味と風(後篇)
それは間違いなく、美味い。
「それを一人前……いや、二人前。それと、トリアエズナマを」
「はいよ、トリアエズナマ!」
注文を受けるリオンティーヌは今日も活き活きとしている。
トリアエズナマ、というのはこのラガーの本当の名前ではない。
そのことはシノブとタイショー、それにハンスも何回も教えてくれたのだが、今ではすっかりと定着しているし、慣れてしまった。
居酒屋ノブに行ったら、トリアエズナマ。
習慣のようなものだから、今更別の名前で呼ぶのは難しい。
カラカラカラカラカラ……
揚げたてを出すために、フライパンで一人前ずつ揚げ焼きにするようだ。
油にニンニクを入れているのか、力強い香りがカウンターまで漂ってくる。
止めどなく溢れてくる涎を堪えなければならない。
「お待たせしました!」
料理とジョッキをエーファが運んでくる。
逸る気持ちを抑えきれず、カラッと揚がったペリメニに齧り付いた。
パリッ
ザクリとした皮の中から、肉汁がじわりと溢れてくる。
揚げ油に使っていたニンニクのガツンとした味が後から追いかけてきた。
そこへ、よく冷えたトリアエズナマを、ぐいっと呷る。
グビ、グビ、グビ……
「ぷはぁ」
ラガーの苦味が揚げペリメニの味に、合う。
普段はこんな風に豪快に飲むことはないが、今日はなんだか気分がいい。
口元を拭うと、また次のペリメニを口に運んだ。
ザクリ、グビリ、グビリ、ザクリ、ザクリ……
「兄さんが気に入ってくれたみたいでよかった」
今日の揚げペリメニはハンスが考案したものだ。以前もメニューに載ったことがあるが、細かな改良の後が窺える。
「今日のもよかった。特に揚げ油がいいね」
指摘すると、ハンスが照れくさそうに頭を掻いた。それを見るタイショーは何も口にしないが、視線は優しさに満ちている。弟は、本当にいい師匠に恵まれた。
職人として生きていく上で、はじめにどんな師匠と出会うかはとても大きな意味を持つ。
フーゴのように父がギルドマスターというのは、極めて稀な例だ。
ほとんどの場合、親が子供の手に職を付けさせるために、どこかの親方に徒弟として弟子入りをさせる形で師弟関係がはじまる。
まだ幼い本人に選ぶ余地はないから、天に運を任せるしかない。
腕のいい職人が教えることも得意だとは限らないし、逆にあまり名は知られていなくても教えることは滅法上手い職人というのも世の中には存在する。
ローレンツやタイショーは、どちらも優れているから、類い稀な例外ということだ。
こういう師匠を、衛兵をしながら自分で見つけ出したのだから、ハンスは大した弟だと思う。
「あ、そうだ」
シノブがぱんと手を合わせた。
「例の試作品、お兄さんにも食べて貰ったら?」
ああ、それはいい、とタイショーも頷く。
「試作品?」
「まだお客さんに出すにはちょっと不安なんだけど、いろいろ試してみててね。もし、兄さんさえよかったら……」
自信なさげに、それでも期待の入り混じった表情のハンスが上目遣いに尋ねてきた。
いくらフーゴが周囲から朴念仁と思われているとしても、ここで弟の頼みを断るはずがない。
「もちろん。是非食べさせて欲しいな」
返事をすると、ハンスが飛び切りの笑顔で頷いた。こういう表情を見せられると、こちらまで嬉しくなってしまう。
じうぅぅ……
フライパンを熱し、焼きはじめたのは、これもペリメニだ。
「中身が違うの?」
ジョッキに口を付けながら尋ねると、タイショーが代わりに口を開いた。
「店で出しているのは豚肉ですが、ハンスの試作品は、別の肉なんです」
肉が変われば、一緒に入れる香味野菜も変わる。ハンスの試行錯誤の壁はここにあるらしい。
ペリメニを並べたフライパンに少量の湯を差し、蓋をする。蒸し焼きだ。
その所作の一つ一つが流れるようで、ハンスが研鑽を積んでいることが見て取れる。
硝子づくりも同じだ。
同じ動作に見えて、毎回違う。一つ一つの動きに意味があり、素人には分からない違いがある。
真っ直ぐにフライパンを見つめるハンスの表情に、一瞬、父が重なって見えた。
硝子職人と、料理人。
違う道を志していても、一意専心して作品に取り組んでいる時には、同じ顔をする。
自分もそうなのだろうか。誰かに聞いてみたい気もするし、知りたくないという気もする。
「お待たせしました!」
ハンスの焼き上げたペリメニが、皿に盛られる。
食べる前に、ハシで持って目の前に持ってくるが、普通のペリメニと変わらない。
パクリ。
草原だ。
一口食べた瞬間、頭の中に緑の草が地平線まで続く草原が広がった。
「羊……」
豚肉と比べると、羊の肉は臭い。
その匂いの強さを香草と香料とで上手く味わいに活かしている。
グビリ、グビリ、グビリ。
パクリ。
グビリ。
無心で食べ、飲んだ。
幼い頃、ローレンツとハンスとともに旅をした、遥か東の草原。
その草の青い匂いまでが、鼻腔に確かな記憶となって蘇る。
「兄、さん……?」
恐る恐る、といった風にハンスが顔を覗き込んできた。
「美味いよ、ハンス。美味い」
ペリメニを食べながら、フーゴは、いつかの風の音を聞いていた。




