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異世界居酒屋「のぶ」  作者: 蝉川夏哉/逢坂十七年蝉


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天才とコンニャク(全)

 帝国の秋は冷える。


 当たり前のことだが、実際に体験するまで、レオナルトは想像もしていなかった。

 鳥たちが冬に備えて南に移動するのは、この寒さのせいだということが骨身に滲みてよく分かる。


 今日も一日、城壁の上に座っていた。

 気付いたこと、思いついたこと、考えたことを羊皮紙に記していくが、どれだけ小さな字で書いてもすぐに一杯になってしまう。

 旅をする中で気が付いたことは無数にあった。植物、動物、人の営みに建築や道具、古い絵画や彫刻を見るのも楽しい。世界の素晴らしさを堪能するように北へ北へと進んできて、この城壁の上に辿り着いたのだ。


 ぐぅ。

 羽ペンを無心で動かしていると、腹が鳴った。

 またやってしまったようだ。思い返してみるが、フーゴという硝子職人に連れられて何とかいう居酒屋に行って後には何も口にしていない気がする。いや、城壁を見回っている衛兵隊長からパン(パネ)と水を貰ったか。いや、それは居酒屋へ行く前だったか。関心のないことなので記憶がはっきりとしない。


 いずれにしてもはっきりとしていることは、今レオナルトは空腹を抱えているということであり、この状態が続けばまた倒れるだろうということだ。前回のフーゴのように優しい人間が近くを通りかかればいいが、幸運に恵まれなければこの寒さで酷い結果になるかもしれない。


「しょうがない」


 よたよたと立ち上がるとレオナルトは居酒屋ノブを目指す。

 どうせ食べるなら美味しいものの方がよいことは疑いようがないし、あの店には不思議なものがたくさんある。使い方や仕組みが分からなくてもそういうものを見ているだけで楽しいし、何か思いつくことがあるかもしれない。ただ歩いているだけでも思考が止め処なく溢れるレオナルトだが、あれだけ霊感(インシュピラーティオ)を刺激される場所にはなかなかお目にかかったことがなかった。




「いらっしゃいませ!」

「……らっしゃい」


 店内はやはり不思議なほどに温かい。色々と質問したい気持ちを堪えて、レオナルトは勧められたカウンター席に腰を下ろす。目の前には硝子瓶に収められた帆船。前回、一目見て魅了されてしまった逸品だ。


 あれから考えてみたが、帆船を作ってから周りに硝子瓶を作ったのではなく、大口の硝子瓶の中に小さな部品を少しずつ入れながら外から組み上げるという方法ならこれを作ることができるのではないかと気が付いた。作品そのものの素晴らしいが発想が先ずもって卓抜している。


「こちらお通しの糸こんにゃくのきんぴらです」


 シノブという給仕が注文をする前に小皿料理を運んできた。聞けば注文して料理が来るまでの間に間を持たせる料理だということだ。なるほど、前菜(アンティパスト)小皿料理(スフォルマト)のようなものだろう。師と一緒に招かれた宴席でお目にかかったことがあるが、洒落たことをする居酒屋だ。前回フーゴと来た時にも出てきたのだろうが、気が付かなかった。


 肝心の料理の方はというと、パスタのようだ。小麦を使っていないのか、透き通っているようにも見える。

 木のフォークで、つるりと一口。


「お?」


 食感はしかし、予想とは違っていた。

 小麦の(パスタ)とは違う弾力のある歯ごたえとつるりとした表面。これは面白い。

 味付けは甘過ぎず辛過ぎず、優しい味わいとでも言えばいいだろうか。経験のない味だが、嫌ではない。むしろ、好みの部類に入る。


「この料理の素材は? 小麦やライ麦の類いではないようだが? (リソ)? いや、米は麺を作るのにあまり適さないと聞いたことがあるが……それとも全く異なる材料なのか?」

