〈銀の虹の姫君〉(終)
それは、舞踏だった。
エーファの眼前で、一人と一人が踊っている。
一人の手には、両手剣。
もう一人の手には、長柄の戦斧。
〈四翼の獅子〉亭の玄関ホールを舞台に、アルヌと〈銀の虹〉の髪を持つ姫君が舞い踊る。
金属と金属のぶつかり合う音楽を奏でながら、一人と一人の目は真剣そのものだ。
「オーサ、何故掠奪などと」
勢いの乗った戦斧の一撃を受け流しながら、アルヌが姫に問いかける。
「私は、待っていた」
斧の連撃がアルヌを襲うのを、エーファは扉の隙間から見ていることしかできない。
「ずっと、ずっと、ずっと、待っていた!」
連撃に次ぐ連撃。
戦斧の切っ先は円弧の軌跡を描き、精確にアルヌを狙い続ける。
しかし一方で、アルヌの剣捌きもエーファの目には素晴らしく映った。
時には受け流し、時には払い除け、必中の斧先を躱しながら、姫との位置を入れ替える。
「雪降る夜も、短い春にも、地吹雪の日も、白夜の続く季節にだって!」
吟遊詩人の歌う世界のようだ。
歌いながら舞い、舞いながら武器を振るう。
干戈を交えながらも、その二人の息は演舞のようにぴったりと合っている。
一人と一人は、宴席の用意が進む大広間、つまりエーファの方へ徐々に近付いてきた。
「貴方が、迎えに来るのを、ずっと、ずっと待っていたのに!」
裂帛の気合を乗せた一撃に、アルヌの剣が、砕ける。
くっ、とアルヌが後ろに飛び退り、背で扉を押し開けて宴席の広場に飛び込んで来た。
広場は、タイショーとリュービクが丹念に準備した宴席の支度が拡げられている。
それぞれの席には、普通の皿の代わりに舟型の皿が用意されていた。
タイショーによれば、これはフナモリというのだという。
本来はサシミをたっぷり盛り付けるという話だが、今日は〈四翼の獅子〉亭と居酒屋ノブの自慢の料理が山盛りに盛られている。ノブからはお馴染みのオデンなども器に盛り付けられていた。
広間で最も目を引くのは、中央に設えられた一隻の舟だ。
食器として用意された模型のような大きさではなく、実際に人の乗る大きさの本物の舟が、宴会場の中央に鎮座している。
運河を上り下りするために専用に設計された、新型の平底舟だ。
河辺から騾馬が曳きやすいように工夫されており、荷物も人も、これまでの舟より多く運ぶことができる。
エーファは、その舟の陰にさっと身を隠した。
宴の準備をしている宿の従業員たちも、慌てて物陰に避難する。
ラインホルトが新しく建てた造船所から運び込まれた、真新しい平底の舟。
十五人は乗せられるという大型の舟を運ぶように依頼したのは、タイショーだった。
ここに、宴の主賓が座る。
エーファの持っていた舟の玩具を見て、借り受けたいとラインホルトに頼んだのだ。
頼まれたラインホルトは一も二もなく承知した。
小型の舟の模型を職工に頼んでたくさん用意してくれたのも、ラインホルトだ。
リュービクからの法外な謝礼については、水運ギルドの長として正式に辞退している。
ラインホルトの目的は、舟を見せることだ。
こういうことは噂が肝心なのだという。
誰かの口の端に宴のことが上る度、ラインホルトの造船所のことを知るに違いない。
剣の柄しかないアルヌは防戦一方で、舟の傍に追い詰められる。
「どうした、婿殿、何も答えないのか」
横真一文字の一閃を、アルヌは屈んで避けると、手近にあった燭台を槍のように構え直した。
「いつも君を想っていた!」
攻守を入れ替えて、一人と一人の円舞は続く。
「春の夜明けも、夏の夜も、秋の夕暮れも、雪降る冬の朝にだって!」
「それなら、どうして!」
斧と三つ又の燭台が交差し、火花が散るのが、エーファには見えた。
一人と一人は呼吸を合わせたように跳躍し、舟の上へと踊りの舞台を移す。
「オーサ、君に相応しい男になりたかった! 迎えに行くのに、相応しい男に!」
その言葉に、姫君の斧が一瞬、怯んだ。
「“貴族以外なら吟遊詩人と結婚したい”と君が手紙に書いたのを憶えているか」
燭台で切り結ぶアルヌに、オーサは答えない。
だが、その瞳は明らかに動揺していた。心当たりがあるのだろう。
「吟遊詩人を目指すのも、必死だった。二年費やして、自分には才能がないということが分かったけれど、無駄ではなかったと思っている」
アルヌは、クローヴィンケルとの出会いのことを言っている。
いや、それだけではない。
多くの人との出会いがあり、成長があって、アルヌは侯爵の位を襲爵した。
「そんな、冗談を真に受けるなんて」
「君にとっては冗談でも、私にとっては、大切な君の言葉だ」
エーファは知っている。
アルヌがどれだけ必死に侯爵として働いているかを。
どれだけ領民に愛されているのかも。
姫君がもう一度、斧を振り上げる。
「貴方は侯爵を継いだ! もう立派な男のはずだ! それならば!」
次の瞬間。
アルヌは一気に間合いを詰め、斧を振りかぶるオーサ姫を抱きすくめた。
「だから今、君を迎えに来た」
ゆっくりと口付けて、アルヌは言葉を続けた。
「遅くなったことは、心の底から、謝る。これからの人生で一番若い今日この日に、君を妻に迎えると誓いたい」
愛の、告白。
〈銀の虹〉の髪の姫君が、俯き、顔を赤くして、「ずるい」と呟くのを、エーファは顔を隠した指と指の合間から見つめていた。
春を求めて旅立った一族の末裔が、冬の土地に残ることを選んだ一族の末裔に問いかける。
「オーサ、よければ返事を聞かせて欲しい」
返事は、一瞬だった。
アルヌの問いに、オーサは熱烈な接吻で応じる。
「答えはもう決まっているって、ずっと手紙に書いていたはず」
オーサの答えに、アルヌは満足げに頷いた。
「生まれる前から、ずっと」
アルヌの答えに、オーサは満足げに付け足す。
「生まれるずっとずっと前から、ずっと」
一人と一人は、二人になり、その影が一つになった。
自然と手が動き、エーファは二人の未来に拍手を送る。
物陰に隠れていた従業員たちも、様子を窺いに来た厨房の人たちも、拍手に加わった。
タイショーも、シノブも、ハンスも、リュービクも。
パトリツィアやシモンたちも、拍手の列に加わっていた。
河賊も、白髪の貴族も、その波に加わる。
そしてもちろん、イーサクも。
二人を祝福する歓呼と拍手は、いつまでもいつまでも、鳴りやまなかった。




