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異世界居酒屋「のぶ」  作者: 蝉川夏哉/逢坂十七年蝉


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金貸しの見る未来(後篇)

 「タイショー、テンプラを頼む。あと何か、美味いものを見繕って!」


 大貴族の当主としての箔が付いてきたのだろうか。

 アルヌの一言で店の空気が変わる。


 料理となれば、信之の腕の振るいどころだ。

 隣で下拵えをするハンスに視線を送ると、すぐに頷きを返してくる。


 ご註文は天ぷらと、その他いろいろ。

 場の雰囲気を和ませるためにも、美味しいものをお出ししたい。

 しのぶとエーファ、リオンティーヌも気合十分だ。


 下拵えの終わった食材を手際よく調理していく。

 見るからに食いしん坊といった風情のザムゾンは、調理の様子にも興味津々だ。


「まずは一品目。秋野菜の天ぷらです」


 最近ではきのこもあまりうるさく言われなくなったので、たっぷり使う。

 舞茸、椎茸、エリンギに、ハンスとリオンティーヌもお勧めの里芋の天ぷら。ごぼうと人参のかき揚げも忘れずに。


「ほほう、これは」

「美食家と名高いシルバーマンさんをお招きしたんだ。失望はさせませんよ」


 揚げたてのエリンギに齧り付き、アルヌが「あふっ」と声を漏らす。

 つられておずおずと舞茸に手を伸ばしたザムゾンも一口食べて目を丸くした。


「これは」


 サクサクとした食感の後に舞茸の豊かな香りが口の中から押し寄せる。

 仕入れから拘った信之も自信をもって出せる一品だ。


「さぁ、どんどん出ますよ」


 旬の銀杏を使った茶碗蒸し。


「このとろとろは溜まりませんな」


 米粉で揚げた川海老はハンスの考えた新メニューだ。


「サクサクとした食感がとても面白い」


 思わずエールが欲しくなりますな、とザムゾンもご満悦といったところだろうか。

 さて、次は何を出すか。

 今の旬と言えば、と考えたところで、ある食材に目が留まる。


「さぁ、鯖の塩焼きだよ脂がたっぷりのって美味いんだから」


 リオンティーヌがテーブルへ運ぶと、それまで楽しげに談笑を楽しみ微笑んでいたザムゾンの表情が俄かに曇った。


「アルヌ閣下、イーサクさん、これはどういうことですか?」

「どういう、とは?」


 イーサクが箸を置き、ザムゾンと向き合う。


「これは、海の魚、それも青魚だ。足が速いのは常識です」

「そうですね」とイーサク。

「貴方はそんなものを出す店に、商談相手を招いたということですか?」


 わなわなと震えるザムゾンに、エーファがあわあわとしているが、アルヌは泰然としている。


「まぁ、食べてみましょうよ」


 箸を器用に使って身を毟るアルヌにそう言われると、一介の銀行家に過ぎないザムゾンには断りようがない。

 手を付け、渋々といった表情で口に運び……


「……ふむん」


 目を閉じ、ゆっくりと味わうように噛み締める。

 そして、もう一口。

 ついでもう一口。


 渋々といった表情はどこへやら。

 竜の棲む洞窟で宝を探す子供のように、鯖の身をナイフとフォークで必死に切り分けるザムゾンの顔は、童心に帰ったかのようだ。


「ふむ、これは……いや、しかし……うむぅ」


 脂の乗った鯖を綺麗に骨だけにしてしまってから、ザムゾンは嘆息した。

 興味深げなアルヌの目の前で、ザムゾン・シルバーマンは腕を組んでうぅむと唸る。


 鯖の骨と、店の天井、それから革の書類鞄を三度、交互に見つめてから、敏腕銀行家は小さく肩を竦めた。

 赤ん坊のようにふくふくと膨らんだ指で器用に錠前を外し、一度は仕舞い込んだ羊皮紙をもう一度取り出してイーサクの目の前に出して見せる。


「イーサクさん、困りますね」

「困るというと、何がでしょうか」


 ザムゾンは右手で上から持った羊皮紙の裏を、左手の甲でぺしぺしと叩いた。


「融資の際に、運河に関する情報は可能な限り共有する、という条項を設けてあったと私は記憶しております」


 確かにそういう条項がありましたね、とイーサクが答える。


「今回の一件、重大な違反ですよ」


 と、言いますと? とイーサクが反問した。その表情は硬い。

 まさか今から何か無理難題を吹っかけてくるのだろうか。

 今後の融資が難しいというだけでも厳しいのに、今までの契約も反故にされるとなると、運河の計画全体に大きく支障を来たすことになる。


 ザムゾンは、両手で包み込みようにしてイーサクの手を握った。


「こんなに美味い魚を食べたのは、実に久しぶりです」


 頬を幸せそうに緩ませるザムゾンに、イーサクは「はぁ」としか答えられない。


「問題というのは、運河が無事に開通すれば、古都でも新鮮な魚を庶民が口にすることができる。この情報が共有されていないというのは、大問題だと申しているのです」


 書類を革の鞄へ仕舞い込みながら、ザムゾン・シルバーマンは銀行家の顔になった。


「聖王都の頭取や副頭取は私が責任を持って説き伏せてみせますよ。追加の融資、何とかしてみましょう」

「シルバーマンさん!」


 今度はイーサクがザムゾンの手を握り返した。

 良かった良かったと椅子の背に身体を預けるアルヌに、ザムゾンは人好きのする、茶目っ気のある笑顔を向ける。


「アルヌ閣下、方法は尋ねませんよ。今回どうやってこの魚の鮮度を保ったまま古都の居酒屋まで運んで来たのか」

「そうして頂けると助かるな。銀行家にかかると、魔法の種も単なる下らない金儲けの材料にされてしまうんだから」

「まったくです。そこが銀行家の辛いところですな。さて、腕のよい料理人さん、きっとまだまだ皿の貯えは十分にあるのでしょう。私の胃袋の方にはまだまだ余裕がありますからね。どんどん持って来てください」


 その言葉にアルヌとイーサク、リオンティーヌが爆笑した。

 お盆に口元を隠して肩口を震わせているところをみると、しのぶにも受けたのだろう。

 魚が好物と分かれば、こちらも献立を組み立てやすい。

 うおぜを煮付けにしていると、エーファが耳打ちするように尋ねてきた。


「どうしてあのザムゾンさんはサバを食べて融資を考え直したんですかね?」


 少女の質問を耳聡く聞きつけ、ザムゾンがふくよかな上半身を椅子に座ったままぐるりとこちらへ向ける。


未来(ツークンフト)、ですよ、フロイライン」

「……未来、ですか?」


 そう、未来。とザムゾンは舌の上で転がすようにもう一度呟く。


「“古都へ運河を通す”とそれだけ言っても、上の人間には何も分からない。人々もきっとそうでしょう。それではお金は動かせない。残念ながら世の中はそういう風にできています。ですがどうでしょう。“新鮮な魚が食べられる”という分かりやすい未来があれば」


 運河を掘ることにお金は出せなくても、魚を食べられる未来になら出してもいいという人間はきっとたくさん見つかるはずですよ。

 新しく運ばれてきた太刀魚に両手を擦り合わせて舌なめずりしながら続けるザムゾンの横顔から、金を貸すということに誇りを持っていることがありありと窺えた。


 いつの間にやらザムゾンが一杯だけとエールを註文し、商談はなし崩しに宴席へと流れ込む。

 後からやって来た水運ギルドのラインホルトとゴドハルトも何故か加わっての酒席は、昼営業が終わってからも続き、本営業の時間へと雪崩れ込むのだった。


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