秋の海鮮親子丼(後篇)
「タイショー、いいんですか、そんなに……」
震える声でエーファが尋ねるエーファの言葉を敢えて無視するように、信之はさらにもう一匙、禁断の美味を追加する。
いくらだ。
丼の上には既に、白米が見えないほどのいくらが盛り付けられている。
削ぎ切りにした鮭の切り身を合わせた、海鮮親子丼。
鮭といくら、二つの赤が、丼の上で美しく互いを引き立て合う姿は、まさに珠玉の逸品と言うに相応しい。
いくらは昨日の晩ほぐして醤油に漬け込んでおいたトラウトサーモンの筋子。前々から市場に頼んでおいたものが、ようやく手に入った品だ。
「エーファちゃん、ああなった大将は、もう止まらないのよ……」
以前のことを知っているしのぶが、諦めたように呟く。
やけ食い。
そう、普段は少々のストレスなど気にも留めない信之が、どうしようもない壁に直面したときに犯す、ちょっとした悪徳。
メニューはその時々によって異なる。
イチボを腹が破れそうになるまで食べたこともあるし、蒸し器いっぱいに茶碗蒸しを並べて、一人で全部食べたこともあった。
回らない寿司を食べに行ったときは財布の中身が足りず、塔原に電話して迎えに来てもらったことさえある。
がむしゃらに食べ、翌日には決して引きずらない。
自分なりの、精神衛生管理法だ。
自暴自棄にならないための、最後の切り札。
それが信之の場合、このやけ食いということになる。
もっとましな方法はないかと色々試したことはあるのだが、信之にはこれが一番合っていたということらしい。
居酒屋のぶの暖簾を掲げてからこそこの悪癖は暫く鳴りを潜めていたのだが、一昨日の一言は、堪えた。
「古都らしい料理ではない」
信之には、刺さる言葉だ。
料理はその土地に根付き、花開く。高校卒業からずっと料亭ゆきつなの板場に職を奉じていた信之には、骨の髄まで染みついた考え方だ。
食材、調理法、気候や自然によって、似たような料理でも、その出来栄えは千差万別となる。
たとえば、水。
東京へ店を出した京都の料亭が、水の味が違うと料理の全てが駄目になると、使う水の全てを京都から運ばせたことがある。
軟水の方が引きやすい出汁もあるし、硬水の土地では肉の灰汁は簡単に取れる。
居酒屋のぶは水も電気もガスも日本から引いているが、客の舌は古都の味、古都の自然に慣れ親しんでいるのだから、そこには見えない壁があってしかるべきなのだ。
土地に合った料理は、料理人の流した汗と涙の積み重ねによってのみ成立することは、外ならぬ信之が一番知っている。
だが、信之という料理人は、どこまで行っても信之という料理人だ。
共稼ぎの母に代わって家の台所に立ちって弟と妹の食事と弁当を作り、料亭ゆきつなで塔原から料理のいろはを学んだ、矢沢信之だ。
どこまで古都アイテーリアの味に寄せようと腐心しても、それは古都京都の味をアイテーリア風にアレンジしているに過ぎないことは、身に染みている。
それでいい、というのが信之の結論だ。
信之は信之であって、信之でしかない。
自分が美味いと思えるものを、お客さんに食べてもらう。
それだけが唯一無二の山頂であって、そこへ至る山道は、信之が自ら切り開いてきたものだ。
だが、だからこそ、あの一言が堪えたのだろう。
自分がどうしようもないと諦め、切り捨てた道。
古都の料理を、古都の料理人として作るという道を何故行かないのかと、あの老人は問いかけてきたのだ。
おろしたばかりの山葵を小皿の醤油に溶き、丼の上に掛けまわす。
箸で豪快に抉り込み、一口。
美味い。
トラウトサーモンのいくら口の中でぷちぷちとはじけ、濃厚でコクのある味わいが広がる。
鮭の切り身も、脂がのってとろけるようだ。
ぷちぷち、とろとろ。
ぷちぷち、とろとろ。
口の中が、幸せに包まれていくのが、分かる。
そうだ。いいじゃないか。
こんなに美味しいものが食べられる人生に、何の悔いがあるだろう。
自分の信じた道を、往く。それでいいじゃないか。
