その世界にいるらしい、もう一人の――
転移している間は数秒ほどに過ぎなかったが、その間、俺は得がたい経験をした。
これまでと違い、しっかり意識があったせいだろうが、あたかも虹色のトンネルをくぐっているようで、それでいて周囲には無数に重なるPCのウィンドウズのように、それぞれの窓に別の世界の様子が見えた。
あまりに次々と切り替わるので何一つ確実に見えたものはないが、どれも俺か深森に関係した光景だったような気がする。
しかし、そんな光景も消えたかと思うと周囲は真っ暗になり、そして次の瞬間、どさっとどこかの床に投げ出された。
深森はしっかり着地していたが、俺は予想外のことに膝を突いてしまった。
固いリノリゥムの床だったせいか、かなり痛い。
「いたたっ」
「大丈夫?」
すぐに深森が助け起こしてくれ、俺は引きつった顔で笑った。
「だ、大丈夫……それよりここ、どこだ」
見たところ、どこかの廃墟の部屋に見える。
事務机がいくつか置いてあったからだが、ただ壁のコンクリートにはひび割れが幾筋も走り、ここが捨てられてから、かなり日が経っているように思える。
「窓、窓の外は!?」
俺は窓際の方へ駆け出し、急いで外を眺めた。
いくつかの窓ガラスは割れているので、外の冷たい空気が入り放題である。
しかし……外も中と大差なかった。
今いる場所は、おそらくビルの六~七階辺りのようだが、周囲もほぼ同じような灰色のビルが見渡す限り続いていて、しかもその全てが廃墟に見えた
少なくとも、人の気配もなければ、車も通っていない。それに、外は夕暮れが近いのに、明かりのついたビルが一つも見えない。
「シュン君!」
深森に呼ばれて振り向くと、彼女は小さな紙切れを広げて読んでいた。
「今たまたま制服のポケットを調べたら、これが入っていたの」
「……ていうことは、小学生の深森が、消える前にこそっと入れてたのかな?」
急いで深森の元へ行き、内容を読んでみた。
『もし、幸運にも二人で世界を越えて逃げおおせた時は――仮にそこが過去なら、わたしにはなにもアドバイスできない。でも、仮に転移した先が未来で、しかも向こう六十年以内なら……都内のこの地図にある建物の地下に、食料があるかもしれない。……追伸。俊介さん、愛してる』
「……う」
手書きの地図を含めてもう一度読み返した後、俺は深森を見た……もちろん、今ここにいる彼女のことだ。
「そういやあの子、無数の未来を見たと、最初に出会った時に言ってたな……」
「だとすれば、わたしより、遙かに多くの未来を見ていたようね」
ため息まじりに深森が言う。
「わたしはこんな情報知らないもの」
「……とにかく、彼女の言う条件その1は、クリアしているかもしれない。少なくとも今は、2037年より先だが」
俺は、壁にかかった小さなカレンダーを指差した。
一ヶ月ごとにページを変えるタイプのカレンダーだが、最新は2037年の10月を示している。しかしこの部屋の古さから見て、正確な日付はもっと先だろう。
俺は十畳ほどの広さの、素っ気ないフロアを見渡した。
「外へ出る前に、もっとヒントがないか探してみよう。どうもここ、普通の会社じゃないように見えるし」
そう思ったのは、古びた無線機みたいなのが床に転がっていたせいだが、探せばもっとなにかあるかもしれない。
……手分けして探した結果、いくつかの武器らしきものを発見した。
見つけたのは深森だが、普通に廃棄された机に入っていたらしい。ただし、俺がうっかり前の世界から持ってきたような、単純な火薬式の銃には見えなかったが。
引き金を引けばわかるんだろうけど、今は試したくなかった。
「後は、カロリーメイトに酷似した携帯食料と……それにポスターか」
少し迷ったんだが、見せないわけにもいかない。
俺はA4サイズほどのポスターを机の上で広げ、深森にも見せた。床に落ちていたのだが、元は多分、壁に貼られていたのだろう。
『虐げられた我々ボーダーは、必ず勝利する! 新たな指導者の下でっ』
ポスターの下に勢いのあるフォントでそう描かれている。
そして、白い制服みたいなのを着た女性が、凜とした表情でこちらを見据えていた。長い髪に、心持ち吊り上がった目……今の年代が貼られていたカレンダーからそう遠くないのなら、もう五十近いだろうに、その美貌は全く衰えていなかった。
むしろ、全然そんな歳に見えない。
「この……人」
さすがに口元に手をやった深森に、俺はなるべく穏やかに言ってやった。
「この時代を生きた深森がいた……それは、当然ながら予想すべきだったな」
そう、これはまさしく大人になった深森だ。そして、おそらくは俺達が全く知らない世界を生きた彼女でもある。
「でもまさか――」
言いかけて、結局深森は首を振った。
外は、いつの間にか雨が降り出していた。




