竹輪の磯辺揚げ(後篇)
ラインホルトの向かいに腰掛けながら、慣れた調子でシノブにイタワサとレーシュを註文するゴドハルトはもうすっかりこの店の常連然とした様子だ。
居酒屋ノブに通っているという点ではラインホルトもなかなかの客だと自負しているが、ゴドハルトの域にはまだ達していない。
オシボリを受け取り、流れるような所作で手を拭う様など、まるで芝居のようだ。
「で、ラインホルトさん。新しい飯場を設えるそうじゃないか」
「お耳が早いですね」
見透かされたような気がして一瞬どきりとするが、努めて表情には出さない。
まだ周囲に触れ回るような段階ではない話だからどこかから漏れ聞いたのだろうか。
「ああ、いや、種明かしをするとだな、あの場所は〈水竜の鱗〉も目を付けていたんだ。それでつい今しがた、購入の手付金でも支払おうと話を持っていったら、先を越されていたというわけさ」
なるほど、と思わずラインホルトの口元に笑みがこぼれる。
聞けば、エレオノーラの〈鳥娘の舟歌〉も同じ場所を狙っていたらしい。
水路を通す。
この大目標に向けて、三つの水運ギルドはそれぞれ勢力拡大に向けて動きはじめていた。
人を集め、艀主を雇い、騾馬を買い揃える。
飯場の立地だけでなく、全ては限られたものの奪い合いだ。紳士的なだけではギルドマスターは務まらない。
「“泳ぐ魚の目を射抜く”なんて言われるこの業界だ。手が早いことは誇っていい」
同じ水運ギルドのマスターであるゴドハルトに褒められると、悪い気はしなかった。
運ばれてきたレーシュを小さな盃に注ぎ、二人で乾杯する。
改めて、酒が美味い。
仕事終わりの一杯というものは、何物にも代えがたい魅力がある。
「で、飯場頭はどうするんだ」
「それで悩んでいるんですよ」
ほう、とゴドハルトの目つきが値踏みをするように細められた。
「人選に悩むことができるというのは人材に恵まれている証拠だな」
「そういうことにしておきましょう」
苦笑しながら、チクワのイソベアゲを口に運ぶ。
ゴドハルトの註文したイタワサ、というのは、一見するとただのカマボコに見えた。
「飯場頭の選び方には色々あるが、私はギルドマスターに従順なだけの人間を選ばないように気を付けているつもりだ」
そう言ってゴドハルトはワサビを擦り下ろしはじめる。
客が手ずから擦り下ろすのがこのイタワサというものの通な食べ方らしい。木の板に貼り付けてあるざらざらとした布のようなもので体格のいいゴドハルトがちまちまと器用に下ろしているのを見ると、なんだか面白い。
「このワサビのように、ピリリとした人材をこそ、飯場頭に据えるべきだと思うな」
ワサビをカマボコにちょんと付け、口に運ぶ、
そこにレーシュをキュッと流し込むゴドハルトの相好が幸せそうに崩れた。
「そういうものですか」
「あくまでも〈水竜の鱗〉の場合は、だな。エレオノーラのところの場合はまた違った基準があるようだが」
ゴドハルトの言葉にラインホルトは思わずくすりと笑ってしまう。〈鳥娘の舟歌〉で飯場頭を務める男たちの能力は様々だが、見目麗しいことは共通していた。
「ラインホルトさんはラインホルトさんで好きに決めたらいい。今回がはじめてだから緊張しているのだろうが、ギルドマスターを続けていれば人生で何度も経験することだ。思い切って決めてしまえばいいさ」
古都最大の水運ギルドを率いるゴドハルトにそう言われれば、気も楽になる。
気持ちよく盃を空けるゴドハルトにレーシュを注いだ。
「タイショー、今日のカマボコは何だかよく分からんがいつもより美味いな」
ありがとうございます、とタイショーが頭を下げる。
言われてみれば、いつも見るカマボコよりもほんの少し灰色かかっている気がした。
「今日のはいつもと材料が違うんですよ」
朗らかな笑顔でシノブが奥から桶を持ち出してくる。
「鮫……?」
特徴的な背びれと鱗のない身体は、確かに鮫の物だ。
幼い頃の記憶が脳裏を過る。
あの不味かった鮫が、カマボコになるのか。
「鮫をすり身にして、かまぼこにするんです。ラインホルトさんの竹輪も、鮫から作ったんですよ」
ハンスが包丁で鮫の身を叩いてすり身にしたらしい。
イソベアゲを矯めつ眇めつしながら眺めてみる。チクワとカマボコ。どこからどう見ても鮫からできたとは思えなかった。
口に含むと、やはり、微かに磯の香りがする。
ラインホルトの気持ちは、これで定まった。
今朝の古都は生憎と、朝から小雨のぱらつく空模様だ。
仕事前に〈金柳の小舟〉の飯場へと向かう〈鮫〉は同僚に肩を叩かれた。
「良かったな、〈鮫〉」
何のことか分からずに肩を竦めて飯場を覗くと、この時間には珍しいことにギルドマスターのラインホルトがいる。他の幹部連中も一緒だ。
「おはようございます」
挨拶をする〈鮫〉の肩に、ラインホルトが優しく手を置いた。
「おめでとう。貴方は新しい飯場の頭に内定しました」
えっと思わず声が出る。
飯場頭の地位に憧れない人足などいない。人に誇れる地位だ。だが、〈鮫〉は自分が選ばれることだけはないと思っていた。
〈金柳の小舟〉は歴史のあるギルドで、新参には厳しいからだ。それに、過去の件もあった。
「しかし、ラインホルトさん……」
下手に喜んで、後からがっかりするのは御免だ。きっとこの年若いギルドマスターは過去のいきさつを知らないのだろう。ここははっきり言っておかねばならない。
だが、説明しようとする〈鮫〉をラインホルトは優しく遮った。
「過去の件は、しっかりと調べさせてもらいました。その上で、貴方はしっかりと更生し、ギルドの為に尽力してくれている。その今の姿と、これからの働きにギルドは報いなければならない」
〈鮫〉は、思わず跪きそうになった。
自分を拾ってくれた先代ギルドマスターの姿が、ラインホルトに重なったのだ。
「一緒に、〈金柳の小舟〉を盛り立てていきましょう」
ラインホルトが、飯場の入り口から見える運河を指さす。
その先は、遥か大海まで続いているのだ。




