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異世界居酒屋「のぶ」  作者: 蝉川夏哉/逢坂十七年蝉


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牛すじの土手焼き(前篇)

 イワシのテンプラを一口齧っただけで、イーサクは黙り込んでしまった。

 何だこれは。

 アルヌが美味い店を見つけたというのでほいほいとやって来たが、こんな料理がこの世に存在するというのか。

 これまでもアルヌが少し上等な店を見つけてくれるということはあった。

 大抵は東王国風の小洒落た味付けの店で、それなりに美味い。

 それなりに美味いのだが、イーサクにはどれも再現の出来る味だった。


 料理人の息子に生まれたイーサクは、自分も将来料理に携わる人間になるのだと漠然と考えている。

 料理人として恥ずかしくないように、修行も積んだ。

 そのイーサクにとって、自分で作れそうもない料理というのは驚きの対象でしかない。


 調理法が分からないわけではない。

 小麦粉を卵と水で溶いた物を具材に付け、揚げる。ただそれだけのことだ。

 だが、自分でそれをやったとしても、同じ味になるような気がしない。

 恐ろしく手間のかかる下拵えをしているのではないか、とイーサクは睨んでいた。


「お口に合いませんでしたか?」


 心配そうに覗き込んでくる給仕に首を振り、残りのイワシも口に放り込む。

 やはり、美味い。

 噎せそうになって口に含んだラガーも、噂に違わぬ美味さだ。


 まだ宵の口だというのに、居酒屋ノブは大した繁盛だった。

 小さな店内は常連らしき客と一見客とで活気に満ち、各々が好き勝手に肴と酒を楽しんでいる。

 帝国の酒場は帝都の物も含めて数多く回ったが、こういう雰囲気の店は千金を積んでもなかなか見つかるものではない。


「それにしても、アルヌさんのお友達が来てくれるなんて」

「いえ、アルヌ様はこちらでご迷惑をお掛けしませんでしたか」

「迷惑だなんてそんな」


 肝心のアルヌがこの場にいないのは、あの金髪の放蕩息子が約束をすっぽかしたからだ。

 黒髪で背の高いイーサクとよく比べられるアルヌだが、性格の方も対照的だった。真面目なイーサクと、気の赴くままに動くアルヌ。

 だからこそ馬が合うのか、イーサクはアルヌの事を兄のように慕っている。


「今日アルヌさんが来られなかったのは残念ですね」

「そうですね、これだけ美味しい料理とお酒なら、アルヌ様もさぞかし喜んだと思います」

「そう言って頂けると嬉しいです」


 アルヌが今、何をしているのかは、大体見当が付いていた。

 この店で暴れたゴロツキ達の動きを探っているのだ。

 衛兵隊に捕まったあのゴロツキ達は罰金を払ったので牢屋には一昼夜しか入らず、既に街へ出ているらしい。

 古都のゴロツキの顔役になっているダミアンという男と手を組んだ、という話もあった。

 逆恨みをしてこの店に彼らが仕返しをしに来た時への備えとして、イーサクはここに置かれているのだろう。


 さっきはイワシだったので、次はカキアゲにフォークを伸ばす。

 玉ねぎと小ぶりな海老の入ったカキアゲはナイフで切り分けたくなるが、少々下品でも齧り付いてみる。

 シャクリシャクリ。

 シャクリシャクリ。

 シャクリシャクリ。


 フォークを置くことができずに、思わず丸々一つ食べてしまった。

 油で揚げた玉ねぎをこれだけ食べれば油で凭れそうなものだが、そこにも工夫があるのだろう。

 玉ねぎのホクホクとした優しい甘味が堪らない。


 頼もうとする前に、給仕の女性がラガーのお代わりをジョッキに注ぎ始めた。何か言おうとすると、にこりと微笑む。

 これは、アルヌが店を気に入るはずだ。

 人の扱いについてアルヌはああ見えて酷く気難しいところがあるが、これほど気配りの行き届いた店なら、寛ぐことができるだろう。


 キノコのテンプラも、面白い食感だ。

 煮るか炊くかしか、これまでキノコを食べる方法を考えて来なかった。

 イーサクの先祖が暮らしていた北の大地では、しっかりと煮てからでないと毒の回るキノコがある。

 そういう知恵を伝承しているからこそ、煮炊き以外の方法ではキノコを食べないのだが、こういう調理法もあるのだ。


 一番驚いたのは、木の根だ。

 給仕のシノブはこれをゴボウと呼んでいたが、見た目はどう見ても木の根を薄く細く切った物にしか見えない。

 これもまた、人参と一緒にカキアゲにする。

 歯応えは玉ねぎの比ではないが、これもまた美味い。


「料理の世界は驚異に満ちていますね。まさか木の根がこんなに美味しく食べられるとは」

「牛蒡、美味しいですよね。私の祖父の好物でした」


 言いながら微笑むシノブに、イーサクは言葉を掛けることができない。

 木の根をも掘り返さねばならない程、貧しい土地の出なのだろう。

 それをせめて少しでも美味しく食べる工夫を考えている内に、揚げてみるということになったのではないか。

 揚げることで、ゴボウは木の根であって木の根ではなくなった。


 これは、料理だ。

 その料理が、三世代を経て、テンプラとして結実している。

 材料が手に入るようになり、そこから創意工夫して素揚げに衣を突けるようになったのではないか。鶏卵が手に入るようになり、この料理はテンプラとして完成した。


 それならば、手の込んだ下拵えも納得がいく。

 材料を少しも無駄にしないという高潔な精神が、何処にでもある材料に過剰とも思える手間を掛けさせ、料理へと昇華させた。

 そう考えると、彼らと彼らの先祖の努力に神の愛を感じざるを得ない。


 皿いっぱいに盛られたテンプラを平らげると、イーサクの心の内に料理人としての好奇心が沸々と湧き上がってきた。

 テンプラは、美味い。

 他にも色々な料理を美味く作るのだろう。

 その技を、学びたい。見て盗めるものがあれば、しっかりと。


「テンプラ、美味しかった。次はもう少し味の濃い……何か煮込み料理のような物が食べたいな」

「はい、味の濃い煮込み料理ですね!」


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