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異世界居酒屋「のぶ」  作者: 蝉川夏哉/逢坂十七年蝉


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煮込みハンバーグ(前篇)

 煮込みハンバーグ




 雨の多い古都の秋にも、時折からりと晴れ渡る日がある。

 陽の光は弱々しく外套は手放せないが、それでもありがたいということに変わりはない。

 そういう日をこの辺りでは“冬籠りの仕度日”と言って、薪を集めたり屋根の修繕に充てたりする。

 今日のエーファはいつもより張り切っていて、店の掃除に余念がない。


 そんな良い日なのだが、居酒屋のぶには昼間からジョッキを片手に管を巻いている酔客がいた。

 アルヌである。

 手に持った羊皮紙の束を相手に、先刻から繰り言を呟き続けていた。


「アルヌさん、もうそれくらいにしたらどうですか?」

「シノブさん、まだこれは一杯目。一杯目です」


 言われなくてもそんなことはしのぶが一番よく知っている。

 喧嘩は滅法強いのにその分、酒には全くの下戸であるアルヌは、ジョッキ一杯どころからビールの三口ほどでへべれけになってしまう。


 馬丁宿通りをトボトボと歩く姿が余りにも哀れを誘ったので声を掛けてみたが、さすがにここまで酷い状態だとは思わなかった。

 原因は、吟遊詩人クローヴィンケルとやりとりした手紙である。


「他の人には個性的で見るべきところがあるって言われていたんだがなぁ」


 アルヌの呟きを余さず聞いているわけではないが、どうやら随分とはっきりとした感想が書いていたらしい。

 信之は何も言わずに鍋でソースを作っているが、複雑な表情だ。


 日本人であるしのぶと信之には、アルヌの詩の出来不出来は分からない。

 それでも、だしまきたまごが気に入ったクローヴィンケルという老吟遊詩人の詩は、とても美しく耳に響いたのだ。

 比較をするとやはり、アルヌの詩には何かが欠けているという気がする。


「クローヴィンケルさんに、何か言われたんですか?」


 堪り兼ねてしのぶが声を掛けると、アルヌは小さく頷いた。

 ゴロツキを叩きのめした時の覇気に溢れる姿からは想像も付かない落ち込みようだ。


「“言葉はよく知っている。音韻の選び方も、悪くない。古歌の形式への造詣の深さは、なかなかのものがある。ただ、根本的なところで詩に必要な彩りが欠けている、これは才能に属する分野の話で、努力では越え難い”とか」

「アルヌさんはどう応えたんです?」

「“これからの一生を、壁に頭をぶつけながら生きて行きます”と」


 思わず吹き出しそうになるのを、しのぶは寸でのところで堪えた。


「笑い事じゃないですよ、シノブさん。オレは本当に吟遊詩人になりたい」

「それでも難しいって言われたんですか?」

「クローヴィンケル先生によると、オレの詩は逃避だと。本当にやらなければならないことから目を背け、逃げるために書いているのが分かると。あの大先生にはそういう風に見えるらしいのです。全く、大した先生ですよ」


 あの老吟遊詩人は、確かに凄味のある人物だった。

 味に迷いのある信之の料理を、たったの二口で看破したのだ。

 信之はあの一件以来、思い付きで料理を店に出す事がない。

 奇抜に見える料理でも入念に下準備をして、満足の出来る味になるまでは人に食べさせようとしなくなった。


 その審判を最後に下すのは、しのぶの舌だ。

 居酒屋のぶを古都で続けて行くに当たって信之は、物珍しさよりも料理人としての腕を磨く方に重きを置くことに決めたらしい。

 きっかけの一つは、間違いなくあの老人だ。それ以外にしのぶの知らない何かがあったのかもしれないが。


「それで、これからどうするんですか?」


 アルヌの返答は言葉ではなく、ビールが喉を鳴らす音だった。

 酒に溺れたい日もある、ということだろう。

 しのぶは小さく首を竦めた。後でイーサクに迎えに来てもらわないといけないかもしれない。


 信之の鍋から美味しそうな香りが漂い始めた頃、硝子戸がおずおずと開けられた。

 顔をのぞかせたのは、二人連れの可愛らしいお客さんだ。


「え、エーファお姉ちゃんのお店はここですか!」

「ですか!」

「はい、そうですよ。いらしゃいませ」

「……らっしゃい」

「いらっしゃいませ!」


 いつもの挨拶に、今日はエーファも加わっている。

 それもそのはずで、この二人の客はエーファの弟と妹だ。名はアードルフとアンゲリカ。

 二人ともエーファとよく似た赤毛で、今日の為にお洒落をしてきている。

 のぶから支払った賃金で、エーファが服を買ってあげたことをしのぶと信之は傭兵二人から聞かされていた。


 二人は、遊びに来たのではない。

 姉であるエーファにいつも持たせているお土産への礼を言いたいのだという。まだ十歳くらいの子供にしては大人びた考えだとしのぶは思うのだが、こちらの世界ではこれが当たり前なのかもしれない。

 六歳のアンゲリカはまだぬいぐるみを引き摺っているが、大きな目いっぱいに好奇心の光を湛えている。エーファに似て、賢くなりそうだ。


「これはいつもエーファお姉ちゃ、じゃない。姉がお世話になっているお礼です。召し上がって下さい」

「ください!」


 そう言ってアードルフが手渡してきた頭陀袋には、小振りな林檎が一個とじゃがいもが入っている。まだ土の付いたじゃがいもは日本で見る者より小ぶりだが、持ち重りのする良い出来だ。


「ありがとうございます。こちらは大切に頂戴しますね」


 子供相手の言葉ではなく、しのぶは大人にするような挨拶をした。

 じゃがいもの袋を手渡すと、信之は感心したように声を漏らす。


「ちゃんと林檎を入れてるんだな」


 じゃがいもは林檎と一緒に袋に入れておくと、保存状態が良くなる。

 こういう知恵は、日本でも古都でも共通のものらしい。


「さぁ、お客様、こちらへどうぞ」


 案内するのは、エーファだ。

 弟妹にしっかり働いているところを見せたいのか、いつも以上に張り切っている。カウンターの椅子は高いので、アンゲリカが座るのを手助けしてやるのもお客をよく見ている証拠だ。


「あっ、でもぼくたちはお礼を言いに来たんであって」


 慌てるアードルフを、エーファが無理矢理席に座らせた。


「お礼に見えた方に何もお出しせずに帰らせるわけがないでしょ」


 すっかりお姉さん風のエーファに接客は任せ、しのぶは改めて頂き物のじゃがいもを検分する。

 形は男爵よりもメークインに近い。ほくほくした男爵と、煮ても崩れにくいメークイン。どちらに性質が近いかは、料理してみなければわからない。


「大将、折角だから貰ったじゃがいもも何かに使えない?」


 すっかり酔い潰れてしまったアルヌにタオルケットを掛けてやりながら尋ねると、信之も同じことを考えていたようだ。


「そうだな。折角だから、付け合せにしてみるか」


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