絶対存在、現る
天使。
ただ一体で現れただけなのに、戦場全体が圧倒されたかのように沈黙した。
「……ッ」
アルカディアの兵士たちは誰ひとりとして声を上げられない。
誰かが喉を鳴らした音さえ、爆音のように響くほどの静寂。
恐怖だった。
その姿が美しいからこそ、抗えないほどの絶望を孕んでいた。
「……っ……」
ムギニが無意識に一歩退き、手のひらに汗がにじむ。
イルゼさえ、いつもの冷静な表情を保てず、眉を寄せていた。
二人の“七柱”でさえ――まるで蛇に睨まれた蛙のように、動けなかった。
「嗚呼……なんて美しいのでしょう、あなた方の“絶望”は」
空より降り立つ彼女は、まるで舞うように着地した。
その微笑みは慈悲深くさえ見える――だが、それは仮初のもの。
「魔神様は、私に仰いました。“正しき混沌は、誤った秩序より優れている”と」
彼女の手に光の弓が生まれ、翼がゆっくりと広がっていく。
「ですから……私がここに在るのですよ。あなたたちを、間違いごと“矯正”するために」
ひとつ息を吸って、静かに言い放つ。
「どうか安心なさって――苦しまないように処理いたしますから」
イルゼは、わずかに口を開いたが……言葉にならなかった。
喉が乾き、声が出ない。ただ、背筋を走る冷たい感覚が、肌に焼きついて離れない。
頭ではわかっているのに、身体が硬直して言うことをきかない。
あの存在を前にすれば、勇気も覚悟も――ただの幻想だった。
“戦う”という概念すら、追いつかない。
天使が静かに弓を引く。
光の矢が形を成し、周囲の空気が震え出す。
狙いは、イルゼ。微動だにできぬまま、彼女はただ立ち尽くしていた。
「っ……」
矢が放たれた。
光の線が空を裂き、イルゼの胸元へ――
カンッ!
しかし、矢は、黒く巨大な剣に弾かれていた。
人の背丈を超えるほどの長大な刃。
鈍く黒金に輝く剣は――まさに“威”そのもの。
「……この王の許可なく、臣下に手を出すか」
漆黒のマントをひるがえし、魔王マンタティクスが降り立つ。
片手で王剣を担ぎ、余裕の笑みを浮かべていた。
「――勘違いするなよ、天の残骸。貴様に裁く資格など、ない」




