無数の分岐1 深森と三年の先輩が揉めてるみたいだ
二人で歩いていた時間はべったり俺にくっついてくれた深森だが、やはり学校が近付くと、「用事があるから、先に行くわね」と言って、離れていってしまう。
俺はもう完全に「他の生徒に見られるのが恥ずかしいのだろう」と決めつけていたので、特に意外には思わなかった。
だいたい、俺だって見られるのは恥ずかしい。
それに、今日あえて早めに学校へ出てきたのは、深森に話したように、友人にいろいろ訊いてみようと思ったからだ。
藤原縁という渋い名前のクラスメイトで、中三の頃からずっと、なぜか同じクラス、同じ高校へと腐れ縁が続いている。
いつも早めに来て本を読んでいるのだが、今日もばっちり先に来ていた。
俺は前の方にある藤原の席までいき、一つ前の席を逆にして、藤原と向かい合うように座り込んだ。
「ちょっといいか?」
「……片岡君、今日は早いね」
黒縁眼鏡を指で押し上げ、藤原が笑う。
「どういう風の吹き回しかな」
「いやー、その手のことに詳しそうなおまえに、訊きたいことがあってな」
なにかというと、その手の不思議系や謎系話を始める藤原に、俺はかなり期待していた。今こそ、ムー的知識が必要な時だろう。
「仮に、十年後の未来から、今の時点にタイムリープした男がいるとして――その時にそいつが見た世界が、元自分がいた過去世界と異なる部分がある……というのは、有り得るのか?」
「なぜまた、そんな質問を?」
藤原は不思議そうに俺を見た。
当然の疑問だったが、俺はなるべく本当っぽく聞こえるように先にニヤッと笑った。
「ここだけの話、俺の幼馴染みがこっそりそんな小説書いててな。俺に意見を求めてきたんで、返事を保留しててさ。知らないと正直に言うのも、業腹なんで」
「幼馴染みというと、2ーDの河原さん?」
「お、おまえ詳しいな? もしかして、顔見知りか?」
内心でひやっとしたが、幸い、藤原は首を振った。
「まさか! 前に片岡君が僕にそう教えてくれたんだよ……運動会の時に」
「そうだっけか? 忘れてたなぁ……でもまあ、確かにそいつだよ、うん」
藤原は俺以上に女の子慣れしてないヤツなので、まさか本人と会話したりはしないだろう。大丈夫、大丈夫だ。
自分に言い聞かせ、俺は笑顔で促す。
「で、本当のところ、どうなんだ? 過去が変わってるケースってあるのか?」
「先に結論を言うと、そりゃあると思うよ」
元からそういう話が好きな奴なので、やけに嬉しそうに答えてくれた。
「ただ、絶対の前提として、全ては仮説に過ぎないんだ……ここ、大事だからね。なぜって、人類史上、未だに時間跳躍に成功したなんて人は、いないことになってるから」
裏向きには実際にいるような口ぶりだが、下手にそこを尋ねると、話が十倍に長くなる。経験上、俺はそれをよく知っているので、軽く頷いておく。
「仮説で構わないさ、教えてくれ」
「まず、おおざっぱに、二つのケースがあると思うんだ。なにをどうしようと、過去は絶対に変わらないし、変えられない……というのが、まず一つ。二つ目は、時間跳躍で過去に戻ることによって、幾らでも過去改変は可能である、というケース。個人的には、この二つのケースはどちらも正しいと思う」
「……どういうこと?」
俺が眉をひそめると、忍耐強い藤原は、詳しく説明してくれた。
「つまり、多元宇宙論で言うところの、多世界解釈だとそうなるってこと。たとえば、片岡君が、十年前の過去に飛んで、僕を殺すとする」
いきなりひどい例だが、俺は我慢して聞き耳を立てた。
「すると、もちろんその時点から僕の未来はなくなる。しかしそれって、可能性の一つにすぎなくて、片岡君が僕の殺害に失敗する、あるいは気が変わって殺害をやめる――それらの可能性がそこで消えたってだけの話なわけ。実際には、無数に存在する世界の中では、僕を殺す片岡君も僕を生かすことに決めた片岡君も、それこそ無限の分岐があって、実際にその分岐の数だけ可能性の世界が存在する。考えられる可能性は、全て実際にあるってこと。極端な話、僕を殺すのをやめて、僕と片岡君が共謀して、全然別人を殺す世界だって存在する」
俺は、よほど混乱した顔をしていたらしく、藤原はノートを出して、ページの最後にあみだくじを書いてくれた。
……それもノートの枠一杯になるほど、複雑なヤツを。
「こうしてあみだくじを見ると、横棒と縦棒を増やせば増やすほど、嫌になるほど分岐が出来るでしょ? つまり、このあみだくじが、宇宙大の広さになったと思えばいいんだ。そして、毎秒ごとに、あるいはナノ秒ごとに、こんな風に人生の分岐があると思ってみればいい。ほら、選択肢がいきなり無限になったじゃない」
「お、おお……なるほど」
俺はそこで顔をしかめた。
してみるとなにか、俺が今救おうとしている深森は、あの夜に自殺した深森とは、似て非なる子だってことになるのか?
俺は自分でも意識しないうちに、本来のルートから逸れている? 俺の知る過去が変わっているというのは、そういうことなのか?
しかもそうだとするなら、だ。
「……それってつまり、同一分岐上のルートでは、確定した過去は変えられない?」
「いや、それは」
などと藤原が言いかけた時、なぜか俺の背中がどんっと叩かれた。
振り向くと、隣の席の谷垣である。
「なんだよ?」
「おまえ、ブレイドに興味なかったっけ?」
深森がどう思うかわからないので、俺はあえて無難な答え方をした。
「あれだけ有名人だし、誰でも興味はあるだろ?」
「ふーん。……なら、屋上へ向かう階段の方を見に行った方がいいぞ。深森と三年の先輩が揉めてるみたいだ」
いきなり言われ、俺はさっと席を立った。




