晩餐会(後篇)
「……ほう」
ロンバウトの口から、歓声が漏れた。
食前酒の後に供されたのは、晩生瓜と生のハムを合わせたものだ。
晩生瓜は甘みの少ない種だが、生ハムの塩気と組み合わせると、これがなかなかどうして実に巧く引き立て合う。美味い。
〈四翼の獅子〉亭で一番広いという会場は、煌びやかに飾り立てられている。
少し前には先帝陛下が臨席した北方三領邦との外交交渉も行われたという部屋には、多くのテーブルが並べられ、賓客たちが飲み物と前菜を楽しんでいた。
明確に座席が決まっているわけではない。
商人も貴族も、意中の相手を探しては渡り鳥のように席を立つ。
行儀の悪いことこの上ないが、一方で仕方のないことだろうとも思う。
これだけの数の大商人が一堂に会する機会など、滅多にないことなのだ。少しでも多くの商人と顔を合わせ、言葉を交わし、誼を結びたいと考えるのは無理からぬことだろう。
逆に言えば、本当はもっと顔を合わせて話し合うべきことがあるということでもあった。
本来であればロンバウトも顔をつなぎたい相手がいないではないが、主催者ということでなかなか自由に身動きできる立場ではない。
晩生瓜と生ハムの残りを、頬張る。
やはり、美味い。
もう一口食べたいな、と思ったところですかさず次の皿が出てくる。
白身魚と香草を使った一口大の前菜に使われているのは、バッセという魚だ。
これは古都の運河に暮らす雑魚で、今の時期が一番味がよい。普段は大して気にも留められない庶民の味も、装いを改めるとまるで着飾った艶やかな貴婦人のように上品な味わいとなる。
これが〈四翼の獅子〉か、とロンバウトは舌を巻いた。
列席の商人たちも上機嫌で出される前菜の数々に舌鼓を打っている。
しかし、宴が盛り上がれば盛り上がるほど、ロンバウトの胃は締め付けられるようだ。
この晩餐会が、何のために開かれたものなのか。父の差し金だということまでは分かったが、それがロンバウトには分からない。
いったい何のためにこれだけ大仰な舞台を用意したというのだろうか。
まさか息子をからかうためというわけでもないだろう。
エールで喉を潤していると、ロンバウトの隣の席に、ぬぅっと巨漢が腰を下ろした。
ゼーゼマンだ。
「やぁ、ビッセリンク殿。飲んでいるかね」
「頂いております、ゼーゼマン殿」
それは結構、とゼーゼマンはジョッキの中身を干した。
給仕が運んできた二卵鶏のレバーペーストをパンに塗りたくると、豪快に口へ放り込む。
健啖であることは商人の条件の一つと教わっていたが、ゼーゼマンもその例に漏れないようだ。
「それでな、ビッセリンク殿。一つ相談したいことがあるのだが」
「私に、ですか?」
尋ね返すとゼーゼマンは呆れた顔をしてみせる。
「当り前だ。引退を宣言したお前さんの御父君でも、出来こそいいが気風と覇気に欠ける弟さんたちでもなく、ロンバウト・ビッセリンクに相談がある」
山賊のようなゼーゼマンにそう凄まれると、喜んでいいものか悪いものか、一瞬判断に迷った。
しかしこの真剣な表情は、世辞や酔狂ではないらしい。
「私にできることでしたら、なんなりと」
返事を聞いてゼーゼマンは耳まで口が裂けたような笑みを浮かべ、丸太みたいな腕でロンバウトの首を抱え込んで囁いた。
「実はな……眼鏡を売って欲しい」
「……眼鏡、ですか?」
耳打ちするように頼み込んでくるゼーゼマンに、ロンバウトは困惑した。
そもそも、硝子と眼鏡は帝国の南、聖王国の名産とされている。
帝国南方に商圏を持っているのだから、聖王国から取り寄せれば良さそうなものだ。
「皆まで言うな、言わずとも分かる」
ゼーゼマンはロンバウトの質問を察したらしい。
少し恥ずかし気に、事情を話しはじめる。
