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無数の分岐2(終) 愛している人がいるから

 別に俺に限らず、クラスの野次馬連中が我も我もと廊下へ走り出ていくところだったので、幸いにして、目立つことだけはなかった。


 階段を二段飛ばしで三階へ向かい、そこからさらに屋上へと向かう踊り場へ上がろうとしたが、しかし既に遅かったらしい。

 俺がそこに見たのは、難しい顔で集まっている先生数名の姿と、量は少ないながら、廊下に散る鮮血の跡だった。


 あと、野次馬という名の、遠巻きに見守る生徒達の集団である……もう本人達はいないってのにさ。





「誰か怪我したのか!」


 深森がゴツいゴリラみたいな三年に殴られるところを想像し、ぞっとして周囲に訊いたが、同じクラスの男子が笑って教えてくれた。


「怪我はしてたぞ、うん。ただし、三年のさかきって先輩の方がな。深森に迫った挙げ句、ぶっ飛ばされて、階段から転げ落ちたんだ。血の跡は、唇噛んで自分で流した血な」

「おおっ!?」


 俺はほっとしたのと同時に、深森の武勇に驚き、思わず声が出た。

 そういや、元から武勇伝の尽きない子だった……不良の噂も、そこから来ているわけで。

 俺といる時は、借りてきた猫どころか、まるっきり大和撫子そのままなのに不思議なことである。


「榊……さんって、留年してもう一度、三年やってるって人か?」

「そう、その榊さん」 


 池谷いけやという名の、自称情報通は、ここぞとばかりにいろいろ教えてくれた。

 普段はありがた迷惑だが、こういう時は本当に助かる。


「でもさ、俺が見た時、ちょうど先輩の喚き声がして、その直後に本人が上から落ちてきたんだけど、ありゃ驚いたよなあ。榊先輩って態度もデカいけど、体格もデカくて、普段から他校の不良と無駄に喧嘩しまくってる人なんだぜ? 喧嘩慣れしてるし、深森とは体重にして二倍くらいの差があるのに、よくぞあれだけ鮮やかにぶっ飛ばせたなと」

「見てたのか、おまえ?」 


 野次馬の誰かの質問に、池谷は自慢そうに頷いた。


「駆けつけたのは、終わりかけの場面だけどな」


 気になってたまらんので、俺自身も尋ねた。


「原因はなんなんだ? 揉めた原因は?」




「もちろん、榊先輩が深森にクラクラッとなったからだろ。自分以上に、深森は普段から散々、喧嘩騒ぎの噂が絶えないのに、『そういう女こそ、俺にふさわしいっ』て本人が広言してたのは、いろんな生徒が聞いてるからな。そこで今回、ついに真っ正面から告白したんだろうと。それも、やめときゃいいのに、周囲に『今から告白してくるっ』て大見得切ったらしいよ? それがすげなく断られて、思わず頭に血が上ったんだろう……まあ、最後あたりは俺の推測も入ってるけど、見てた限りじゃ、それがほぼ真実だね」


「なるほど……」


 さすがは事情通だが、俺としては非常に複雑な気分である。

 だいたい、この事件自体が、訝しい。この時期、こんな騒ぎは起きなかったはずだ。

 少なくとも、俺の知る十年前の時点では、起きてない!


「まあでも、あの先輩にも同情する余地はあるけどね」


 池谷がふと遠い目で言った。


「同情? どの辺りに?」


 顔をしかめた俺が訊くと、肩をすくめて見せた。


「今までは悠然と構えていたらしいぜ、先輩も。どうせいつかは、似た物同士でくっつくからって、根拠レスの自信があったみたいで」


 周囲で耳を済ます野次馬連中のうちから、微かに笑いが洩れた。

 たまたま、一年と二年ばかりが集まっていたので、池谷は安心したらしく、もったいぶって声を低めた。


「でも今朝、取り巻きの誰かが、『深森と男が、仲睦まじそうに一緒に歩いているのを見たっ』て吹き込んで、それで超焦ったみたいだな。こりゃヤバい、早く告白しないと、俺の女が寝取られちまうってさ」


『えぇーーーっ』

「うえっ」


 集団と併せ、俺自身も声が出た、声がっ。

 むしろ、危うく絶叫するところだった。


 一緒に歩いていたのって……もしかしなくても俺か? 仮に俺だとすると、この騒ぎ自体が俺が引き起こしたということになるような。


 藤原のたとえを借りれば、わざわざあみだくじのルートを増やしたようなものだ、くそっ。

 我ながらほぞを噛んだが、池谷の話はまだまだ続く。


 ネタ集めの成果を、皆に披露したくてたまらないらしい。





「だいたい、脳内妄想じゃ、先輩的には告白即、おつきあい開始だったんだろうよ、多分。でも実際は、告白したと同時に『愛している人がいるから駄目』って即答で拒否られたわけで……そこで頭に血が上ったと」 


「なあ、『愛している人』って部分は、さすがにフカシだろ?」


 周囲の誰かが訊くと、池谷はむきになって首を振った。


「この部分は又聞きの噂じゃなくて、俺が聞いたんだって。『愛してるとか、いくらなんでも嘘だろっ』て、榊先輩が喚く声がして、その直後に本人が悲鳴上げて落ちてきたんだよ」

「またまたぁ」


 池谷の信用度は、実に狼少年とタメを張るレベルなので、周囲の連中は笑って相手にしなかった。しかし……少なくとも俺は信じる。


 深森雪乃は、割と直球でそういうことを言う子だ。


 しかし……ますます俺のせいじゃないか、これ?

 俺が密かに胸を痛めていると、階段のところにいた数名の教師のうち、体育教師が怒鳴った。


「こらあっ、もうすぐHRだろうがっ。見世物じゃないんだ、さっさと教室へ戻れ!」


 たちまち蜘蛛の子を散らすようにして、野次馬共が散っていく。

 なんとなくその後に続きながら、俺は一人で歯がみしていた。


 まさかこの事件、謹慎だの退学だのと、そういう嫌な処分に発展しないよな? 正直、先輩の方がそうなろうと全然気にならないけど、深森まで処分されたらたまらんぞ。



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