片岡俊介は、既に亡い
「ここが廃墟に等しいビルだっていうなら、なおさら有り難い。この際、状況を知るためにも徹底的に調べよう。幸い、周囲にも人影がないようだし」
暗い雰囲気を払拭するべく俺が提案し、深森も頷いた。
分かれて探せば早いんだろうけど、俺達はなんとなく二人で固まって行動した。
それでも、所詮十階に届かないような低いビルだったせいか、上から下まで探せば、かなり事情がわかった。
どうやらここは、周囲を含めて昔は普通の会社だったようだが、その後、驚くべきことにボーダーとそうでない人間との戦闘が始まり、以来十年、ボーダー側がそうでない人類側を、押しまくっているらしい。
以前は資料室だったであろう部屋にあった、大量の書物や新聞からそうとわかったのだが、その新聞も最後の日付は壁に掛かったカレンダーと同じく2037年で止まっていた。
その10月を境に、この東京はボーダー達に制圧されてしまったようだ。
この頃、自衛隊は憲法改正でとうに自衛軍になっていたが、その組織内でも新たなボーダーが次々と目覚め、呆れたことに彼らは一種のクーデターを起こした挙げ句、政府のコントロールを離れてしまったらしい。
しかも、クーデターを起こした側の方が、遙かに優勢で、ここ数年でもはやボーダーと彼らが新たに呼称し始めたユージュアル(普通人の意味らしい)との力関係が完全に逆転しているという。
ちなみに、これは日本だけの話ではなく、全世界的に、もはやボーダーとして覚醒する者や同じくボーダーとして生まれる者がユージュアルより増えてしまっているそうな。
つまりは、時が過ぎれば過ぎるほど、ボーダー側が有利になってしまったということだ。
もはやユージュアルが生まれるより、ボーダーが生まれる確率の方が高いのだから。
俺達が最後に跳んだ世界では、まだボーダーは圧倒的少数だったが、ここでは違う。
全く逆で、力関係は完全に逆転していた。
この東京が空っぽに見えるのは、元の政府が東京を放棄し、もっと北へ移転――早い話が逃げてしまったからのようだ。
というのも、最近になって決定的なボーダー能力を持つ者が何名か現れたせいらしいが、それについてはここでは詳しくはわからなかった。
ただし、今や指導者に収まるほどだから、あの深森がその一人なのは疑い得ないだろう。
さらに、一度は東京を占拠したボーダー達が、なんらかの理由で放棄し、北へ逃げたユージュアル達を追っていったらしい。
加えて、この長い争いのせいで全人口は激減し、ボーダーにせよユージュアルにせよ、全ての勢力はもっと北へ移動しているようだ。
ここで調べた事実が本当なら、もはや将来的にはユージュアルが滅びそうな気がする。
「世界は異端を嫌う、か」
おおよそのことが想像できた時、俺は思わず呟いた。
「だけど、ここじゃ普通の人間こそが異端らしい。一つ目の国へ迷い込んでしまった、普通の人間と同じく」
俺達にとっては、ついに自分達にふさわしい世界へ来たということなのだろうか? その割に、あまりいい予感がしないが。
「いやあぁああっ」
古新聞の束を調べていた深森は、ふいに彼女らしくない悲鳴を上げた。
「どうしたっ」
慌ててそばに寄った途端、胸の中に飛び込んできた。
「な、なにかショックなことでも!?」
まだ女の子に抱きつかれることに慣れてない俺が辛うじて尋ねると、深森は少しだけ身を離し、震える手で新聞を示した。
「ここにっ」
「どれどれ?」
嫌そうに彼女が指差した記事を、急いで読んだ。
日付は、2027年9月……この時間軸からするとやや昔になるが、社説欄にこうあった。
『ボーダーがふいに大きな勢力を持つに至った原因は、新生児のボーダー率が増えたせいもあるが、さらに大きいのは新しい指導者の登場だろう。その人物は女性で深森という名字であることだけがわかっているが、彼女は最初に大勢のボーダー達の前で演説した時、こう語っている。【わたしは、自分の命より大事な人を、ユージュアル達によって奪われました……わたしをかばったせいで、あの人は撃たれて死んだのです。いつかは彼の後を追うつもりですが、その前に憎きユージュアル共を滅ぼし尽くすまで、決して止まりません】と。結果的に、この時から我々の苦難が始まったと言ってよい。強大なボーダー能力を持つこの驚くべき指導者は、今や明らかにユージュアルと呼ばれる我々を追い詰めつつある』
「こ、この大事な人っていうのが、俺のことだと?」
口元を覆った深森は、何度も頷いた。
「他にそんな人、いないもの」
「いやまあ……そうもしれないけど、ここの深森はまた違う人生を辿ったのかもしれないよ。名前ないし、別の人かも」
慰めるつもりでそう推理してみたけど、深森は首を振るだけだった。
なにより……泣き出しているので、俺としても迂闊なことは言えない。
実は個人的には、ここでの自分の死が本当なら、意外なほどショックは少なく、「この子を守って死ねたのが本当なら、悪い死に方じゃないよな」と密かに思っていたのだけど。
……しかし、ある意味で他人事の記事であるはずなのに、ここまで嘆く彼女を見ると、冗談でもそんなことは言えない。
後は抱きついた嗚咽を漏らす深森の背中を、優しく撫でてあげるくらいしかできなかった。
「シュン君は……絶対……死なないでね?」
掠れた声で言われた時はさすがに、「今は無力な頃の俺じゃないし、死ぬわけないさっ」と明るく答えはしたけれど。




