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欠けた記憶のピース


 しばらく近所を探したが、あいにくカグヤの姿はどこにも見られない。


 そして、兄貴の携帯番号は、なぜかもうこの世に存在しない……胸騒ぎはするが、まさか夜も深まった今から藤原の家に向かうのもためらわれた。




「しょうがない。明日、学校へ来るかどうか、まずそちらを確認してから動こう」


 考えた末に俺が結論を出すと、雪乃はほっとしたように頷いた。


「わたしも、それがいいと思うの。……もしも、夜に出かける用事が出来たら、下の部屋にいるから、わたしも誘ってね」

「そうか、下に住んでるんだったよな」


 徒歩で帰路を急ぎつつ、俺は頷く。


「わかった、出歩くような予定ないけど、万一の時は必ず同行頼むよ」

「ええ、ええっ。そうしてね」


 雪乃はようやく笑顔を見せてくれた。

 ……マンションに戻った時、雪乃に「うちに寄る?」と誘われた。


「飲み物とか……なんなら食事とか……それともお風呂の用意とか……希望に応じていろいろするけど」

「後半の方、嫁さんの仕事みたいになってるよ」


 俺は苦笑して首を振った。


「いや、また今度ね……まだ写真飾ってあるのかな?」


 俺がさりげなく尋ねると、雪乃は静かに頷いた。

 やはり記憶はちゃんと残ってるんだな、この子。







 あまりにも濃い一日だったので、下手をすると家にいる夜中にもなにか起きるか? と半ば身構えていたが、さすがに特になにも起こらず、朝を迎えた。


 いつも通り、朝食を摂っている最中、俺はふと思いついて母に尋ねた。


「あのさ、子供の時に、なにか重大なことを忘れたってことある? もちろん、俺の話だけど」





 こう尋ねた時の母親の顔をなんと言おう。


 おまえ、今更それを訊くのかと言いたそうな苦渋に満ちた表情であり、実際、そのようなことを言われてしまった。


「やぁね、もう。あの時は父さんもいて、大騒ぎ騒ぎになったんだから、またぶり返さないで欲しいわぁ」

「……いや、ごめん。俺、もう全然覚えてないんだけど、本当になにかあったわけ?」


 思わず箸を置いて、訊き返す。

 まだエプロンをしたままの母、なぜか疑い深そうな表情で俺を見たが、こっちも真っ直ぐに見返すと、ようやく教えてくれた。


「十歳くらいだったかしらね。俊介が遊びに出かけた後、交通事故に遭ったって病院から電話が来て、あたしは驚いて駆けつけたのよ。そしたらおまえは、もう包帯ぐるぐる巻きでベッドに寝かされていたくせに、妙なことを口走ったの」

「ど、どんな」


 息せき切って訊くと、母はいかにも気が進まなそうに教えてくれた。





「たしか、こうだったかしら?『母さん……僕、忘れちゃった……絶対に忘れちゃいけないことを忘れちゃった! 約束したのにっ』なーんて、半分意識もないのに、うわごとみたいに繰り返すの。あの時は本当に困ったわねぇ」


 ぶつぶつと母が愚痴る。


「頭を打った影響からか、しばらくは物忘れがひどい時期が続くしで、母さん、一時は本気で心配したんだから」


 呆然とする俺を見て、母は立ち上がって俺の後ろに近付く。

 頭髪を掻き分け、後頭部に当たる部分をそっと指で触れた。


「ほら、まだ縫った傷がちゃんと残ってる」

「……し、知らなかった……後ろなんか見えないし」


 俺は狼狽して、自分自身でその場所を探る。


 確かに微かな引っかかりがあるが、もうほとんど感じられない。俺自身、傷の存在は気付いていたが、「子供の頃、頭でもぶつけたか?」くらいに思っていた。


 事故のことなんかさっぱり覚えてないな。




「しかし――」


 母が元の椅子に座るのを横目に、俺は呟く。


「そうすると……俺が何か重要なことを忘れているってのは、マジだったのか」

「なぁに? 誰かに事故のことを訊かれた?」


 顔をしかめた母が尋ねたが、俺は首を振った。


「わからないけど、突き止めなきゃいけない」


 そう、実際に突き止めないと。

 俺が何を忘れ、その結果、どうなったかを。


 子供の頃の俺が、何を思って病床で母に訴えたのかはわからないが……おそらく……いや絶対に、その時に重要な記憶を無くしたのだ。その事故とやらのせいで。


 忘れたということに対して、ひどく狼狽したからこそ、何度も繰り返してうわごとのように繰り返したに違いない。



 無くした記憶は、それほど重要なことだったわけだ。


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