ズレている現実1 今の現実と、当時の現実に食い違いがあるぞっ。
俺が呆然として便せんを眺めていると、いきなり背後で大声がした。
「わあっ」
「うああああっ」
てきめんに驚愕して、本気で飛び上がりそうになった。
慌てて振り向くと……今や、普通に復活している母親である。
買い物袋片手に、随分と愉快そうに俺を見ていた。
「な、なんだよっ。いい年して脅かすなよ!」
「だって、ドアの前で立ち尽くしてて邪魔だものねー。それにしても、気持ちいいくらい驚いてたわね? なに見てたのよ?」
「いや、なんでもない!」
俺はきっぱり言い切り、慌てて便せんをポケットにねじ込んだ。
「心配しなくても、ラブレターなんて誤解はしないのに」
母は不服そうに呟き、自ら鍵を開けた。
「あたしの息子にしては積極性に乏しいし、そんなのもらえるなんて思ってないわよ」
かーちゃん、あんたは考えが甘いぞ。
俺はかなりむっとして思ったね。あんたの息子はやる時はやるぜ……やらない時はいつまで経ってもやらないけど。
でも、ラブレターに関してはばっちりもらってて、そのせいで俺は今、過去をリプレイしてるんだよっ。
むちゃくちゃそう主張したかったが、我慢した。
どうせ信じてもらえるわけないしな。
母は買い物帰りだったらしく、真っ直ぐキッチンに向かい、買い込んできた食材をせっせと冷蔵庫に詰めている。
実年齢二十七歳になる俺だから言えることだが、うちの母親、性格だけじゃなくて、見かけも若いな……四十前にしては、というレベルだけど。髪型もボブカットのせいか、遠くから見りゃ、女子大生に見えないこともない。
俺が感心して眺めていると、ふと作業の手を止め、本人が俺を訝しそうに見た。
「また呆けた目で見てるわね……昨日から変よ、俊介?」
「あ、いや」
言い訳しようとして、適当な理由が浮かばず、俺はとっさに訊いた。
「それより、父さんは会社忙しいのかな? 朝も早く出たのか、見かけなかったけど」
「……いよいよ、おかしなこと言い出したわね」
とうとう母親は、俺の前に立って額に手を当てた。
「熱はないみたいだけど、ボケすぎじゃないの? それとも、昔の怪我のせい? お父さん、単独出張で、夏からずっといないでしょ? 来年まで戻らないわよ」
「――えっ」
俺はむしろ、自分から額に手を当て、慌てて思い出そうとした。
今日が十月一日なのは、もう知っている……つまり、深森が自殺する十日前だ。
2018年当時、その時点で、父親が出張してたか?
しばらくじっくりと考え、俺は結論を出した。
いや、出張なんかしてなかった!
当時、深森の自殺を俺が父に話した時、随分と深々とため息をつき、「まだ若いのに、気の毒だな……どんな事情があったのやら」と呟いたのを、はっきり覚えている!
絶対に、家にいたはずなのだ。
これはどういうことだ……過去が変化してるなんてこと、あるのか?
それじゃ、俺が気付かないだけで、実はもっと変わっていることがあるんだろうか? たとえば、将来起こる母さんと父さんの離婚も、実際には起きないとか?
いや待てよ、それ以前に――
「あぁあああっ」
突然、声を張り上げたものだから、母親は気味悪そうに俺から離れた。
「なによっ、今頃、さっきの仕返し? 驚かないし!」
「じゃなくてっ」
話しても仕方ないのに、思わず声が出た。
深森の席に違和感を覚えた理由に、ようやく思い至ったからだ。
「九月の終わりに、席替えしたんだっ。当時、あいつはもう、俺の後ろの席じゃなかった!」
そうだ、後ろに深森がいたのは、入学後から二年の九月末までだっ。
十月一日の時点ではもう席替えが済んでいて、互いに全然別々の席に移っていたっ。
今の現実と、当時の現実に食い違いがあるぞっ。
「席替えがどうしたっていうの」
母がいよいよ顔をしかめたが、俺はもうキッチンを出ていた。
少し、じっくり考えてみないと!
ご感想くださる方達、いつもありがとうございます。
雪乃の身の上については、誤解させたようで申し訳ないです。
……そういう事情じゃないです、はい。




