いけないっ! 来るな、深森っ
人違いの可能性はないかと思い、電柱の影にいる少女を見つめたが、白いブレザーの制服を着ているし、背丈も同じくらいだ。
間違いないだろう。
「ひとまず、俺が先に話すよ。一度、やりあってるし」
立ち上がった俺は、深森に断りを入れた。
「深森は後からそっとついてきて、ここぞという場面で頼む。あの子は先に脅しにかかると思うけど、俺は気にしないで会話を試みる。それが決裂したら、かな」
「わかったわ」
「よしっ、行こう」
真っ先に店を出た俺は、そのまま何気ない足取りでマンションの方へ歩いた。
手筈通り、深森は少し離れてついてくる。
ていうか、いま思い出したぞ。
前の世界の通りなら、うちのかーちゃんが窓から顔出したりするんだったな。そりゃちょっとまずい。なるべく手早く済ませて、場所を改めて話さないと。
そんなことを考えながら、俺はかなり抜き足差し足で近付いたんだが、あの子はなかなか敏感だった。
俺が背後に着く前に、うちの部屋を見上げるのを中止し、ふいに振り向いて片手を上げた。
「そこで止まりなさい!」
声の鋭さに思わず足を止めたが……この子、今日はボールペンどころか、右手をこっちへ向けてるだけだ。
「ボールペンを銃の代わりにして脅すのは、もうやめたのか」
足は止めたものの、からかうように俺は問う。
しかし、向こうは眉をひそめただけだった。
「なんの話?」
「わからなきゃいいよ。だいたい、その手はなんだ?」
未だにこちらに掌を向けたままの少女に、俺は問う。
「なんでもいいわよ。あんた、誰?」
「それはこっちの質問だろ。なんでうちの部屋を見上げてるんだ? 俺の何を疑っている?」
「……てことは、あんたが片岡俊介って人?」
「そうだよっ。知らないのに見張ってたのか」
少女は答えなかった。
ただ不審そうな顔で「なんでこんな奴を」とか呟いている。
「こんな奴って、なにがっ」
「なんでもいいから、今やってることをやめなさいっ」
いきなり険しい顔になって俺を睨んだ。
ああ、まさにあの時の少女だ。わけのわからんセリフが、ほぼそのまんまだし。
「どういう意味なんだ? 俺がなにをやってるって」
歩みを再開すると、少女の表情は一段と険しくなった。
「止まりなさいっ。最後の警告よっ」
あいにく、前回のボールペン詐欺を経験した俺は、そんな脅しには乗らない。そのまま無視して、ずんずん歩いてやった。
すると――。
「警告はしたわよ!」
などと斬り裂くように述べた途端、不意に少女の右手が跳ね上がった。あたかも、手に不可視の銃があり、発射されたかのように。
事実、大気が微妙に揺らいだように見えたほどだ。
次の瞬間、見えない何かが胸に命中し、俺の身体がふっ飛ばされていた。
「げっ」
呻いた時には、背中から地面に叩きつけられた後である。
「な、なんっ――」
鋭い痛みに声を上げたが、それ以上に、悲鳴のごとき叫び声がした。
「片岡くんっ」
「いけないっ! 来るな、深森っ。俺は大丈夫だからっ」
掠れ声で警告したけど、当然のように深森は無視した。
「許さないっ」
叱声が迸った時には、もう俺の脇を掛け抜け、少女の方へ全力疾走していた。
「なによ、あなたはっ」
またしも少女の右手が反応し、何度か跳ね上がる。
しかし……今度は俺の時みたいには、いかなかった。
前傾姿勢の深森は、まるで不可視の攻撃が見えるかのように振る舞い、低い姿勢から右へ左へと一瞬で身を捌き、難なく少女の間合いに突入した。
まるで、熟練の剣士か忍者みたいに。
「殺しちゃ駄目だぜっ」
「う、嘘でしょっ。まさかおまえは――」
至近距離でなにをやったのか、たちまちくたっと少女の身体が(くずお)れてしまう。
その身体を受け止めた深森は、酔っ払いを引きずるような姿勢で、俺の方へ戻ってきた。
「や、ヤバっ」
まだ母親は顔を出してないが、ちょっと説明しにくい状況になってしまった。
痛みを堪えて立ち上がった俺は、知人の個人宅ガレージを見て、とっさに決意した。
「とりあえず、あそこへっ」