「ああ、コンニャクは芋から作るんですよ」

「芋!? 芋って言うと、あの馬鈴薯(パタタ)みたいな?」


 厨房から答えるタイショーの言葉を聞いて、レオナルトはフォークでイトコンニャクノキンピラを持ち上げた。どこからどう見ても芋には見えない。


「馬鈴薯とは違う、蒟蒻芋っていう芋から作られるんです」


 他のテーブルの皿を片付けながらシノブが教えてくれる。


馬鈴薯(パタタ)は帝国に入ってから死ぬほど食べけど……コンニャクはどうやってこんな風に麺にするんだ? やっぱり小麦のように粉に挽いて練るのか? 何か添加物があるような気がするが……いや、しかしどうだろう……そもそも蒟蒻芋は普通の馬鈴薯と同じ栽培方法なのか?」


「蒟蒻芋はまず春に植えて秋に収穫します」


 包丁を持つ手を止めて、タイショーが説明をはじめた。


「その収穫した芋を一度保管し、また春に植えます」

「……?」


 なぜそのまま食べないのだろうか。


「そして秋に収穫した芋をもう一冬保管し、次の春に植えて、秋に再々収穫します。これが蒟蒻芋の栽培法です。蒟蒻を作りにはこの蒟蒻芋を……」

「ちょっと待った。芋を育てるのに三年もかけるのか? 三年も? 三年……? 三圃制でも一周してしまう期間じゃないか……」


 もう一度イトコンニャクノキンピラを眺める。三年。これを作るのに三年かける執念が想像できない。

 レオナルトは天才だ。天才であるがゆえに、次々と新しいことに挑戦したくなってしまう。絵も彫刻も設計も、思いついたことは何でもやらないと気が済まない。


 一方で、同じことをずっと続けることは他の人と較べて少し苦手だという自覚があった。挑戦してもダメだったことを何度も繰り返してついにやり遂げるような精神性には素直に敬意を表することにしている。


「収穫した蒟蒻芋は皮を剥いて洗って切り、干してから粉にして、ぬるま湯に溶いてから石灰を……」

石灰(カルチェ)!? 石灰って漆喰に使う石灰のこと、だよね……?」


 もはや想像が追い付かない。たかが芋を食べるために、いったいどれだけの手間をかけるのか。しかも石灰を加えるというのはレオナルトの発想を遥かに超えていた。聖王国でもオリーブの苦味を取るために灰汁(あく)を使う方法がごく一部で使われているという話を聞いたことがあるが、人間の口に入れるものに石灰を使うなどというのは耳にしたことさえない。


「凄まじい執念だな……」

「でも、美味しいでしょ?」


 シノブに微笑まれると、頷かざるを得なかった。

 確かに美味しい。だがその美味しさの意味するところに、レオナルトは既に気が付いている。

 きっと、タイショーやシノブの故郷の人たちはこの芋を食べるために凄まじい努力で研究を続けたに違いない。結果としてコンニャクは食べられるものとなり、味の追究にまで努力が払われた。だからコンニャクは美味しいし、料理法も確立されたに違いない。


「……うん、美味しい」


 なんということか。前菜に学ばされてしまった。たかが前菜、されど前菜。


「では改めて注文するとしよう」

「ああ、何にするんだい?」


 並々とラガーの入ったジョッキを両手に四つずつ抱えたリオンティーヌに尋ねられる。


ラガー(ビッラ)と美味いもの。コンニャクが入っているものなら嬉しいな」

「はいよ! コンニャクの入った美味しいもの、よろしく!」


 リオンティーヌの清々しい声に、厨房からの返事も心地よい。

 結局その晩、レオナルトはトンジルとコンニャクステーキ、チクゼンニとコンニャクの様々な可能性を堪能し、満腹を抱えて夜道を宿へと帰ったのであった。


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― 新着の感想 ―
蒟蒻芋にどうしてそこまで執念を燃やしたのかはわからないけど、普通に食えばピリピリして食えたものではない事実から工夫したのかなあと。農民は飢餓状態で食えるものはなんでも食べてただろうし。 渋み抜き、灰…
[良い点] そんなにかかるなんて信じられない…知らなかった!?
[一言] 3年かけたものがスーパーで100円くらいで買えるのとんでもないよな
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