深森達の突入
今すぐにも玄関へ走り出したかったが、それでも俺は、肝心なことを忘れはしなかった。
つまり……深森の力を転送してもらった後、俺は彼女の「驚いた拍子に、力が暴走したりするから」という忠告に従い、心の中に不可視の鍵をかけたのだ。
あの忌々しい事故が起きたのは、俺のためらいもあるが、その鍵の開放が間に合わなかったせいもあるのだ。
「だ、大丈夫だよな? 消えてないよな、俺の力」
俺は遥か昔にやったのと同じく、心の中で手を合わせているところを想像した。
念のために、実際にも両手を合わせる。
深森曰く、「鍵については、自分にかける禁忌だから、自分なりの工夫でいいのよ」とのことなので、心の中のドアを開けるイメージを造り、自分の力がそのイメージと連動するようにしたのだ。
最初、そんなことができるのかと不安だったものの、自分に化した禁忌を本気で守ろうとする限り、立派に鍵として働くらしい。
事実、俺はあれ以来、ずっと凡人としてやってきたわけで……いや、もしかしたらビデオレターを見た時の最初の転移が暴走だったのかもしれないが、とにかく他にそんな経験はない。
「錆び付いてなければ……できるはずだ!」
俺は集中の上にも集中し、心の中でイメージするのと同じく、ぴったりくっつけた両の掌をそっと離していく。
途端に、なんだか胸のうちで光が溢れ出すような感覚があり――。
なんと、そこら中のものが一斉に浮き上がった!
「わあっ」
かなり苦戦する気がしたので、自分で自分のやらかしたことに、仰け反るほど驚いた。
集中が切れたせいで、今度は逆に椅子やら机やらベッドやらがドカドカ落下してエラいことになったが、俺は逆に「よしっ」と声に出していた。
これなら、深森の邪魔になることだけはあるまい……下手したら母親もそこに連行されているかもだし、後は一刻も早く追いつくだけだっ。
都内で車を持つほど金持ちじゃないので、もちろん俺は車など持ってない。
かといってコンビニ買い物用の自転車を使うほど、余裕もない。
だから危険は承知の上で、タクシーを拾い、あのメモにあった郊外の住所を教えたのだが……ドライバーはよい顔をしなかった。
「お客さん、ここにどんな用事があるんで?」
「え、単に友達と待ち合わせているだけですが」
なるべく落ち着いて答えたが、相手は首を傾げた。
「ここって、都庁がある場所ですよ? 今じゃ手抜き工事がバレて、解体工事の予定もあるって話ですけど? 周囲も立ち退きが始まってますし……どこかと間違ってません?」
「いえ、そこで合ってます……正確にはその近所ですけど」
力強く頷いたが、正直、「マジかっ」と内心で思った。
俺の知る世界では、あの都庁は今もエラそうにそびえ立っていて、取り壊しの話なんか聞いたこともない。手抜き工事のニュースも、一度も聞いた覚えがない。
しかし、この世界と俺の知る世界は、そもそも似て否なる場所だしな。だいたい、あのメモ書きにあった場所と、俺の記憶にある都庁の位置とでは、ややズレがある。
これも、この世界が俺の世界とは別物だという証拠かもしれない。
渋々運転を始めたドライバーに、俺はおそるおそる尋ねてみた。
「ちなみに今の都庁は、もう無人ってことですか?」
「いやー? 噂に過ぎないけど、移転準備だとかで、むしろ以前より大勢役人が集まって、ゴソゴソしているって話ですけどね。どこまで本当やら」
ドライバー氏は、前を向いたまま、器用に肩をすくめた。
「取り壊しの話も、市民の目を眩ますためなんて噂もありますなあ。まあ、昔と違って、今はきな臭い世の中ですからね」
「なるほど」
雑談が危険な方向へ向かい始めたので、俺はそれ以上は訊かず、シートに背中を預けた。
タクシーでおよそ半時間くらいか……その間に休んでおくべきだろうけど、眠れるはずもないしな。
それに、どのみち無駄だった。
いろいろ考えている間に、道のりの半分は来ていたのだが、その辺りでパトカーのサイレンの音がやたらとあちこちで聞こえ、俺が乗るタクシーを追い越して行った。
「……なんだ?」
ドライバーがラジオのスイッチを入れた途端、がなり立てるようなキャスターの声がした。
『――何度もお伝えしているように、番組を中断して、緊急放送をお伝えしています。移転が決まった都庁には、今、ボーダーとおぼしき複数の襲撃者が乱入し、警戒中だった警備員と衝突しつつあります。犯人の目的はわかりませんが、都庁を中心とした半径三百メートルは立ち入り禁止区域になっています。そちらへ向かっている方は警察官の指示に従い、迂回してくださいっ』
「うわっ。本当にボーダーの襲撃なのかっ」
俺より先にドライバーが呻いた。
「そんなの、遠い世界のできごとだと思っていたのにっ」
信号で止まったついでに、彼は俺をミラー越しにみた。
「お聞きの通り、このまま行くと迂回させられますけど?」
「ぎ、ギリギリまでお願いします。そこから先は一人で友達を探すので」
「しかし――」
「二倍出しますからっ」
懇願するように頼むと、さすがにドライバーは了承してくれた。
ただし、かなり怪しむ様子だったが。
確実に顔も覚えられたが……でもどうでもいい。俺にとっては、ここで深森達を助けられなきゃ、死んだも同然なのだ。




