第3部 第3話
俺は、ドレッサーの上に置かれた名刺を手にとって見た。
『大和商事 渉外部 廣野統矢』
・・・大和商事?
あの、日本でトップ3に入る商社?
あいつが、エリート商社マン?
見えねー!
俺が一人、理解不能な謎に苦しんでいると、
シャワールームの扉が開き、バスローブに身を包んだ西田が出てきた。
「先生」
「に、西田・・・さっきはごめん。ちょっと心配になって」
「いえ。私の方こそすみませんでした」
西田はすっかり顔色も良くなり、
ぺコンと頭を下げた。
「家まで送ろうか?それともこのままここに泊まるか?」
西田はちょっと考えてから申し訳なさそうに言った。
「ここに泊まります。家には、和歌のところに泊まるって電話しときます。あの・・・」
「ん?」
「先生も一緒にいてくれませんか?」
「うん。わかった」
さすがにこのままここに、西田を一人にはできない。
心配だ。
西田は早速、部屋の電話を使って家にかけた。
普段からよく月島のところに泊まっているのか、
西田の親は怪しんだ様子はなさそうだ。
西田はベッドに、俺はソファーに横になり、
部屋の電気を落とす。
「・・・先生。やっぱり私がソファーで寝ます」
「いいよ」
「でも先生のほうが全然身体大きいのに」
「いいって。それより、明日、病院行こうな」
「・・・はい。あの、今日はありがとうございました」
「何言ってんだよ。早く寝ろって。おやすみ」
「おやすみなさい」
さすがに体力的にも精神的にも疲れていたのか、
すぐに西田の規則正しい寝息が聞こえてきた。
逆に俺は、この暗闇の中で今日の出来事が蘇ってきて、
全く眠れない。
幸太と飯を食い終わって店を出ようとしたとき、西田から電話があって・・・
公園に西田と男たちがいて・・・
そしてあの、廣野とかいう変な奴に助けられた。
もしあの時、あいつに助けられなければ、今頃どうなっていただろう。
考えるだけでゾッとする。
それにしても、あいつ、落ち着いてたな。
そりゃ、俺みたいに直接西田を知ってるわけじゃないけど、
男たちに襲われた西田を見ても、全く動揺してなかった。
それどころか、ここに俺達を連れてきて西田にシャワーを勧めたり、
病院の手配をしてくれたり。
そうだ、病院。
朝からすぐに行こう。
なんともないといいけど・・・
それから、西田は服がボロボロだったな。
靴もない。
買いにいかないと。
いや、ちょっと待て。
それは病院に行く前に必要だろ。
てゆーか、服や靴なしで、ここからどうやって出るんだ。
・・・まさか。
俺はそっと起き上がり、携帯の明かりを頼りにドレッサーに近寄った。
そして、廣野が置いていった黒い紙袋の中を見た。
そこには、土で汚れた小さな白い鞄が入っていた。
中には、財布と携帯。
この携帯、見たことがある。
西田のだ。
あいつ、わざわざ公園に戻って探してきてくれたのか?
紙袋の中にはまだ何か入っていた。
薄い紙で包まれたそれを取り出して、紙を取ってみる。
今日、西田が着ていたのとよく似た感じのワンピース。
それに下着と靴。
値札は取ってあるが、一目で新品と分かる。
しかも・・・これ、すげー高いブランド物じゃないか?
多分全部で20万はくだらない。
ほんと、あいつ何者?
翌日。
俺は、公園の脇に停めてあった車に西田を乗せ、
廣野が指定した病院へ向かった。
廣野の名前と医者の名前を休日受付で言うと、
1秒も待たされることなく案内された。
検査は30分ほどで終了。
結果は西田の携帯に直接連絡してもらうことになった。
「この服、もらっちゃっていいのかなあ」
「いいんじゃない?」
帰りの車の中、
西田は自分が着ている服を見下ろして言った。
廣野が用意してくれた服は、全て西田にピッタリだった。
西田を見ただけで、全部のサイズがわかったのか?
ムムム。
相当遊んでるな?
「でも、昨日のこともあるし・・・お礼した方がいいですよね?」
「俺がしとくから。西田はもうあいつに関わるな」
なんとなく、その方がいい気がする。
西田は、わかりました、と言って、しばらく黙って窓の外を眺めていたが、
ポツリと呟いた。
「信じられない」
そうだよな。
あんな出来事、自分の身に起こったなんて、信じられないよな。
「先生と朝帰りなんて」
そっちかい。
「別に何もしてないだろ」
「そうですけど。和歌が知ったらなんて言うかなあ」
「・・・どうして月島が出てくるんだよ」
俺はちょっとヒヤッとしながら聞いた。
「だって和歌、先生のこと好き・・・っぽいから」
「そうか?」
よかった。
でも、月島のやつ、俺と付き合ってることはもちろん、
俺を好きってことも西田に言ってないのか?
