鳥を見る人(後篇)
だが、表情を見てそれが要らぬ心配だということがよく分かった。
「鶏!? 早く出してくれ!」
シノブがさっそくオトーシを出してくれる。
「手羽元と大根の煮物です」
「おお!」
よほど腹が減っていたのか、レオナルトはフォークを手に取ると早速鶏肉にかぶりついた。
フーゴもフォークでダイコンを丁寧に四等分に切り分け、口に運ぶ。
「美味い!」
よかった、とフーゴは胸を撫で下ろした。行きずりに拾ったレオナルトだが、この店の料理が口にあったらしい。あまり人に何かしてあげた経験がないフーゴにとって、自分のしてあげたことが相手を満足させなかったらどうしようという心配があったのだ。
フーゴもフォークとナイフを使って骨から肉を放し、口に運ぶ。これも美味しい。鶏の脂の旨味が口の中に柔らかく広がる。
「何でも好きなものを頼んでいいよ」
「好きなものって言ってもはじめてきた店だからなぁ……うん、何か鶏料理をお願いしようかな。それとビールも」
はい、とシノブが元気よく答えた。やはりこの店の雰囲気はいい。ハンスは我が弟ながらいい店に勤めているものだと嬉しくなる。
「フーゴの兄さんとそちらのお客さんはどこで知り合ったんだい?」
ラガーのジョッキとフーゴ用の湯冷ましをテーブルに置きながらリオンティーヌが尋ねるとレオナルトが小さく礼を言った。
「レオナルト。僕はレオナルトだ。今は旅人だね。こっちのフーゴさんとは城壁で鳥を見てるときに知り合ったんだ」
「鳥って、あの鳥ですか?」
エーファがパタパタと羽ばたく真似をして見せるとレオナルトが笑みを浮かべる。
「そ。その鳥を見ていたんだ」
そう言ってラガーのジョッキとフーゴの湯冷ましのカップで乾杯した。コツリ、という音が妙に心地よい。
「手羽中の柚子胡椒焼きです。こちらは手で掴んでお召し上がりください」
確かにこれはフォークで食べるのは難しそうだと思いながら一つ手で掴む。
前歯でこそぎ落とすように肉を食べるとピリリとした味わいが舌先に踊った。
「おほ」
予想してない味だったのか、レオナルトが一瞬口元を押さえ、それからすぐにラガーのジョッキに口をつける。
「すごい! 香辛料を使った料理はよく食べるけど、この辛さはビールに合うなあ」
グビグビと喉を鳴らしながら、レオナルトは実に美味そうにラガーを飲んでご満悦だ。あっという間に飲み干して、次の一杯を注文する。
「本当にいい店を紹介してくれてありがとう」
改めてレオナルトから礼を言われて、フーゴは照れくさくなった。
「あまり気にしないで。馴染みの店に連れてきただけだから」
腹具合も落ち着いたのか、レオナルトは店の中を見回すとあれこれ質問しては考え込みはじめる。
「あの祭壇はどこの神を祀っているの? どうしてこの店では暖炉ではなくその道具で調理を? 火が青いのはどうして? この船の模型は誰が作ったの? どうしてこんな帆の形を? そもそも船の下に一本竜骨がある形式はまだ帝国には……いや、ちょっと待って、答えなくていい。考えてみる」
何にでも興味のあるらしいレオナルトは次から次に新しい興味の対象を見つけては考え込み、また質問を投げかけた。落ち着きがないのは苦手なフーゴだが、どういうわけかレオナルトのそれは嫌ではない。
「なんにでも詳しいみたいですけど、どんな仕事をしているんですか?」
エーファが尋ねると、レオナルトはにやりと笑った。
「何でもやるよ。組立式橋梁の設計に攻城戦の戦い方の考案、要塞の破壊方法の研究に坑道の掘り方、潜入工作の方法の立案から臼砲の設計……まぁ、今は無職なんだけどね」
できることを指折り数えて見せるレオナルトだが、結局は無職らしい。でもなぜかそれが少し羨ましいな、とフーゴは思ってしまった。
「それだけなんでもできるならすぐ就職先も見つかりそうなもんだけど」とタイショーが言うと、「なかなかいい勤め先が見つからなくてね」とレオナルトが首を竦める。
「にしても、なんとも物騒な特技だね。戦争がない時はどうするんだい?」
元傭兵であるリオンティーヌが呆れたように尋ねると、レオナルトは我が意を得たりとばかりに掌を打ち付けた。
「それこそ我が望むところ。平和になったら建物を建てたり彫刻をしたり、絵を描いて暮らすのが夢さ」
レオナルトの言葉は不思議とフーゴの胸に響く。こんなになんでもできる人間が世の中にいたのか。
「で、フーゴは何の仕事をしてるんだい?」
「僕はまぁ、硝子を少々」
そう言うと頼む前にタイショーが預けてある硝子杯を取り出してくれた。
「え、これはフーゴが?」
「うん、あとは眼鏡とか……」
突然立ち上がると、レオナルトはフーゴの手を取る。ユズコショウで手が汚れるのも気にならないらしい。
「すごい! すごいすごい! じゃあ、君があの眼鏡のレンズを研磨したのか!」
「え、あ、多分、そうじゃないかな」
古都から出荷された眼鏡のレンズなら、フーゴが研磨したものだ。
「あれはすごいものだよ。偉才の仕事だ」
「そんなことはないよ。レオナルトの方がなんでもできるじゃないか」
「僕が万能の天才であることは事実だけど、そのことは君が偉才であることと何ら関係がないよ。素晴らしい!」
ぶんぶんと手を上下に振られて、フーゴは困惑してしまった。なにがレオナルトの気に入ったのかわからないが、どうやらえらく好かれてしまったらしい。だが、悪い気はしなかった。
「本当にめでたい。帝国には鳥の観察以外にも色々と知りたいことがあって来たけれど、その中でも君を見つけることは望み薄だと思っていたんだ! よし、もっと飲もう!」
明日も仕事があるからフーゴは湯冷まししか飲まないのだが、レオナルトは気にせずにラガーを注文する。追加でやってきたテバサキのカラアゲも中が肉汁たっぷりで実に美味い。
ジョッキ二杯で酔いが回ったのか、骨入れに積みあがった鶏の翼の骨をカウンターの上に綺麗に並べて見せながら、レオナルトが鳥の骨が如何に軽いかについて語りはじめた。
これをもし木材と布で再現したらどうなるか。人は空を飛ぶことができるのか。
現実的な話から、荒唐無稽な話まで。
レオナルトが話して、フーゴが聞く。ほとんどそれだけだが、それがとても楽しい。
普段なら帰る時間を過ぎても、フーゴはレオナルトの話を聞き続ける。その話は、フーゴに城壁の外を吹く草原の風を感じさせたような気がした。