「実は今日連れてきた秘書、あれは娘なのだ」
娘、と聞いて先ほど顔を合わせた背の高い秘書を思い出した。なるほど、確かに言われてみればゼーゼマンと似ているところもないではない。
「その娘が、ビッセリンク商会の眼鏡を甚く気に入ってな」
なるほど、とロンバウトは得心した。確かに、ビッセリンク商会でしか用意はできない。
実を言えば、ベネディクタの眼鏡は特別製だ。
レンズがではない。眼鏡そのもののフレームが、特別なのだ。
フーゴと共に眼鏡を女性にも売っていこうという話になった時、真っ先に考えたのが眼鏡の形だった。どうせなら、見目のよい方がいい。
ローレンツに紹介してもらった細工師に頼み、繊細で落ち着きある女性用のフレームを至急作らせたのが、まさかこんなところで役に立つとは思わなかった。
さて、値段をどうするべきか。
こういうものは、はじめが肝心だ。帝国では女性専用の眼鏡が売られたことなどこれまでにはないのだから、ロンバウトの決めた値段が全ての基準となる。
意を決し、ゼーゼマンに価格を耳打ちした。交渉のために、多少釣り上げてある。ここからどこまで値切られてしまうかが、今後の女性用眼鏡の運命を決めることになるだろう。
値段を耳にしたゼーゼマンの片眉が上がった。
匪賊さえも震え上がるというゼーゼマンの顔に浮かんだのは、呆れだ。
「ビッセリンク殿、それは安過ぎる」
意外な指摘だった。
男性用の眼鏡よりも細工に手がかかるから、それなりの値段をゼーゼマンに伝えたつもりというのに、返ってきたのが安過ぎる、というのはどういうことだろうか。
「ウチの商会は聖王国に近いからあちらの事情は概ね把握しているが、女性用の眼鏡なんてものを思いついた奴は、まだいない。麗しの皇妃セレスティーヌ殿下の眼鏡さえ、そこまで凝った飾り付けはされていない。つまり、だ」
ゼーゼマンの大きな掌がロンバウトの両肩を捕まえる。
「値段は、いくらでも吊り上げられるということだ。意中の姫君の心を惹こうとこの眼鏡を求める貴族や商人は後を絶つまいよ」
喉の奥から、唸りが漏れた。
なるほど、そういう考え方もある。
「しかし、ゼーゼマン殿」
「ロンバウト殿の懸念も分かるよ。あまりに値を吊り上げてしまえば、本当に目が悪くて眼鏡を必要とする女性の手元へ届かないのではないか、という懸念だろう」
図星だ。
たとえば、居酒屋ノブの女中。名はシノブといっただろうか。
ああいう階層の娘が仮に眼鏡を欲しいと思った時に、貴族向けの価格設定では決して手が届くことはないだろう。それは、悲しいことだ。
自分自身が眼鏡によって世界に光を取り戻した身として、ロンバウトは全ての眼鏡を欲する人のために眼鏡が行きわたればいいとさえ思っている。
「簡単なことだよ、ビッセリンク殿。値段に差をつければいい。貴族用は、より高く。聖職者や学者相手には、そこそこの値段で。値を付けることができるのは、我ら商人に日輪と双月の神の与えたもうた特権じゃないか」
その通りだ。
豪胆な商売人と聞かされていたゼーゼマンに細やかな商売の基礎を思い返す切っ掛けを与えられて、ロンバウトは赤面する。
自分はまだこの世界では若造に過ぎない。
ここに集まった多くの商人たちは、それぞれに自分の哲学と美学を持ち、日々たくましく生き抜いているのだ。
そして、その中でも一目置かれている、父ウィレム・ビッセリンク。
跡を継ぐ、ということの恐ろしさよりも、楽しみだという感情がロンバウトの背筋を稲妻のように走り抜ける。
父は、こんな連中と丁々発止のやり取りをしていたのだ。
ずるい、という気持ちが羨ましさを上回る。
弟たちに負けるわけにはいかない。この楽しさは、自分のものだ。
その時、会場の奥の方で歓声が上がった。