潰れたいくらと醤油の沁みた白ご飯を、一気に掻き込む。
「ふぅ……」
食べ終えて、口を突いて出るのは至福の溜め息だけだ。
食べるべき時に食べるべき美味いものを食べると、人は言葉を失うものなのだろう。
腹を撫でさすっていると、しのぶが両肩に手を置いてきた。
「さ、ご満足いただいたところで、私たちの分も用意して頂けますかね?」
口調は叮嚀だが、目は少しも笑っていない。
後ろで見ているエーファも、ハンスも、リオンティーヌも同じ表情だ。
あれだけ美味そうに食べて見せれば、こうもなるだろう。
分かりましたと応じて、いくらの残りを思い出す。
大丈夫、みんなに海鮮親子丼を用意しても、あと三人前は残るはずだ。
「わ、私たちの分も!」
その時、引き戸を開いて飛び込んでくる影が、三つあった。
「あ、マルコさんにイグナーツさんにカミルさんじゃないですか」
すかさず名前を挙げて見せるしのぶは、さすがだ。
しかし、表には「本日休業」の貼り紙をしていたはずではなかったか。
「あんなに美味そうな食べっぷりを見せられて、さぁ帰れというのはあまりにひどいですよ」とマルコが抗議すると、そうだそうだとイグナーツとカミルも同調する。
どうする、と視線で問いかけてくるしのぶに、信之は小さく肩を竦めた。
見られてしまったものは仕方がない。
ここで追い返すほどの鬼畜になれない自分のことが、信之は嫌いではなかった。
「分かりました。さ、座って座って。すぐに支度しますから」
いくらを盛り付け、鮭を乗せる。
漬け込んだいくらはこれで綺麗に完売。
こっそりと一人でもう一度楽しもうという野望は、脆くも崩れ去った。やはり、悪いことは考えるものではない。
彩りに刻んだ大葉を乗せ、みんなに供する。
「さ、できましたよ」
おおっ、ともわぁっ、ともつかない歓声が、全員の口から漏れた。
瞬く間に箸と木匙がそれぞれの口へ運ばれていく。
しのぶは「んんー」と目を閉じて行儀悪く足をばたばたしている。この姿を実家のご両親が見たら卒倒してしまうのではなかろうか。
エーファは何も言わず、はぐはぐと木匙を懸命に動かしている。
対してハンスはゆっくりと分析するように味わっているようだ。新しい料理のヒントが何か掴めるといいのだが。
リオンティーヌの方はと見てみると、既に丼の中身は空になっていた。さすが元傭兵。早寝と早飯は芸の内ということだろう。
マルコとイグナーツ、カミルの幸運にも海鮮親子丼にありつけた三人組は、幸せそうに丼の中身を頬張っている。
そういえばイグナーツとカミルがはじめて居酒屋のぶを訪れた時にも、海鮮丼を出したような気がする。朧げな記憶の中の二人の笑顔が、今の二人と重なった。
あの頃はまだ、生魚を食べるといえば古都では奇人か命知らずだけだったのだ。二人もおっかなびっくり魚をつまんでいたような記憶がある。
それが今や、海鮮丼を食べたいと閉店している店に転がり込んでくるようになったのだ。
古都の人々の味わった、舌の記憶の年輪。
居酒屋のぶも、末席に連なることができたのかもしれない。
そう考えてみると、なんだかさっきまでの悩みがばかばかしく思えてきた。
全員分の茶を淹れていると、マルコとカミルの会話が耳に入る。
「そういえばマルコさんは晩餐会には参加するんですか?」
「例の、商人を招いてやるって奴か。あれは古都の外の商人を呼ぶ奴だから、こっちには関係ないかな」
「あ、そうなんですか。店を構えるって聞いたので、てっきり」
今日物件を抑えてきたよ、と苦笑いをするマルコに、何かお祝いをしないとなと信之が考えていると、思わぬ言葉が耳に飛び込んできた。
「なんでも会場は〈四翼の獅子〉亭で、古都らしい料理で歓待するそうですよ」
思わず湯飲みを取り落としそうになり、寸でのところで受け止める。
〈四翼の獅子〉亭と、古都らしい味。
何か因縁めいたものを感じながらも、自分には関係のないことだと信之はみんなに茶を淹れるのであった。




