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異世界居酒屋「のぶ」  作者: 蝉川夏哉/逢坂十七年蝉


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恋するコンラート(後篇)

 宿を出た二人が向かったのは、居酒屋ノブだ。

 店を閉めているかという不安をよそに、まだ明かりは落ちていない。恐る恐る覗こうとするコンラートを尻目に、ゼバスティアンは硝子戸を高く敲いた。


「いらっしゃいませ!」

「……らっしゃい」


 店内には客の姿はない。閉店の準備のため、清掃をしていたようだ。


「先ほども来て下さいましたよね」


 黒髪の給仕に促され、二人はカウンターへ腰を落ち着けた。先ほども思ったことだが、店内は心地よい暖気に満たされている。


「実はさっき一緒に来たセレスという女性について調べているのだが」


 コンラートがそう尋ねると、店員たちは妙な顔をした。

 それもそうだ。二人連れで来た客がもう一人の素性を知らないということはあるかもしれないが、後で尋ねに来るというのは珍しいだろう。


「どうしてももう一度会いたい、という話でして」


 ゼバスティアンが言葉を継ぐ。

 たまたま知り合った二人が、互いのことを何も語らずに分かれたがもう一度会って話がしたい。

 無理のある話のような気もするが、給仕は顎に指を当てて考え込みはじめた。

 毎日何人も来る客のことをそれ程覚えているとは思えないが、コンラートは藁にも縋る思いだ。


「俺はほとんど憶えてないな。しのぶちゃんは?」

「身長は一六〇で歳は十八から二〇。ロングの髪に銀縁眼鏡、少し猫舌。食べたのはアップルパイと串かつ。しし唐は少し苦手。言葉遣いから、多分貴族だけど古都の近くの人とはイントネーションが違う、くらいかな」


 すらすらと答えるシノブという給仕に、コンラートとゼバスティアンは顔を見合わせた。大した観察眼と記憶力だ。


「大したものですな。しかし……」

「手がかりにはならない、か」


 身元に関する情報が分からなければ、手の打ちようがない。

 それにもう、今日は深夜だ。明日の見合いまでにもう一度会うことは絶望的だろう。


「……ゼバスティアン、お遊びの時間はお仕舞いだ」

「心中、お察し致します」


 店主がコンラートに頭を下げる。


「あまりお役に立てず、すみません」

「いえいえ、お気持ちだけでもありがたい」


 そう答えつつも、コンラートの胸中を占めるのは未練だった。

 はじめから、不可能なことだったのだ。益のない時間を過ごしたが、心の整理はついた。

 もしも運命の相手なら、もう一度会えたかもしれない。会えなかったのだから、そうではなかったと自分を無理矢理に納得させる。


 気が抜けると、妙に腹が減ってきた。さっき腹いっぱいにクシカツを食べたはずなのだが。


「ここは居酒屋だ、ゼバスティアン。何か食べていくか」

「それは良い考えです。もちろん、迷惑にならなければの話ですが」


 シノブと呼ばれた給仕はにこやかにオシボリを持ってきた。


「それでは、ご注文をお伺いします」


 トリアエズナマ、というラガーを頼んだ。

 正確にはラガーではないらしいが、エールと比べる言葉が他にない。

 透き通った切れ味と苦味は、確かにエールとも帝都で出回るラガーとも違う。


「これはなかなかいい酒ですな」

「エールやラガーを冷やして飲むという趣向は思いつかなかったな。帝都でもできるか?」

「何代か前の皇帝がバーゼンブルクの山中に氷室を作らせていたはずです。冬の間に氷を蓄えておけば真夏でも氷を帝都へ供給することは可能です」

「随分と金と手間の掛かりそうな話だな」


 国庫への負担はコンラートの望むところではない。冷やしたラガーは冬だけの楽しみにしておいた方が無難のようだ。

 少し待って出てきたのは、漬物(ピクルス)の盛り合わせだった。色合いが目に楽しいし、塩気はトリアエズナマの当てとしても嬉しい。クシカツの食べ過ぎで油物よりは他のものが欲しかったので、この単純な肴はありがたかった。

 不思議な店だ、と短内を見回して思う。そういえば先帝が古都で見つけた店も異国情緒のある店だということだった。この店がひょっとするとそうなのかもしれない。

 いつの間にかゼバスティアンは自分だけ陶製の小さな酒杯で別の酒を呷り始めていた。


 ジョッキを干す。

 苦味のある喉越しを感じながら、次の一杯を注文した。

 女々しいことだと自嘲しながら、セレスのことがそれでも諦めきれない。

 本当は何か強い酒が欲しい。欲しいが、明日は見合いだ。素面でなければならない。


 それでも、今晩だけは酔い潰れてしまいたかった。


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