美への奉仕者たちの朝食(後篇)
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「そうか。無事だったか」
受け取った手紙から顔を上げ、老齢の彫刻家は安堵の溜息を漏らした。
彼の主催する美術工房は職人や助手、徒弟で溢れており、活気に満ちている。
フェロッヒオ・ディ・チオーニは聖王国においてその顕名の隠れるところのない彫刻家であり、画家であり、建築家であり、鋳造家であり、金細工師であったが、それらの作品すべてを合わせたよりも、芸術家の師として世に知られる人物だった。
〈良師〉チオーニ。
自らの名前を掲げたチオーニ工房は銀行家の強力な後援によって、多くの貴族や聖職者を顧客として抱える美術芸術の一大供給拠点として、心臓が四肢に血を送り込むように美を各国へと送り出している。
愛弟子の一人であるレオナルトの行方を報せてくれたのは、馴染みの大司教だ。
恰幅のいい大男で、魔女を探しているという変わり者だった。
帝国にまで伝手があるとは知らなかったが、これも人の縁、ということだろうか。
まさか〈法主の長い手〉を使ったわけでもあるまい。
フェロッヒオは広く秀でた額を、ぱちんと叩く。
そうだ。そもそもレオナルトのことを血眼になって探さねばならなくなったのは、聖堂から引き受けた仕事のせいだった。
あまりにも多くの仕事を工房の名で引き受けているフェロッヒオにとって、受注と納入は単に芸術的な観点だけでなく、政治的な駆け引きの意味を帯びる。
聖堂の仕事を遅らせている状態で、大司教から弟子の行方を知らされる、ということの意味について老彫刻家はしばし思案を巡らせた。
秀でた芸術家であり優れた教育家でもあるフェロッヒオだったが、それだけでなく、政治的な動物でもある。そうでなければ、煉瓦職人から徴税担当官に転職した平凡な父親を持つ男が、聖王国の芸術界で多年に亘って遊泳を続け、名を成すことは困難だからであった。
「ありがとう。大司教猊下にはよろしくお伝えください」
手紙を届けてくれた聖職者に丁寧に礼を述べ、駄賃として銀貨を手に握り込ませる。
聖王国は聖堂の強い国であり、聖堂は聖職者の組織であるが、総ての聖職者が清貧の誓いを守っているわけではない。むしろ、僧衣の裡に隠し切れぬ生臭さを誤魔化すことさえ怠るような僧侶が大手を振って歩いていることさえ、ある。
生臭といえば。
フェロッヒオは旧知の僧侶を一人思い出した。
付き合いのあった頃は助祭だったが、今頃は大司教程度には成り遂せているだろうか。
あの生臭坊主も確か、帝国にいたような気がしたが。
いや、それよりも今は弟子のことだ。
手紙によると、レオナルトは帝国のさる侯爵家の披露宴で絵を描いているらしい。
自分の名前が出ないようにと様々な配慮をしているらしいのが少し癪に障るが、弟子なりに師である自分に気を遣っているのだろうと思えば、納得もできた。
報告を寄越した聖職者に芸術の心得がないのが、残念だ。
弟子がそこで何を悟り、何を描いたのか。
フェロッヒオには想像する手がかりさえ、何も与えられていない。
老彫刻家は、窓から空を眺めた。数羽の鳥が、優雅に羽ばたいているのが見える。
鳥は、小魚ほどの小ささにしか見えない。
チオーニ工房ではまず初等の教育として、遠近法を叩き込む。
遠近法こそが自然を平面に写し取る上で最も重要な技法の一つだからだ。
しかし。
今、フェロッヒオはその遠近法を原則とする自然を、心の底から憎んでいる。
聖王国と帝国北方ではあまりに遠く、どれだけ目を凝らしても彼方の絵画を豆粒ほどに見ることもできない。いや、そもそもこの世界は丸いのだから、球体の曲率に阻まれて……
フェロッヒオは軽く手を振って、弄んでいた妄想を振り払った。
かつては芸術という無限の夢想に羽ばたくことのできた彼も、今では現実という薄汚れた世界で生きなければならない。
そうすることが、弟子を育て、〝美〟で世を満ちさせるために必要なことだ。
本当は、殻を破った弟子の絵を一目でいいから見てみたい。
しかし、それは不可能なことだ。
老齢といっていい歳に達しつつあるフェロッヒオが帝国へ足を運ぶ機会は今生では訪れないだろうから、レオナルトの描いたものを見る機会は、既に失われているのだった。
徒歩や馬ではなく、せめて船便でもあれば話は変わるのだが。
手紙を読み終えたフェロッヒオは急に老け込んだ気分に襲われ、来客によって中断していた朝食を再開する。
しっかりと焼いたパンを二つに割って、生ハムとチーズ、それに赤茄子とレタスを挟んだ簡単なものに、茹でた鶏卵。
年の割には健啖だと言われる老彫刻家は卵を机の角にぶつけながら、レオナルトは帝国でまともな食事にありつけているだろうか、と一瞬だけ心配した。だが、すぐに明晰な思考を別の問題へと切り替えた。
レオナルトが生きていたことは幸甚というより他なかったけれども、その存命がはっきりしただけで、工房が聖堂に対して納入すべき壁画の問題が解決したわけではない。
弟子がすぐに帰ってくるのかどうか分からない以上、誰か別の人間を派遣する必要がある。
「……まったく。いくつになっても師匠の手を煩わせる悪い弟子だ」
そう嘯きながらも、フェロッヒオはその苦労を厭うてはいない。
深い皺の刻まれた口元に、誰にも読み取られぬほどに僅かな笑みが浮かんでいるのが、その証拠だった。
彼が〈良師〉として知られているのは、宣伝戦略の故だけでなく、フェロッヒオ・ディ・チオーニという人物の魂がまさに、良き師として具備すべき様々な要素を天賦のものとして内包しているからであった。
老彫刻家は朝食を手早く済ませると、最近は絵筆や鑿よりも手にすることの多くなった羽ペンを手元に引き寄せ、いくつかの長い手紙をしたためる。
各方面に宛てた謝罪や感謝の手紙は、レオナルトが今回の逐電で不利益を蒙ることがないようにという種々の配慮を求めるものであった。