いや、違うか。
さすがに西田には、俺のことを好きってことくらいは話しているだろう。
ただ、付き合ってることは言ってないから、
西田は俺に、月島が俺のことを好きだって、暴露できないんだ。
「そうだと思いますよ。だから今日のことは内緒にしておきます」
「だから」って。
そういう問題じゃないだろ。
それにしても・・・
「西田、全然普通だな。もっと落ち込んでるかと思った」
「自業自得ですから」
「・・・自業自得?」
なんだよ、それ。
西田が何か悪いことしたのか?
俺、単にあの男たちに運悪く絡まれただけだと思ってたけど。
西田はちょっと深呼吸してから言った。
「私、好きな人がいるんです」
「・・・隣のクラスの?」
「え?ああ、違います。彼じゃないです・・・って、私、酷いですね」
西田は苦笑いした。
「1年の時、他の学校の不良っぽい人と付き合ってたんです。
・・・不良っぽい、じゃないなあ。完全に不良でした」
西田は一人で「そう、不良だ」と頷いた。
・・・さすが月島の親友だけあって、面白い奴だ。
「結局、その人が遠くに引越しちゃって別れたんですけど、
付き合ってるときは、昨日ほどじゃないけど私もちょくちょく危ない目にあってたんです」
「・・・西田。お前、結構ハードな人生送ってるな」
「えへへ。昨日の人たちも、元彼に恨みがあった人たちで、
私で憂さ晴らししたかったみたいなんです」
笑ってる場合ではないぞ。
「早く元彼のこと忘れなきゃって、2年になってすぐ今の彼と付き合い始めたんです。
それなりに彼のこと好きになって、元彼のことも忘れられたと思ってたんですけど・・・」
「・・・」
「無理でした」
西田は肩をすくめて、また笑った。
その笑顔は何かを吹っ切れたような、清々しいものだった。
「私、卒業したら彼に会いにいきます」
「・・・うん」
「でも、その前に受験頑張らなきゃ。和歌に負けてられないなあ」
「そうだな」
西田の家の前に着くと、
西田は「ありがとうございました」と言って、シートベルトを外した。
「西田。そういう事情なら、昨日の奴らがまた西田の前に現れるかもしれないだろ?」
「あ。そうですね」
「そんな呑気にしてる場合か。何かあったら、すぐに俺に連絡しろよ」
「はい。ありがとうございます。でも、私も気をつけます」
「うん。だけど本当に困る前に、頼れよ」
「はい。・・・昨日も本当にありがとうございました。助かりました」
西田は俺に向き直り、改まって言った。
「いや・・・昨日は結局俺は何もできなかった。あの男が助けてくれなかったら、
どうなってたかわからないもんな」
そう。俺は何もできなかった。
でも西田は首を振って言った。
「昨日、あの人たちに『金だせそうな奴に電話しろ』って言われて、
私、お金のことなんて考えられませんでしたけど、とにかく助けてくれそうな人を考えたら、
真っ先に先生のことが頭に浮かんだんです」
「・・・」
「親とか、和歌とか、彼氏とか、それこそ元彼とか・・・色々助けてくれそうな人はいるはずなのに、
何故か先生だったんですよね。先生だったらなんとかしてくれそうな気がしたんです。
実際、先生は助けてくれました」
「助けたのは俺じゃないだろ」
「先生が必死に私を守ろうとしてくれてたから、あのサラリーマンの人も助けてくれたんだと思います」
俺は、車から降りて家に向かって歩く西田の後姿を見つめた。
強い奴だ。
元々なのか、その元彼と付き合った為なのかは分からないけど、
昨日のあんな出来事でさえ自分の中でちゃんと消化して、
更に前に進もうとしている。
まだ高校生だ、とか、17歳だ、とか思ってたけど、
生徒達は俺が思ってるより遥かに大人で、
色々悩み、考えてるのかもしれない。
それに引き替え、俺は・・・
西田はああは言ってくれたけど、
やっぱり昨日は廣野のお陰で助かったとしか思えない。
俺って、教師としても、男としても、まだまだだなあ・・・




