第1部 第32話
「これ、よかったらどうぞ」
「え?いいんですか?」
10月に入り、さすがに夜は冷え込むことが多くなってきた今日この頃。
そんな寒い街路樹の下で、麻里さんが俺に紙袋を差し出した。
開けてみると、中には高級レトルト食品がたくさん。
「これ、どうしたんですか?」
「私、それを作ってる会社に勤めていて。それ、発売前に配る非売品なんです。
会社にいっぱい余ってるんですけど、賞味期限はまだまだですし、中身は本物の商品と変わりませんので。
本城さん、一人暮らしされてるって歩から聞いたんで、よろしかったら召し上がってください」
「うわー。すごい嬉しいです」
実際俺はこの手の物をよく買う。
もっともこんな高級なものは買えないけど。
「リアルに助かります」
「いつも色々と歩によくしてくださってるからお礼です。
こんなのでよければ、会社にいくらでもあるんで、また差し上げますね」
「・・・すみません。でも本当に助かります」
夏休みが終わってからも、俺は学校から帰ると、時間があれば歩と遊ぶようになった。
さすがに夏休み中のように俺も早くは帰って来れないから、毎日とはいかないけど、
週に2、3回は短い時間だけど遊ぶ。
歩と遊ぶと色々と新しい発見もあるし、
普段高校生ばかり相手にしている俺にとっても、いい気分転換だ。
眠ってしまった歩をおんぶして、麻里さんは帰って行った。
もう11時だ。
最近、麻里さんは帰宅がいつにましても遅い。
今日みたいに歩が待ちきれずに寝てしまうこともしばしば。
休日出勤もあるらしく、親子の時間が取れているのか心配だけど、
麻里さんの体調も心配だ。
なんかちょっと痩せたんじゃないかな?
若いから無理が利くのかもしれないけど、限度がある。
いや、歩はもう9歳だから、若いと言っても見た目だけかもしれない。
それならなおさら心配だ。
歩と麻里さんは、父親が亡くなってからずっとあんな感じの生活をしてきたんだろう。
これからもそのつもりなんだろう。
でも、大変だよな。
再婚とかしないのかな・・・
月島とダブるせいか、余計に心配だ。
「本城先生、どうかした?もしかしてもう中間テストの問題とか考えてる?」
「森田先生・・・」
「抜け駆けはダメだよ。一緒にテスト直前に苦しもう」
「何、生徒みたいなこと言ってるんですか」
翌日、職員室で歩と麻里さんのことを考えてると、
いつものように森田先生が明るく声をかけてきた。
でも、俺が歩のことを話すと顔をしかめてしまった。
「ふーん・・・未亡人のシングルマザー、ね」
「大変ですよね」
「そりゃ大変だろうけど・・・」
と、なんだか煮え切らない。
「どうしたんですか?」
「いや。未亡人だけど、子供がいるから頑張れるってこともあるかな、と思って」
「そうですね。でも再婚はしにくいのかもしれません」
「そんな大きな子供がいるんじゃね。でも・・・やっぱりいないよりいいんじゃないかな?」
いつになくぼんやりとしている森田先生。
珍しい。
すると森田先生は独り言のように言った。
「俺、バツ1なんだよね」
「えええ!?」
初耳だぞ!
「そうだったんですか!」
「うん。25歳の時に結婚したんだけど、31歳の時に離婚した」
「へええ」
「子供でもいれば違ったかもしれないけどね。できなくって」
「・・・」
「大変だろうし辛いだろうけど、未亡人でもシングルでも『マザー』って言うのが羨ましいな」
森田先生はちょっと照れくさそうに笑う。
俺、作ろうと思えば子供はできるもんだと思ってた。
作ろうと思わなくてもできちゃうこともあるもんな。
確かに子供が欲しくてもできない夫婦がいるのは知ってるけど、
そんなのものすごく稀だと思ってた。
俺の心中を読み取ったのか、森田先生は付け加えた。
「どちらかに身体的な問題があればもちろん子供はできないけどね。
でも、例えなくても、相性が合わなくてできにくいってこともあるんだよ。
俺達はどっちだったのかわからないけど」
「そうなんですか・・・」
「だからそのシングルマザーさんも、旦那さんが亡くなったのは気の毒だけど、
旦那さんが残した子供がいるのは喜ばしいことかもしれない」
仏壇の前に座る歩の小さな後姿を思い出す。
歩には、麻里さんにとって俺が思っている以上の存在価値があるのかもしれない。
存在価値?
そんなんじゃないな。
うまく言えないけど・・・生きがい?みたいな?
その時、俺の携帯が震えた。
サブディスプレイを見ると、なんとまあタイミングよく麻里さんからだった。
「って、ええ?なんで?」
俺は歩とよく一緒にいるから、一応麻里さんと携帯番号を交換してあるけど、
実際に電話がかかってくるなんて始めてだ。
森田先生に断ってから、急いでロッカールームに駆け込んだ。
「はい」
「本城さんですか!?」
かなり焦っている様子だ。
「どうかしましたか?」
「さっき小学校から連絡があって・・・歩が登校してないみたいなんです!」
俺は時計を見た。
10時半。
もうとっくに始業時間は過ぎてる。
「朝はいつも通りに家をでたんですけど。もしかしたら本城さんなら、心当たりがおありかと思って」
「いえ・・・」
「そうですよね。すみません・・・」
携帯の向こうから落胆のため息が聞こえる。
「警察には連絡したんですか?」
「まだです。でも、もうしようと思ってます」
「何かあった?顔色よくないよ」
俺が職員室に戻ると、また森田先生が声をかけてくれた。
事情を話すと、森田先生は時間割表を見て、
「うん。午前中なら大丈夫。俺が本城先生の授業やっとくよ。本城先生も探しに行っておいで」
と言ってくれた。
「でも・・・」
「どうせ気になって授業どころじゃないでしょ。ほら、早く!」
「すみません!」
俺は山下先生に簡単に事情を説明して職員室を飛び出した。




