ホルストと面談(後篇)
「そう言えば市参事会は、工事の妨害についてはどう思っているんですか?」
揚げたてのワカドリノカラアゲを齧りながら、逆に尋ねる。
もちろん、これもゲーアノートの奢りだ。
この店のワカドリノカラアゲは、美味い。
特にラガーとの相性が、最高なのだ。
古都の酒場には同じような料理を出すところは何軒もある。
どこの店がはじめたのかホルストには分からないが、各々が揚げ方や味付けに創意工夫を凝らしていて、なかなか面白い。
気になって食べ比べてみた限りでは、居酒屋ノブのカラアゲがホルストの口に一番合った。
「妨害か」
ううむ、とゲーアノートは唸った。
工事の妨害は、今の古都で運河に関わる人間にとって頭の痛い問題だ。
誰かが、妨害を煽動している。
「仲間の中にも、酒を奢られて妨害を持ち掛けられた奴がいるんですよ」
もちろんホルストの仲間は断ったが、提示された報酬はそれなりだったというし、受けてしまう労働者もいるだろう。
誰もが清く正しく生きていけるほど、帝国の冬は暖かくはない。
「妨害するように声をかけて回っている人間も雇われでね。市参事会も衛兵隊も、尻尾をつかみかねているところだ」
裏で糸を引いている人間が分からないのは、敵が多過ぎるからだ。
運河が通れば通行税が取れなくなる貴族、河賊、運河に投資している大商会に恨みを持つ人間、運河を後援するサクヌッセンブルク侯爵家と険悪な諸侯と数え上げれば限りがない。
〈鼠の騎士〉なんていう奴が動いているという噂もある。
元傭兵のホルストとしては、なるべく関わり合いになりたくない手合いだ。
自分が被った不利益は、必ず自分で取り返す。
そういう主義を掲げてあちこちで厄介ごとを起こしている貴族だ。
自力救済は結構だが、難癖を付けて多額の賠償金を巻き上げるようなことをする。
〈鼠の騎士〉なんて不名誉な仇名を奉られているのも、そういう振る舞いを憎まれてのことだ。
彼に比べれば、徴税請負人なんて可愛らしいものだとホルストは思う。
「市参事会にできるのは、君のような若者に古都を好きになってもらうことくらいだろうな」
苦々しげに呟くゲーアノートの前に、真っ赤な麺が運ばれてきた。
「ゲーアノートさん、お待たせしました。ナポリタンです」
シノブの運んできた皿を目にすると、徴税請負人の顔が綻ぶ。
「うちの養女もこれが好物でね」
「娘さんがいらっしゃるんですか」
うん、まぁ、正式な養女というわけではないんだが。
養女、と口にしたとき、ゲーアノートの頬が緩んだのをホルストは見逃さなかった。
きっと、溺愛しているのだろう。
ホルストはさっと手を挙げてリオンティーヌを招くと、ワインを二人前追加で頼んだ。
「さ、娘さんに乾杯しましょう」
「ん。あ、ああ、そうだな」
勢いに押し切られるようにしてゲーアノートもグラスを手にする。
「乾杯!」
「乾杯!」
傭兵時代に学んだことだ。強面の人間の方が、子供のことになると弱い。
予想通り、ワイン片手にナポリタンを食べるゲーアノートの雰囲気は、一気に柔らかくなった。
「なるほどねぇ、捨て子を保護した、と」
「そうだ、だが、捨て子のままでいるよりは、古都で暮らした方が絶対にいい。その筈だ」
機嫌のよくなった徴税請負人は、驚くほど饒舌になる。
普段は見せない顔だというのは、居酒屋の店員たちの顔を見ればよく分かった。
「とにかく、素直でいい子なんだよ。ヘンリエッタは」
力説するゲーアノートに、ホルストはうんうんと相槌を打ってやる。
相槌を打ちながら、酒と肴も追加した。
鰯にオオバというハーブとチーズを挟んで揚げたものが、特に美味い。
サクッと揚がった鰯の旨味とオオバがさっぱりとさせたところに、とろりとチーズが追い打ちをかける。ツミレ汁とはまた違った鰯の美味さを堪能できる逸品だ。
複雑な味だが、不思議としっかりまとまっている。
これだけでラガーがいくらでも飲めそうだ。
ホルストに何か企みがあって、ゲーアノートを酔わせたわけではない。どうせ酒を飲むのなら、相手も気持ちよく酔ってくれるのが好きなのだ。
片眼鏡の徴税請負人は、ぽつぽつと問わず語りに養女のことを口にする。
ヘンリエッタという娘が素直だということ。
とても行儀がいいこと。
そして、可愛らしいこと。
話はあちこちへ飛ぶが、ヘンリエッタについてとてもよく見ていることはよく分かる。
今は知り合いの薬師に預けているというが、一緒に食事をするのを楽しみにしているようだ。
「……ただ、一つだけ、気になっていることがあってな」
「なんですか?」
「ヘンリエッタに、税のことを尋ねられた」
へぇと応じながら、随分ませたお嬢さんだな、とホルストは思う。
話から想像するヘンリエッタの年頃の少女が、税の話をするなんてよっぽどだ。
その時分のホルストは野山で妖精を探すのに一所懸命になっていたことしか憶えていない。
「いいんじゃないですか。徴税請負人も立派な仕事ですよ」
人に嫌われる仕事だが、誰かがやらなければならない。
市に払っている税金がなければ、今こうやってゲーアノートにホルストが酒を奢って貰っていることそのものがなくなるのだ。
運河が実際に完成するのかどうか、完成するにしても何年かかるのかホルストには分からない。
しかし、そういう大きなことをするのも、税金だ。
一方的に毟り取られるだけなら困るが、自分だけでは絶対にできないことをやってくれるなら、まぁ仕方ないかと思える。
ゲーアノートみたいな徴税請負人がいなければ、そういう大きなことはできないだろう。
まぁ、私腹を肥やす類いの奴は許しがたいとホルストは思っているけれども、目の前に座るこの男がそうではないことは、少し酒を酌み交わせば分かることだ。
「ああ、そうだな。人に恥じることはしていない。そう思う」
だが、と言葉を続けようとしているようにホルストには見えた。
その言葉を、ゲーアノートはグラスの赤ワインでぐっと飲み干す。
「難しいものだな、人の親をやるというのは」
「難しいものだと思いますよ。大人をやるだけでも大変なのに」
そこからは、いろいろな話になった。
ホルストは海を見たことがないということ。
鰯も、今日はじめて食べたということ。
ツミレ汁は美味しいから、ヘンリエッタにも食べさせてやりたいということ。
運河ができれば、いつでも魚が食べられるだろうということ。
こんな話で聞き取り調査になるのかホルストには不安だったが、会計はちゃんとゲーアノートが持ってくれた。
いい街じゃないか。
小雪の止んだ夜の街をふらふらと歩きながら、ホルストは笑った。
美味い酒が飲めて、美味い肴がある。
今のところ仕事には困らないし、あと、ついでに娘想いの親もいる。
こういう街になら、骨を埋めてもいいな。
しかし。
今日の面談で一つだけ心残りがホルストにはあった。
「……ゲーアノートの旦那が食べてたあのナポリタンっていうの、どんな味なのかな?」
あれだけ美味そうに食べていたのだ。
きっと、天地がひっくり返るくらい美味いに違いない。
しっかり働いてお金ができたら、またこの店に食べに来よう。
そんなことを考えながら歩いてみると、夜の街がいつもよりも少し綺麗に見えた。




