「今、篠原先生、本城君のこと好きって言ったよ?」
「まさか」
「・・・ちょっと、大丈夫?」
顔を上げると、その場にいる全員が俺の方を見ていた。
「やーらーしー」
「よりによって、篠原先生に手を出すなんて」
「信じらんねー」
「新米教師のくせに」
「いいよなー」
「おい、お前ら、言いたいことはそれだけか?」
「もちょっと言わせて」
「じゃあ続きは生徒指導室で聞こう」
午後のHRは、もはやHRではなく、
俺への「嫌味言いたい放題大会」と化した。
教師も生徒もいる、昼休みの職員室での突然の告白。
その噂は音速以上で学校中に広まった。
・・・何考えてんだよ、篠原先生。
どうせ言うなら、二人きりの時にしてくれたらいいのに。
「何言ってんだよ、篠原先生はソレ狙ったに決まってんだろ?」
「ソレ、ってなんだよ、中山」
「だから。『本城先生は私のものだから、みんな手をださないでね』っていう、
周囲への無言の圧力、ってやつ?」
「・・・怖いな」
「そうそう。女は怖いぞー。ほら、あれ見てみ」
中山が指差す方をみると、藍原はじめ、クラスの女子が冷たい目で俺を見ていた。
「おーい。女子。そんな引くなよ。俺は何も悪くないぞ」
「篠原先生に色目使うからよ」
「使ってないし」
「使ってたぞ!」
すかさずヤマタナカヤマがつっこむ。
・・・いや、そりゃ、ちょっとはさ、ほら、あれだけかわいいとさ、な。
「とにかく!」
「とにかく?」
「・・・頼むからほっといてくれ」
泣きたいゾ。
「付き合うの?」
藍原がジロッと俺を睨む。
「・・・付き合わない」
「どうしてよ?」
「どうしてって、言われても・・・お前らには関係ないだろ。
なんとかするから、もう生徒は首突っ込むなよ」
俺がそう言うと、みんなは顔を見合わせ、胡散臭そうに俺を眺めた。
あーもう。
なんで俺がこんな目に合わないといけないんだ。
そうそう。
もはや言うまでもないけど、
職員室では生徒以上に冷たい視線を坂本先生から浴びせられている。
「だから本城先生って嫌いなのよね」と顔に書いてありますよ、坂本先生。




