新人衛兵とまかないチャーハン(前篇)
「自分は、違うと思います」
新入りの衛兵の思わぬ反論に、ベルトホルトは腕を組み直した。
昼下がりの練兵場には、ベルトホルトとイーゴンという名の衛兵がいるだけだ。
秋空の下での訓練についつい熱が入り過ぎ、他の衛兵たちは昼食がてらの休憩を満喫している。
イーゴンだけがここにいるのは、とにかく飯を食うのが早いからだ。
猟師の息子だというイーゴンは体格にも恵まれ、目端も利く。ハンスとニコラウスたちの抜けた後を埋めるために雇った衛兵の中では、頭一つ抜けていると言っていいだろう。
鋭い眼差しに、隆々とした体躯。
走らせても弓を射させても新人の中には並ぶ者がなく、剣を構えて対峙すると神話から抜け出てきた英雄と錯覚しそうな威圧感がある。
普段の勤務態度はまじめそのもので、力にものを言わせた粗暴な態度を取ることはまるでなく、反抗的な素振りも見せたことがない。
そのイーゴンに、ベルトホルトは思わぬことで反論されてしまった。
「でもな、イーゴン。早く食べるのは兵士にとって大事な資質だが、美味い飯をゆっくり味わって食べるのは人生の財産だと思うぞ」
「財産だと感じる人もいることは理解します。しかし、美味いものをじっくり味わわないのは人生の損失だというのは、少し言い過ぎではありませんか」
軽い冗談で口にした言葉に、まさかここまで激烈な返事が返って来るとは予想外だった。生真面目な奴だとは思っていたが、それにしても度が過ぎる。
ベルトホルトは天を仰いだ。
尾長鳶の舞う秋空は、困惑する衛兵中隊長には何も答えてくれない。
「お言葉ですが、隊長。人生の財産は人によって異なると思います。私はこれまで食ったものでそれほど美味いと思ったものはありません。食わねば飢えるから、食う。何なら全く味のしないものでも、それさえ食っておればいいというのであれば、そちらを選びます。さっさと食って、後の時間を有効に使う方がよいと思っております」
ベルトホルトの口から、うぅむと唸りに似た吐息が漏れる。
ここでお前は間違っていると頭ごなしに怒鳴りつけるほど、ベルトホルトは狭量ではない。
〈鬼〉などと恐れられてはいたが、元はと言えば傭兵隊を預かっていた身の上だ。部下の扱いを取り間違えた同業者が、戦場の霧に乗じて後ろから撃たれるという話は何度も耳にしている。
しかし、せっかく森から出てきたのだから、何か美味いものを食わせてやりたいというのもまた人情だ。
世の中には味の分からなくなる病気もあると言うが、イーゴンの場合はそうではないようだ。
さて、どうしたものか。
押し付けは嫌いだ。
とは言え、衛兵同士の話なんて飯と酒と女の話が大半を占めるのだから、こうも木で鼻をくくったような態度だと、今後の人間関係にも関わるかもしれない。
「そういえばイーゴン、お前普段は何を食ってるんだ?」
ふと気になって尋ねてみると、イーゴンは何故か自信たっぷりに「芋です」とだけ答えた。
夜の帳もまだ降り切らない〈馬丁宿通り〉を、衛兵二人が連れ立って歩いている。
言わずと知れた、ベルトホルトとイーゴンだ。
二人が軍装を解いていないのは、未だに勤務中だからということになっている。
もちろん、建前だ。
どうしても居酒屋ノブの食事を食べさせようと心に決めたベルトホルトは、抵抗するイーゴンを無理やり店へ連行するために、職権を濫用している。
無論のこと、心が痛まないわけではない。
戦場でこそ上官の命令は絶対厳守だ。独自の判断は仲間全体を危機に陥れる。
だが、今は平時だ。
双子も生まれて丸くなったと評判のベルトホルトとしては、上官の権威を笠に着て部下を居酒屋へ連れて行くなどあってはならないことだと今では十分に理解している。
ベルトホルトは、心を鬼にした。
衛兵の仕事は古都の治安維持だ。その中には当然、住民との円滑な交流も含まれる。
馴れ合いは好ましくないが、委縮されても治安は守れない。
適度な距離感を維持しつつも信頼を勝ち取ることが必要になる。
イーゴンがただの一衛兵として職務に邁進するだけなら必要のないことかもしれないが、彼には次代の衛兵隊を担ってもらいたいという思いもあった。
であれば、食事は大切だ。
夕食を酒場で摂る。たったそれだけのことで、多くの情報を得ることができるし、住民の顔と名前も自然と頭に入ってくるものだ。
何より、家で芋を蒸かして食べているだけの生活など、あまりに空しいではないか。
「隊長、ベルトホルト隊長、自分は……」
「分かっている。皆まで言うな。お前の言い分は理に適っている。色々な生き方があることも、認めよう。しかし、だ。二つの弓があったとして、一方しか射ずに両者の甲乙を付けることはできないだろう?」
ううむ、とイーゴンが口を押し黙る。
相変わらず気の進まなさそうな歩みだが、ベルトホルトの三歩後ろを歩いていたのが、一歩後ろくらいには近付いてくれた。
「さ、ここがその店だ」
「はぁ……ここ、ですか」
二人の見上げる看板には、異国の文字で「居酒屋ノブ」と記されている。
「いらっしゃいませ!」
硝子の引き戸を開けながら、ベルトホルトはおや、と思った。
普段であれば揃って聞こえてくる挨拶が、一方しか聞こえない。
「シノブちゃん、タイショーは留守かい?」
尋ねると、シノブは少し困ったような表情で、
「そうなんですよ。大将とハンスはちょっと用事で出掛けちゃって」と答える。
言われてみれば、まだノレンが出ていなかった。
そいつは珍しいな、と声を掛けながら、カウンターに腰掛ける。すぐ戻るのかと思えば、いつ帰って来るのか分からないということだった。
さて、どうしたものか。
一刻も早くという焦りから、早く着き過ぎたのが裏目に出た格好だ。
イーゴンからの刺すような視線には気付かない振りをしながら、頭の後ろで手を組む。
椅子に背を預けて天井を見上げてみるが、木材の染みは何も答えてくれない。
悩みはすれど、さりとてよき智慧が浮かぶわけでもなかった。
タイショーが戻るのを待つというのも一つの手だ。けれども、あまりイーゴンを焦らせるのも得策ではない。
ぼんやりと天井を眺め続けていると、シノブが厨房の中で何から忙しなく動きはじめた。
「シノブちゃん、それは?」
「あ、これは私とエーファちゃんとリオンティーヌさんの賄いです」
賄い、か。
確かに店内には他に客もいない。
賄い、賄いか、と口中で二度呟く。
「シノブちゃん、それって二人前追加できるか?」
「え、でもこれ、私たちの賄いですよ」
「ちょっと腹が減っていてな。何か詰め込みたいんだ」
そういうことなら、とシノブは材料を奥へ取りに行った。
イーゴンはと言えば、物珍しいのか、注意深く店内を見回していた。
思い返してみれば、はじめてここでワカドリノカラアゲを食べたときは自分もこんな風にきょろきょろしていたのだろう。
「……隊長」
「妙な店だろう? だが、出す料理は逸品だ」
耳打ちしてくるイーゴンにベルトホルトは笑って答える。
しかし、鋭い目つきのイーゴンの反応はまたも予想外のものだった。
「隊長、本当にここはただの居酒屋なんですか?」




