ホルストと面談(前篇)
鰯のツミレ汁を啜りながら、ホルストは改めて隣の客を見た。
片眼鏡をかけて真面目くさった顔をした男。
名を、ゲーアノートという。
市参事会から徴税を請け負っている男と、日雇い労働者に過ぎない自分が酒を酌み交わすのは、どうにも妙だ。
一般的に、ホルストのような日雇い労働者は徴税請負人のことが好きではない。
理由は説明するまでもないが、税金なんて真面目に払ったら食べていけないからだ。
但し、ほとんどの日雇い労働者は税金を払っていない。
払わなくていいのではなく、単純に徴税請負人に認識されていないからだ。
家を借りて住所が定まれば請負人に訪問されることはあるが、宿から宿の日雇い労働者を追いかけてくるほどの労力を払われることはない。
もっとも、徴税請負人から目を付けられるほど稼いでいる日雇い労働者はほとんどいないから、当然と言えば当然だろう。
だが、今日のホルストとゲーアノートは、税を毟られる者と毟られる者の関係ではなかった。
カウンターの隣の席に座り、二人してオトーシのツミレ汁を啜る。
ズズ……
ズズズ……
生姜の効いた団子が、外仕事で冷えた身体に堪らない。
小ぶりな椀に、団子が二個。
これだけで、ほっと一息つける。
ちょうど足りるか足りないかという量で、思わず追加を頼みたくなってしまう味だ。
「他に何か、仕事上の不都合は?」
ゲーアノートが声をかけてきたのは、日雇い労働者の業務上の不満を聞き取るためだ。
誰に聞くかを考えていたところ、ちょうどいい具合にホルストが捕まった。
酒を奢って貰えるなら、ということで取材に応じたのだ。
徴税請負人としてではなく、市参事会の一員としてのことらしい。
食事のこと、寝泊まりするところのこと、作業用の道具のこと、その外のこと。
はじめこそ尋問のようだと思ったが、聞いてくれるだけでもありがたい。
たまたま居酒屋の隣の席になったから尋ねている、というわけではなく、調査のために何人もの日雇い労働者に声をかけている、とゲーアノートは言った。
「気になるのはそんなところですかね。まぁ、思ったよりも金払いはいいですよ」
ツミレ汁で温まった腹にラガーを流し込みながら、相槌を打つ。
市参事会の態度に、ホルストはちょっと感心していた。
今日の支払いは、全部ゲーアノートが持ってくれるという。
徴税請負人というだけで警戒していたのを少し申し訳ない気分になってしまった。
どうやらこの古都の人々は、流れ者の労働者たちが餓えたり夜露に濡れたりしないかと、心配しているようなのだ。
それも、本気で。
元傭兵のホルストは、悲惨な労働条件で働くことに慣れている。
不味い食事、劣悪な寝床、いつも遅れがちで少ない給金。
そんな傭兵生活と比べれば、ここでの暮らしは双月と島鯨だ。
古都も地上の楽園というではないから毎日宴会でもてなしてくれるということはないが、少なくとも人間として日雇い労働者を扱おうという意気は感じられる。
その一端が、この聞き取りだ。
傭兵時代なら文句があれば暴れて言うことを聞かせるしかなかった。
あ、そうか、とホルストは気付く。
暴れられては困るから、ということもあるのだ。
確かにホルストのような元傭兵も多いから、血の気の多い人間が不満を持つのは避けたいという想いはあるだろう。
街の中に流れ者が多く住んでいるという状況では、いろいろ考える必要があるに違いない。
「はじめる前からある程度は予測していたが、取り掛かって改めて分かったのは運河の浚渫というのは相当の大工事でね」
パリパリキャベツ、という肴を食べながらのゲーアノートの話は面白い。
「運河を通すというだけなら何とかなる。しかし、工事の全ての工程を完了させるまでには何年もかかることになるはずだ」
葦の生い茂る沼沢地を浚渫して、運河を通す。
船が通る航路を何とかするだけなら、来年にもなんとかなるだろう。
だが、複数の大商会も絡んでの話は際限なく大きくなっているようだ。
大工のギルドや石工ギルド、木工ギルドは仕事の規模が大き過ぎて、連日市参事会議長の部屋へ通い詰めだという。
実際に工事に携わっているホルストにしても、にわかには信じられない規模の工事だ。
周りから土砂が流れ込まないように護岸もしなければならないし、小舟を曳くための土手も整備しなければならない。船着き場も拡張する必要があるだろうし、運河を通せば街そのものを拡げることもあるだろうという意見も聞いたことがある。
冬の間は工事の手が止まることを考えれば、いずれにしても完成には何年もかかるだろう。
「つまり、労働者は流れ者として扱うよりも、古都の一市民として扱うべきだろうというのが私や市参事会の一部の考え方、というわけだ」
「それはありがたいですね」
故郷のヴァイスシュタットを出たのは食うためだが、生涯を根無し草で過ごすのはつらい。
腰を落ち着けて生活することのできる街があればありがたいし、それが古都のような大きな街であれば言うことなしだ。
ホルストだけでなく、そういう人間は多い。
流れ者になりたくて流れ者になる人間は、それほど多くないものだ。
畑を継げない農民の次男坊や三男坊、ホルストのような元傭兵、住んでいた村を追われた罪人や貴族の庶子に聖職者の隠し子など、日雇い労働者の出自は多種多様。
共通しているのは、「帰れ」と言われても帰る故郷などないということくらいのものだ。
故郷にいられなくなったとしても、どこかに終の棲家を得たいというのは多くの人間にとって、自然な感情だろう。
ホルストにしたところで、故郷のヴァイスシュタットには帰りにくい。
精霊信仰の色濃く残る、と言えば聞こえはいいが、要するに恐ろしく辺鄙な田舎だ。
領主が代替わりして子供みたいな貴族夫婦が治める領地の、端の端。
食い扶持を稼げる仕事もなさそうだと飛び出したホルストにとって、古都はなかなかに過ごしやすい場所だ。
叶うならばここの市民になりたいし、所帯を持って長く住みたい。
ゲーアノートの言葉からすると、少なくともホルスト達をすぐに追い出したいという風ではないのはありがたかった。
「そういうわけで、不満があれば聞かせてもらいたい、というわけだ」
不満だけでなく、言いたいことは何でも聞かせて欲しいと言いながら片眼鏡を上げる。
ここまで言われるとホルストとしても嬉しくなった。
どうせなら、逆にこちらから聞いてみようという気も湧いてくる。
工事に携わる者として、懸案がないでもない。
「そう言えば市参事会は、工事の妨害についてはどう思っているんですか?」




