逆転する告白タイム
深森が立っていたのが微妙に斜め後ろなので、教室からは誰が俺に話しかけたのか、見えなかったはずだ。
これ幸いと、俺はスライドドアを再び閉め、期待に充ち満ちて尋ねた。
「は、話って?」
もちろん俺は、深森も同じくこの時間軸に飛ばされていて、記憶が残っているかどうか、俺に確かめたかったのだろう――というのを期待していた。
しかし、彼女は「ここじゃなんだから、ちょっと」などと言い出し、歩き出す。
俺はふらふらとついていったが、深森はどんどん廊下を進み、階段を下り、一階の渡り廊下を歩いて、そのまま旧校舎の方へ進んで行くじゃないか。
どういうことか尋ねたかったが、この子はおしゃべりな方ではないとわかっているので、俺も余計な質問をせずについて行った。
少なくとも、セーラー服の後ろ姿を眺めながら歩くのは、悪い気分じゃない。この子の歩き方は、とても見栄えがいいし。
深森はそのまま二階へ上がり、廊下の真ん中あたりで立ち止まると、美術室の扉に手をかけた。すぐには開かなかったが、彼女が小首を傾げてぐっと力を入れると、ババーンとばかりに引き戸が簡単に開いた。
……な、なにげに今、鍵を破壊したような気がしてならない。
俺が前に使った三階の音楽室は、室内にでっかいピアノしかないから鍵がかかってない、というだけなのである。だからこその穴場であり、美術室はそうじゃなかったようだ。
まあ、深森が全然気にした様子がないので、俺も余計なことは言わないが。
深森は俺が入った後、がたつく扉を閉め、黒板の前で向かい合った。
教室の中は、イーゼルに残された描きかけの絵が点在しているだけで、もちろん今は、俺達だけだ。
彼女は柄にもなくもじもじしていたが、俺がそっと「話って?」と促すと、ふいに深呼吸して俺を睨んだ。
いや……睨んだというか、据わった目つきで見据えた感じか?
なぜか涙目になっていたりして、とにかく緊張しているらしい。
「あ、あのっ」
「……うん?」
「わたしと、おつきあいして……くれますか」
ブレイドの異名を持つ深森らしくもなく、懇願するような声だった。
「――えっ!?」
全然予想していなかったセリフで、俺は見事に意表を衝かれた。
俺の素っ頓狂な顔を見て、深森は明らかに焦ったらしい。
「あの……おつきあいというのは、男女間の交際という意味で、分かり易く説明すると告白という意味――」
「いや、それはわかってるって! そこじゃないよ、そこじゃっ」
両手の指を組み合わせて、しきりに動かしている(もじもじしてる)深森に、俺こそ慌てて答えた。
「そうじゃなくて、そっちは俺が既に」
言いかけて、俺は眉をひそめた。
さっきの笑顔を見て、てっきり俺は「この子も覚えてるっ!」と確信していたんだが、もしかして違うのかっ。
しかし、俺が告白した前回の10月1日時点では、深森はまだ俺に、あんな優しい笑顔は見せてくれなかったぞ! この違いはなんだよっ。
あの笑顔は前回の数日間で積み重ねた、信頼関係あってのことじゃないのか!
怒濤のごとく疑問で溢れた俺は、思い切って尋ねた。
「もしかして……前のことは忘れている?」
深森はなぜか無言で見つめ返した。
焦った表情すら、シャッターを下ろしたように消えた。
ただ、実に意味ありげな目つきで、「瞳で語る」かのごとく、俺を見つめている。しばらく見つめ合った後、深森はふと目を逸らした。
「……なんのことかしら」
「いやいやっ」
俺は呆れ声を上げた。
「いま結構、間があいたよねっ。絶対、なにか迷ってただろ!?」
速攻で指摘すると、いよいよ目を逸らしたままで首を振る。
「わ、わからないわ……なんのことか」
怪しい、怪しすぎるっ。これは最強に怪しいだろ、いくらなんでもっ。
俺がそう思ったのも当然だろう。どうも、しっかり記憶が残っているのに、隠しているように見えるじゃないかっ。
ただ不思議なのは、本人もできればぶちまけたいような目つきに見えることか。
「それで……」
むっつり考え込む俺に、深森がおずおずと上目遣いで見た。
「お、お返事は?」
正直に告白するが、この時俺の心中にごくごく微量の「そっちがその気なら、俺だって!」という気持ちが生じたのは、否めない。
明らかに妙な態度をとるこの子に、少しだけ苛ついたのもある。
だから思わず、「どうしようかな、返事」と心にもないことを呟いてしまった。
……次の瞬間、俺は死ぬほど後悔した。
深森はただ掠れた声で「……えっ」とショックを受けた声を出しただけだが、直後にたちま顔が悲しみに覆われ、右目からつうっと最初の涙が流れた。
俺が唖然とする間に、あとはもう、無言のままどんどん両方の瞳から涙が溢れ出し、ついに両手で顔を覆ってしまう。
すぐに嗚咽が洩れ聞こえた。
たまらなくなった俺は、たちまち些細な怒りなど消し飛び、初めて自分から深森を抱き締めた。
「ごめん、こちらこそ付き合ってほしいっ」
気付けばそう叫んでいた。