何だろうと立ち上がって背伸びをしてみると、新しい皿が運ばれてくるようだ。
「ベネディクタ、あれは?」
「それが……四十八皿目、のようです」
「今日のメニューは四十七皿では?」
〈獅子の四十七皿〉の話は、ロンバウトも聞き知っていた。
〈狡知王〉と〈陰険公〉の歴史的和解をもたらした料理。
それがまさか〈四翼の獅子〉亭の話だとは今日の今日まで思いもしなかったが、〈晩餐会〉の準備を検分しているときに教えられたのだ。
高名な〈獅子の四十七皿〉になぞられた料理が四十七皿出てくると聞かされていただけに、四十八皿目が出てくるというのは確かに面白い趣向かもしれない。
ゼーゼマンには後程詳しく商談を、と約束し、四十八皿目を見物にいく。
とろとろに煮込んだ牛肉にかけられているのはサワークリームだろうか。
離れていても美味そうな匂いが鼻腔をくすぐる。
待ちきれないとばかりに取り分けられた皿を奪い取った商人が「美味い」と声を上げた。
確かに美味そうだ。
口にした商人や貴族たちの表情が綻ぶ。
必死に匙を動かし頬張る様は、まるで少年のようだ。
ベネディクタの持ってきた皿から、ロンバウトも一口。
美味い。
仔牛のフォンと野菜や香草と煮込んだのだろう。
牛肉の旨みと玉葱の甘みだけでない深い味わいは、どこか異国を思わせる味だ。
しかし、この芳醇な味を支える隠し味のようなものの存在が、ロンバウトには気にかかった。
何かある。何かあるのだが、それが何か分からない。
「ショーユか!」
東王国の貴族、ラ・ヴィヨン卿が声を上げる。
クローヴィンケルには一歩譲るが、美食家として知られた人物だ。
「ショーユとは?」
尋ねられてラ・ヴィヨンや連合王国の勅許状商人の語るところによれば、連合王国の西部で作られている調味料で、魚醤のようなものだという。
「ビッセリンク殿、連合王国というと大公国から見れば地の果てだが、古都にはそんな遠方と交易するだけの力があるのだな」
いつの間にか隣に立っていたバクーニンが四十八皿目を美味そうに頬張っている。
ロンバウトの視線の先で、ウィレム・ビッセリンクが茶目っ気のあるウィンクをした。
ああ、そうか。すべては父の差し金だったというわけだ。
〈晩餐会〉の真の理由が、ロンバウトにははっきりと分かった。
「古都は、交易の中心となります」
呟くように放たれた言葉は、意外なほどに大きく響いた。
喧騒は止み、人々の視線がロンバウトに集まる。
心臓が早鐘を打った。
会場にいる人のすべてが、ロンバウトが次に何を口にするのかに注目している。
「ビッセリンク商会は古都の市参事会と協力し、海へとつながる水上交易路を復活させます」
火にかけた鍋がぷつぷつと泡立つように、呟きが広がった。
小さな泡は大きくなり、大きなうねりとなって会場を包む。
「ロンバウト殿、それはいつ頃になる?」
「具体的な方法は決まっているのか?」
「〈晩餐会〉に来る途中に運河の浚渫をしていたが、それも関係しているのか?」
質問が半ば怒号のように飛び交った。
古都への海上交易路が復活すれば、海を通じて物資は内陸へとこれまでより遥かに安く運び込むことができる。当然、その逆も然り。
商機がここにあると知れれば、古都に出資したいという商会も増えるだろう。
大勢の商人にもみくちゃにされながら、ロンバウトは父ウィレムの姿を探した。
この騒ぎもどこ吹く風で、古都の助祭相手に上等の酒を傾けている。その隣にいるのは、〈四翼の獅子〉亭の大リュービクだろうか。
あの三人にどんな繋がりがあるのかはロンバウトも知らないが、随分と幸せそうだ。
「落ち着いてください。順を追って説明しますから」
ベネディクタと一緒に商人たちを落ち着かせながら、ロンバウトは自分が大きな波に乗っていることを、感じていた。




