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異世界居酒屋「のぶ」  作者: 蝉川夏哉/逢坂十七年蝉


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204/280

〈銀の虹の姫君〉(終)

 それは、舞踏だった。

 エーファの眼前で、一人と一人が踊っている。


 一人の手には、両手剣。

 もう一人の手には、長柄の戦斧。

〈四翼の獅子〉亭の玄関ホールを舞台に、アルヌと〈銀の虹〉の髪を持つ姫君が舞い踊る。

 金属と金属のぶつかり合う音楽を奏でながら、一人と一人の目は真剣そのものだ。


「オーサ、何故掠奪などと」


 勢いの乗った戦斧の一撃を受け流しながら、アルヌが姫に問いかける。


「私は、待っていた」


 斧の連撃がアルヌを襲うのを、エーファは扉の隙間から見ていることしかできない。


「ずっと、ずっと、ずっと、待っていた!」


 連撃に次ぐ連撃。

 戦斧の切っ先は円弧の軌跡を描き、精確にアルヌを狙い続ける。


 しかし一方で、アルヌの剣捌きもエーファの目には素晴らしく映った。

 時には受け流し、時には払い除け、必中の斧先を躱しながら、姫との位置を入れ替える。


「雪降る夜も、短い春にも、地吹雪の日も、白夜の続く季節にだって!」


 吟遊詩人の歌う世界のようだ。

 歌いながら舞い、舞いながら武器を振るう。

 干戈を交えながらも、その二人の息は演舞のようにぴったりと合っている。

 一人と一人は、宴席の用意が進む大広間、つまりエーファの方へ徐々に近付いてきた。


「貴方が、迎えに来るのを、ずっと、ずっと待っていたのに!」


 裂帛の気合を乗せた一撃に、アルヌの剣が、砕ける。


 くっ、とアルヌが後ろに飛び退り、背で扉を押し開けて宴席の広場に飛び込んで来た。

 広場は、タイショーとリュービクが丹念に準備した宴席の支度が拡げられている。


 それぞれの席には、普通の皿の代わりに舟型の皿が用意されていた。

 タイショーによれば、これはフナモリというのだという。

 本来はサシミをたっぷり盛り付けるという話だが、今日は〈四翼の獅子〉亭と居酒屋ノブの自慢の料理が山盛りに盛られている。ノブからはお馴染みのオデンなども器に盛り付けられていた。


 広間で最も目を引くのは、中央に設えられた一隻の舟だ。

 食器として用意された模型のような大きさではなく、実際に人の乗る大きさの本物の舟が、宴会場の中央に鎮座している。


 運河を上り下りするために専用に設計された、新型の平底舟だ。

 河辺から騾馬が曳きやすいように工夫されており、荷物も人も、これまでの舟より多く運ぶことができる。


 エーファは、その舟の陰にさっと身を隠した。

 宴の準備をしている宿の従業員たちも、慌てて物陰に避難する。

 ラインホルトが新しく建てた造船所から運び込まれた、真新しい平底の舟。


 十五人は乗せられるという大型の舟を運ぶように依頼したのは、タイショーだった。

 ここに、宴の主賓が座る。

 エーファの持っていた舟の玩具を見て、借り受けたいとラインホルトに頼んだのだ。


 頼まれたラインホルトは一も二もなく承知した。

 小型の舟の模型を職工に頼んでたくさん用意してくれたのも、ラインホルトだ。

 リュービクからの法外な謝礼については、水運ギルドの長として正式に辞退している。


 ラインホルトの目的は、舟を見せることだ。

 こういうことは噂が肝心なのだという。

 誰かの口の端に宴のことが上る度、ラインホルトの造船所のことを知るに違いない。


 剣の柄しかないアルヌは防戦一方で、舟の傍に追い詰められる。


「どうした、婿殿、何も答えないのか」


 横真一文字の一閃を、アルヌは屈んで避けると、手近にあった燭台を槍のように構え直した。


「いつも君を想っていた!」


 攻守を入れ替えて、一人と一人の円舞は続く。


「春の夜明けも、夏の夜も、秋の夕暮れも、雪降る冬の朝にだって!」

「それなら、どうして!」


 斧と三つ又の燭台が交差し、火花が散るのが、エーファには見えた。

 一人と一人は呼吸を合わせたように跳躍し、舟の上へと踊りの舞台を移す。


「オーサ、君に相応しい男になりたかった! 迎えに行くのに、相応しい男に!」


 その言葉に、姫君の斧が一瞬、怯んだ。


「“貴族以外なら吟遊詩人と結婚したい”と君が手紙に書いたのを憶えているか」


 燭台で切り結ぶアルヌに、オーサは答えない。

 だが、その瞳は明らかに動揺していた。心当たりがあるのだろう。


「吟遊詩人を目指すのも、必死だった。二年費やして、自分には才能がないということが分かったけれど、無駄ではなかったと思っている」


 アルヌは、クローヴィンケルとの出会いのことを言っている。

 いや、それだけではない。

 多くの人との出会いがあり、成長があって、アルヌは侯爵の位を襲爵した。


「そんな、冗談を真に受けるなんて」

「君にとっては冗談でも、私にとっては、大切な君の言葉だ」


 エーファは知っている。

 アルヌがどれだけ必死に侯爵として働いているかを。

 どれだけ領民に愛されているのかも。

 姫君がもう一度、斧を振り上げる。


「貴方は侯爵を継いだ! もう立派な男のはずだ! それならば!」


 次の瞬間。

 アルヌは一気に間合いを詰め、斧を振りかぶるオーサ姫を抱きすくめた。


「だから今、君を迎えに来た」


 ゆっくりと口付けて、アルヌは言葉を続けた。


「遅くなったことは、心の底から、謝る。これからの人生で一番若い今日この日に、君を妻に迎えると誓いたい」


 愛の、告白。

〈銀の虹〉の髪の姫君が、俯き、顔を赤くして、「ずるい」と呟くのを、エーファは顔を隠した指と指の合間から見つめていた。

 春を求めて旅立った一族の末裔が、冬の土地に残ることを選んだ一族の末裔に問いかける。


「オーサ、よければ返事を聞かせて欲しい」


 返事は、一瞬だった。

 アルヌの問いに、オーサは熱烈な接吻で応じる。


「答えはもう決まっているって、ずっと手紙に書いていたはず」


 オーサの答えに、アルヌは満足げに頷いた。


「生まれる前から、ずっと」


 アルヌの答えに、オーサは満足げに付け足す。


「生まれるずっとずっと前から、ずっと」


 一人と一人は、二人になり、その影が一つになった。


 自然と手が動き、エーファは二人の未来に拍手を送る。

 物陰に隠れていた従業員たちも、様子を窺いに来た厨房の人たちも、拍手に加わった。

 タイショーも、シノブも、ハンスも、リュービクも。

 パトリツィアやシモンたちも、拍手の列に加わっていた。

 河賊も、白髪の貴族も、その波に加わる。

 そしてもちろん、イーサクも。


 二人を祝福する歓呼と拍手は、いつまでもいつまでも、鳴りやまなかった。


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― 新着の感想 ―
まさかのロックシンガー目指すのは好きな子がロックシンガー好きだからみたいな理由……(笑) これ、話がまとまってもまとまらなくても吟遊詩人に語り継がれる一場面だから、上手くまとまって本当に良かった! ア…
吟遊詩人を目指したのは、単に詩が好きだからってだけじゃなかったんだ!
いやはや物騒なプロポーズでしたな
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